泥まみれの共犯者
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巨大な「主」が荷車に積み込まれ、村人たちがどよめきと共に広場へ向かおうとした時だった。
「待ってください、アレクさん!」
私が大声を上げると、泥だらけのアレクが振り返った。
「あん? どうしたハル。早く広場に行って解体ショーだろ? みんな腹を空かせて待ってるぞ」
「いいえ、まだ足りません」
「はぁ? 足りないって、あの化け物一匹で村人全員分はあるだろ」
「肉の量は足ります。でも……『味』を完璧にするためのピースが欠けているんです」
私はキッと顔を上げ、村の裏手に広がる雑木林の方角を指差した。
「それに、せっかく『主』がいなくなって、沼の生態系が変わったんです。……今がチャンスなんですよ」
私の目は、きっと血走っていたに違いない。
主を倒した高揚感は、私の中で「満足」ではなく、さらなる「貪欲」へと変わっていた。
「アレクさん。私、あの雑木林にある『痺れ草』を採りに行きます」
「し、痺れ草ぁ!?」
アレクが素っ頓狂な声を上げた。
無理もない。『痺れ草』といえば、この地方では毒草の一種として知られている。赤い小さな実をつけ、誤って食べると舌が強烈に痺れ、動けなくなるという厄介な代物だ。
「お前、今度は毒を盛る気かよ!」
「毒じゃありません! あれは……『山椒』です!」
「さんしょう?なんだそれは?」
蒲焼に欠かせない、あの爽やかな香りと刺激。
甘辛いタレのこってり感を中和し、泥臭さを完全に消し去る魔法のスパイス。
あれがない蒲焼なんて、炭酸の抜けたコーラみたいなものだ。
「あれがないと、ナマズの泥臭さは消せません。最高のご馳走を作るなら、妥協は許されないんです!」
「……わかったよ。お前の『美味い』への執念には勝てねぇ」
アレクは呆れたように、しかし楽しそうに笑った。
「付き合うよ。どうせ泥だらけだ。毒草だろうが魔物だろうが、とことん付き合ってやる」
◇
私たちは「主」の運搬を村長と村の男たちに任せ、雑木林へと走った。
雪解けのぬかるみを抜け、茨の茂る藪の中へ。
「あった……! あそこ!」
私が指差した先。棘だらけの灌木の枝先に、鮮やかな赤い実の房が揺れていた。
日本種とは少し違うが、間違いない。鼻を近づけると、柑橘系に似た爽快な芳香が漂ってくる。
「うへぇ、棘だらけじゃねぇか。どうやって採るんだよ」
「こうやるんです!」
私は躊躇なく藪の中に手を突っ込んだ。
ビシッ!
鋭い棘が手の甲を掠め、細い血筋が浮かぶ。けれど、痛みなんて感じている暇はない。
「ハル!? おい、無茶すんなって!怪我するぞ!?」
「平気です! この香りが逃げる前に……!」
私は夢中で赤い実をむしり取った。
一房、二房。
指先が痺れてくる感覚がある。これだ、この成分こそが、脂っこいナマズの身を引き締める最高のアクセントになる。
ガサガサッ!
横で音がした。見ると、アレクも顔をしかめながら、藪に手を突っ込んで実を集めてくれていた。
「くっそ、痛てぇな! こんなもんのために……!」
「アレクさん、ありがとう!」
「礼はいい! その代わり、不味かったら承知しねぇぞ!」
私たちは傷だらけになりながら、ポケットいっぱいに『痺れ草』を詰め込んだ。
よし、これで調味料は揃った。
次は――食材の追加確保だ。
私たちは来た道を戻り、再びあの湿地帯へと駆け戻った。
村人たちが去った後の沼は静まり返っている――いや、違った。
バシャッ! バシャバシャ!!
水面が、沸騰したように泡立っていた。
主がいなくなった解放感からか、泥の中に潜んでいた中型ナマズたちが、我が物顔で泳ぎ回っているのだ。
「うわ……マジかよ。本当にうじゃうじゃいんじゃねぇか」
「言ったでしょう? ここは宝の山なんです」
私はニヤリと笑い、着ていたショールを脱ぎ捨てた。
そして、持っていた大きな布袋を構える。
「何する気だ、ハル?」
「漁ですよ。……手掴みのね!」
言うが早いか、私はザブンと泥沼に飛び込んだ。
「はぁ!?」
冷たい泥水が腰まで浸かる。
足元はヌルヌルして踏ん張りが効かない。けれど、私の目の前には、体長一メートルほどのナマズが、鈍く光る背中を見せて泳いでいる。
「待てぇぇぇっ!」
私は獣のように飛びかかった。
バシャァァン!!
