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第五章-4 議会での発言

その日アリーシャはいつもより早く目を覚ました。

 いつもと変わらない朝日を浴びながら、しかし空気は重かった。


 ――今日は議会の日だ。


 アリーシャは、身支度を整えながら深く息を吸う。

ネリーとアンナが選んでくれたドレスはいつもより、落ち着いたし色合いで、まるで戦闘服のようだった。

胸の奥に残っている昨夜の温もりが、不思議と、心を落ち着かせてくれる。


「……大丈夫」


 誰に言うでもなく、そう呟く。

扉の向こうでは、すでにルークが待っていた。

視線が合う。

多くを語らない、いつもの眼差し。


「行きましょうか」


「はい」


 それだけでいい。

不安を消す言葉も、決意を煽る言葉も要らなかった。

ルークの腕に手を添えて、二人は並んで歩き出す。

回廊の先、議場へ向かう道は、女である自分は近づくことすら許されなかった場所だ。

初めて立つ議会の場では、自身の発言一つに大きな責任が伴う。

アリーシャはそう心に留め、一歩一歩、床を踏みしめる。


やがて重い扉が見えた。

内側には、右派と中立派、そして、彼女の従兄が待っている。

議場に入った瞬間、空気の密度が変わった。

並ぶ顔ぶれも、見知ったものも多い。

だが、視線の動きが早い。

囁き合う声が、低く、短い。

アリーシャが中央に着くと、そのざわめきはいったん沈む。


形式ばった挨拶。

宰相の低い声。

議題が提示される前の、わずかな間。

――そして。


「本日の議題は、ガルデに隣接する国境の件です」


 宰相の提示により開始される。

それを合図にしたかのように、方々から声が上がる。


「ガルデの動きが、目に余る」


「牽制にしては、回数が多い」


「試されているのは、我が国だ」


 声は大きくない。

だが、重なり合い、確かな輪郭を持ち始める。

――中立派は、口を閉ざしたままだ。

否定も肯定もしていない。

その沈黙が、右派を勢いづかせる。


「抑止が必要だ」


「国防の緩みは、侵略を招く」


「今こそ、姿勢を示すべき時ではないのか」


 誰も、戦争とは言わない。

剣を抜くとも、攻めるとも言わない。

ただ、守るために、備えるべきだと、その言葉だけが、何度も繰り返される。

アリーシャは、黙って聞いていた。

顔色は変えない。

だが、議場の温度が、確実に上がっているのを感じる。

やがて――ひときわ落ち着いた声が、ざわめきの中から立ち上がった。


「辺境を預かる立場から、申し上げます」


 右派の視線が、一斉に集まる。

金髪碧眼の男。

シュバルツ家当主、カイン・シュバルツ。

彼が前に出たことで、議場のざわめきが止む。

カインは、議場の中央へ進み出ることはしなかった。一歩、前に出ただけだ。

それだけで十分だった。


「ガルデ国境では、このひと月、軍の移動が目立っています。

訓練という名目にしては、規模が大きい。

また、撤収と再配置の周期が短すぎる」


 数名の右派が、静かに頷く。


「明確な侵攻行動は、まだありません」


 “まだ”


