冥府からの使者
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一夜明けて、決戦の朝。
ノワ村の北側に広がる湿地帯は、今日も重苦しい空気に包まれていた。
腐った植物と泥の臭い。そして、肌にまとわりつくような冷たい湿気。
「……おい、ハル。昨日の今日で、本当にやるのか?」
アレクが引きつった声を出した。
彼は昨日、広場で飛ぶようにポテトを配り、村人たちの笑顔を見て自信をつけていたはずだが、この異様な雰囲気を前にして再び足がすくんでいるようだ。
「当然です。昨日の試食会は、あくまで宣伝。私たちの本当の商売は、ここからですよ」
私は長い棒を杖代わりに、ズンズンと泥の中を進んでいく。
背中には、アレクの荷車から拝借した丈夫な麻ロープと、金属製のフック。そして、特製の練り餌を入れた木箱を背負っている。
「帰ろうぜ、ハル。大銀貨一枚は魅力的だけど、命あっての物種だろ? 昨日の反応を見る限り、ポテトだけでも十分人気者になれるじゃないか」
「ポテトは『おやつ』です。マリーの体を本当に丈夫にするには、良質なタンパク質が絶対に必要なの」
私は沼の中央、水面が淀んでいるあたりを指差した。
ポコッ、ポコッ。
時折、水面から大きな気泡が上がっている。
「いますね。あの気泡の大きさ……推定二メートル級です」
「に、二メートル!? 人間よりデカいじゃねぇか!」
「ええ。最高の肉質ですよ」
私がロープの準備を始めようとした、その時だった。
「待ちなさい!!」
背後から、しわがれた、しかし必死な叫び声が響いた。
振り返ると、村長を先頭に、数人の村人たちが息を切らして駆け寄ってくるところだった。
昨日、広場でポテトを食べて涙を流し、笑顔になっていた人たちだ。けれど今は、恐怖と焦りで顔を強張らせている。
「村長……」
「ハル! それにアレク! お前たち、本気であの『ぬし』に手を出すつもりか!」
村長は杖を突き、悲痛な顔で訴えた。
「やめるんじゃ! 昨日のポテトは確かに美味かった。わしも驚いたし、村のみんながお前に感謝しておる。……だからこそじゃ!」
村長の声が震えた。
「だからこそ、お前を死なせるわけにはいかん! ここは『冥府の使い』の住処だ。あんな化け物を怒らせたら、お前たちだけじゃなく、村ごと祟られる!」
「そうだぞハルちゃん! あんたはもう、村の希望なんだ。危ないことはやめてくれ!」
「マリーちゃんを独りぼっちにする気か!」
彼らの言葉は、ポテトを食べる前のような「馬鹿にする」響きではない。
昨日の奇跡を見たからこそ、「才能あるハルを、こんなことで失いたくない」という、純粋な親心と恐怖が混じっている。
無料で振る舞ったポテトの恩義があるからこそ、彼らは本気で私を守ろうとしてくれているのだ。
アレクが気まずそうに私を見た。
「おいハル、どうする? みんな本気で心配してくれてるぞ。……ここで引くのも勇気じゃないか?」
私はロープを持ったまま、ゆっくりと村長たちの方へ向き直った。
そして、静かに、けれど力強く語りかけた。
「村長。昨日のポテト、本当に美味しかったですよね?」
村長がビクリと肩を震わせる。
「う、うむ。あれは生涯で一番の美味じゃった。……じゃが、それとこれとは」
「同じです」
私は一歩踏み出した。
「一昨日まで、皆さんはあの芋を『家畜の餌』だと言って忌み嫌っていました。毒がある、泥臭い、食べ物じゃないと。……でも、違いましたよね?」
村人たちが押し黙る。
昨日の、あの衝撃的な美味しさ。体が温まり、力が湧いてきた感覚。
その事実が、彼らの喉元に突きつけられる。
「私が証明したのは、『調理法さえ知っていれば、嫌われ者も宝物に変わる』ということです」
私は沼の方を振り返り、濁った水面を睨みつけた。
「あの『ぬし』も同じです。皆さんが化け物だと思って恐れているあれは、ただの大きな魚です。泥臭いのは泥抜きをしていないから。祟りだと言われる熱病は、生焼けで食べた食中毒に過ぎません」
「し、しかし……相手は二メートルもあるんじゃぞ!? 芋とはわけが違う! 食われるのはお前の方かもしれんのじゃぞ!」
村長が食い下がる。
「ええ、危険です。だからこそ、私だけじゃなく、行商人のアレクさんがいてくれるんです」
私が水を向けると、アレクが「えっ、俺!?」と目を丸くした。
私は小声で
「昨日あんなに大口叩いたんだから、ここで男を見せなきゃ商売あがったりですよ」
と囁く。