泥水を頭から被る。ナマズのヌメリのある体が、手の中からスルリと抜け出す。
「くっ、速い……!」
水中での彼らは俊敏だ。
逃げたナマズが尾びれで泥を跳ね上げ、私の顔面に直撃する。
ペッ! 口に入った泥を吐き出す。
凍えるような冷たい水の中、前髪は泥で固まり、顔中真っ黒だ。普通の年頃の娘なら泣き出すような状況だろう。
でも、私は笑っていた。
楽しい。
生きるために、食べるために、獲物を追う。これこそが「生」だ。
前世、パソコンの画面と睨めっこして、コンビニ弁当で済ませていた日々にはなかった、強烈な生命の実感がここにある。
「逃がすかぁぁっ!」
私は泥の中にダイブした。
狙うは、葦の根元に隠れようとした一匹。両手で胴体をガシッと抱え込む。暴れる。凄まじい筋肉の躍動が腕に伝わる。
「捕まえたぁぁっ!!」
私が泥だらけの顔を上げて叫んだ時、視界の端で何かが動いた。
「どけっ、ハル!」
ドボンッ!!
アレクが私のすぐ横に飛び込んできた。彼は逃げようとした別の一匹の頭を、その太い腕で押さえつけた。
「うおおおらぁっ!! 大人しくしやがれ!」
「アレクさん!?」
「見てるだけなんて性分じゃねぇんだよ! ……っと、こいつ滑る!」
行商人の立派な服は、もう見る影もない。髪も顔も泥パック状態だ。でも、その泥だらけの顔で、彼は少年のような笑顔を浮かべていた。
「へへっ、捕ったぞ! 結構重いな!」
「やりますね、相棒!」
「おうよ! ……って、後ろ!」
バチンッ! 油断した私の背中を、別のナマズの尾が叩く。
「きゃっ!?」
私はバランスを崩し、アレクの方へ倒れ込んだ。
ドッシャーン。 二人もつれ合って、泥の中に尻餅をつく。抱えていたナマズが、その隙に逃げ出していく。
「あーあ……逃げられちゃいました」
「ははっ、酷いザマだな」
私たちは顔を見合わせた。
お互い、泥まみれの狸みたいな顔をしている。
指先は茨の傷でヒリヒリし、全身ずぶ濡れで凍えるほど寒い。
なのに、お腹の底から笑いが込み上げてきた。
「ふふっ、あはははは!」
「ぶははは! なんだよその顔! 泥棒猫みたいだぞ」
「アレクさんだって! 沼の妖怪みたいですよ」
ひとしきり笑った後、ふと、アレクの視線が優しくなった。
彼は泥で汚れた手で、私の頬についた泥をそっと拭ってくれた。
「……ハル」
「はい?」
「お前、すげぇよ」
彼の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。
そこにあるのは、単なるビジネスパートナーへの信頼だけではなかった。
「こんな華奢な体で、棘だらけの藪に突っ込んで、泥の中に飛び込んで……。普通の女なら悲鳴上げて逃げるぜ」
「……食い意地が張ってるだけですよ」
「いや。それだけじゃねぇ」
アレクは真剣な顔で言った。
「マリーちゃんのためだろ?妹に美味いもん食わせるためなら、自分のことなんてどうでもいい。……そういうあんたの根性、俺は嫌いじゃないぜ。尊敬する」
ドキリ、と胸が鳴った。
冷たい泥の中にいるはずなのに、顔がカッと熱くなるのがわかった。
前世も含めて、そんな風に真っ直ぐ褒められたことなんて、あっただろうか。
「……買いかぶりすぎです。ほら、感傷に浸ってる暇はありませんよ。あともう三匹は確保しないと!」
私は照れ隠しに声を張り上げ、再び泥の中へ手を伸ばした。
「へいへい。人使いの荒い料理長だことで」
アレクも苦笑しながら、再びナマズを追いかけ始めた。
それから三十分後。
私たちは合計五匹の中型ナマズと、山盛りの山椒を抱えて沼から上がった。
体は冷え切っていたけれど、心は燃えるように熱かった。
これで準備は整った。主と、中型ナマズ(数)と、山椒(最高のタレ)。 役者はすべて揃った。
「帰りましょう、アレクさん。村のみんなが待っています」
「おう。……伝説の始まりだな」
私たちは泥だらけのまま、重たい獲物を引きずって村へと戻った。
その背中には、確かな信頼と、ほんの少しの甘酸っぱい予感が芽生えていた――かもしれない。
さあ、いよいよ本番。 『冥府の使い』を、至高の『蒲焼重』に変える時だ。
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