その一語が、議場に残る。

断定でも、煽動でもない。

ただの状況認識として、そう述べる。


「こちらの反応を試しているのでしょう。

皇国が、これまでと同じ姿勢を保つのか。

それとも、変わったのかを」


 右派の列に、わずかなざわめきが走る。

否定ではない。

期待に近い音だった。


「だからこそ、今は――」


 カインは、言葉を選ぶように一拍置いた。


「備えが必要だと考えます」


 誰も、異を唱えない。


「国防の強化は、攻撃の意思ではありません。

むしろ、その逆です。

こちらに覚悟があると示すことが、最も確実な抑止になります」


 右派の一人が、思わず口を挟む。


「まさに、その通りだ」


 別の者も続く。


「弱腰と見られれば、付け入られる」


「辺境の現場を知る者の判断を、軽んじるべきではない」


 議場の空気が、ゆっくりと傾く。

中立派は、まだ口を閉ざしていた。

反論はない。

だが、それは賛同でもなかった。

右派の視線は、再びカインへ向けられる。


 ――次は、何を言うのか。

 ――ここで決まるのではないか。


 期待が、言葉にならないまま膨らんでいく。

カインは、それを感じ取っていた。

だが、表情は変えない。

あくまで、国境を守る者の意見としてそこに立っているだけだ。

その視線の先、アリーシャの姿を、彼は一度だけ静かに見た。

右派の声が収まりきらないまま、議場に、低く落ち着いた声が響いた。


「――辺境伯の報告は、重く受け止めるべきでしょう」


 宰相だった。


「現場の緊張、軍の動き、そのすべてが事実である以上、危機感を持つのは当然です」


 カインの意見を、否定しない。

むしろ、一度しっかりと受け取る。

右派の何人かが、満足そうに息を吐いた。


「しかし――」


 宰相は、そこで言葉を切った。

短い沈黙。

それだけで、議場の空気が引き締まる。


「我が皇国は、これまで幾度も、力の誇示ではなく、均衡によって存続してきました」


 中立派の列に、わずかな動き。

「国葬を終えたばかりの今、我々の一挙手一投足は、周辺諸国に注視されています」


 声は穏やかだが、内容は鋭い。


「国防の強化が、果たして“抑止”として受け取られるのか。

それとも、“方針転換”と見なされるのか」


 右派の勢いが、ほんのわずかに鈍る。


「その判断を誤れば、こちらに意思がなくとも、相手に“理由”を与えてしまうことにもなりかねません」


 宰相は、そこで言葉を収めた。

結論は出さない。

だが、流れも断ち切らない。

決めるには、まだ早い。

そう、場に示しただけだ。

視線が、またあちこちに散らばる。

 やがて、アリーシャの隣で、静かに黙って聞いていたルークが顔を上げる。


「――発言を、お許しください」


 声は、低く、落ち着いている。

議場の空気が、わずかに張り詰めた。


「辺境伯の危機感も、宰相のお考えも、どちらも理解できます。

私もまた、ガルデが“何かを見極めようとしている”可能性は高いと考えています」


 右派が、わずかに息を呑む。


「ただ――」


 ルークは、言葉を選ぶように、視線を巡らせた。


「それが侵攻の兆しか、牽制なのか、あるいは内政事情による動きなのか。

今の時点では、まだ判断材料が揃っていない」


 静かな声だ。

だが、議場の誰もが聞き逃さなかった。


「もし今ここで国防の姿勢を大きく動かせば、それは――我々自身が、変化を宣言することになります」


 均衡。


その言葉が、誰の口から出るよりも重く響いた。

 ルークは、そこで一度、言葉を止める。

議場には、短い沈黙が落ちた。

それは同意でも、否定でもない。

判断を保留された者たちの、行き場のない間だった。最初に動いたのは、右派の列だった。


「判断材料が揃っていない、とは――」


 誰かが、声を抑えきれずに呟く。


「現場は、すでに揃っている」


「これ以上、何を待つというのか」


 口々に声を出すが、向かう先は同じだ。

慎重論への苛立ちが、議場の温度を再び上げ始める。

カインは、口を開かなかった。

だが、右派の視線が、彼の背に集まっているのを、誰もが感じ取っていた。

 ――ここで、もう一押しあれば。

流れは、決まる。

その気配を、宰相も察していた。

彼は一度、視線を巡らせ、そして、玉座を仰いだ。


「……王妃殿下」


 その一言で、議場の視線が、一斉に動く。

アリーシャのもとへ。

彼女は、すぐには口を開かなかった。

手元の書類に、もう一度だけ目を落とす。

そこには、ガルデの軍の移動記録。

各国の動向。

断片的な情報が、並んでいる。


 ――足りない。

それが、正直な実感だった。

アリーシャは、顔を上げる。


「皆さまのご意見は、理解いたしました」


 声は静かだ。だが、震えてはいない。


「辺境伯のお話から、現場の緊張が高まっていることは明らかです」


 カインの方を見る。

否定ではない。


「同時に、宰相と王配殿下の言う通り、我が国の動きが、周辺にどう受け取られるかも重要です」


 右派の数名が、身じろぎする。アリーシャは、一拍置いた。


「――ですが」


 その言葉で、議場が静まる。


「ガルデが動いた理由について、我々は、まだ断定できていません」


 牽制か。

 内政事情か。

 あるいは、他国の影か。


「理由を誤れば、対処もまた、誤ることになります」


 彼女は、結論を急がない。


「ですから、まずは――背景と意図を探ることを、優先したいと考えます」


 決断ではない。

だが、逃げてもいない。

議場に、ざわめきが戻る。

それは、賛同とも反発ともつかない、割れた空気だった。

 ルークは、何も言わない。

ただ、彼女の言葉を受け止めている。

一方で、カインの瞳が、わずかに細められた。

――彼女には決められなかった。


その事実だけが、それぞれの胸に、異なる形で残っていく。


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