アレクは一瞬迷ったが、すぐに覚悟を決めた顔になり、村人たちの前に進み出た。
「……あー、村長さん。俺からも言わせてくれ」
彼は胸を張った。
「俺はこの村についた日、ハルの料理で救われた。あのポテトを食ったアンタらなら分かるはずだ。このハルって娘は、食い物に関しては嘘をつかねぇ。こいつが『美味い』って言ったら、沼の主だって極上の料理になるんだよ!」
アレクの熱弁に、村人たちが揺れる。
外部の人間である商人が、命を賭けてまでそこまで言うのか。
そして何より、昨日食べたポテトの味が、彼らの舌と記憶に強烈な説得力として残っている。
「……わかった」
村長が深いため息をついた。
「ハルの頑固さは、死んだ父親譲りじゃな。……止めても無駄か」
「はい。マリーに、もっと美味しいものを食べさせてあげたいんです」
「ならば、好きにするがいい。……ただし!」
村長は鋭い目で私とアレクを見た。
「わしらはここから動かんぞ。もし危なくなったら、すぐに助けに入る。……昨日のポテトの恩を、死体で返されたくはないからな」
「村長……!」
周りの村人たちも、鍬や鋤を握りしめ、頷いている。
彼らはもう、ただの野次馬じゃない。
昨日の「美味しい記憶」によって結ばれた、頼もしい味方だ。
「ありがとうございます! ……さあアレクさん、最高のショーを見せましょう!」
「おう! 観客が味方なら百人力だ!」
私は木箱を開けた。 中に入っているのは、特大のミミズと、昨日のポテトの皮や『犬泣かせ』をすり潰して作った特製の練り餌団子だ。 強烈な匂いが漂う。
「ナマズは嗅覚が鋭い。この匂いで、泥の底から引きずり出します」
私はフックに餌をたっぷりと付け、ロープの端を近くの太い木の幹に結びつけた。
そして、思い切り腕を振りかぶる。
ドボンッ!!
餌が沼の中央に沈んでいく。
静寂。
村人たちが固唾を飲んで見守る中、私はロープの感触に集中する。
十分。二十分。
……ピクン。
(――来た)
小さな前アタリ。
巨大な口が、餌を吸い込もうとしている。
まだだ。まだ合わせるな。
もっと深く。胃袋の底まで飲み込め。
揚げたポテトの皮の味はどうだ?
美味いだろう?
ズズ……グググッ……!
重い。岩が動くような重厚な引きが伝わってくる。
「アレクさん、構えて!」
「おう!!」
瞬間、ロープが一気に走った。
「今だぁぁぁぁっ!!」
私が叫び、アレクと共に全力で合わせを入れる。
フッキング成功。
ドォォォォォォン!!
沼が爆発した。 水面を割り、黒い巨体が躍り出る。
泥飛沫と共に現れたその姿に、村人たちから悲鳴が上がった。
「で、でけぇぇぇぇ!!」
「本当に主じゃ! 本物の化け物じゃ!」
ナマズは太い尾で水面を叩き、激しく暴れまわる。
その力は凄まじく、私とアレクの体はずるずると沼の方へ引きずられていく。
ミシミシとロープが悲鳴を上げる。
「ぐっ、うおおおっ! なんだこの馬鹿力は!」
「アレクさん、踏ん張って! ここが正念場よ!」
ダメだ、止まらない。
計算外の重量。泥の足場の悪さ。
あと数メートルで、足場のない深みだ。
死ぬ気で踏ん張る私の足元が、ズルっと滑った。
「しまっ――!?」
バランスが崩れ、体が前に飛ぶ。 沼が迫る。
(くっ……ここまで来て、終わり!?)
私が死を覚悟した、その時だった。
「若者たちよ、行けぇぇっ!!」
村長の号令が響いた。
同時に、背後から無数の手が伸びてきた。ガシッ、と私の腰や腕が掴まれる。
「ハルちゃんを死なせるな!」
「昨日のポテトの恩を返すんだ!」
「引けぇぇぇぇ!!」
三人、四人。
村の男たちが次々と泥の中に飛び込み、ロープに食らいついた。
圧倒的な「人の力」。
かつては主を恐れて沼に近づかなかった彼らが、今はハルを守るために、恐怖を乗り越えて戦っている。
「みんな……!」
目頭が熱くなるのを堪え、私は叫んだ。
「行きますよ! 一気に陸へ上げろぉぉ!」
「「「オオオオオオオッ!!!」」」
男たちの咆哮と共に、最後の一引き。
ズズ……ドスンッ!!
黒光りする巨大な物体が、泥の岸辺に引きずり出された。
陸に上がってもなお暴れまわるその姿は、まさに悪夢。
けれど、誰も逃げない。
「やった……! 主を、陸に上げたぞ!」
「勝った! 俺たちの勝ちだ!」
歓声が上がる中、私は泥だらけのまま獲物に駆け寄った。
懐から短剣を取り出す。
恐怖はない。あるのは、この最高の食材に対する敬意と、協力してくれた村人たちへの感謝だけ。
「ありがとう、主様。……あなたの命、村のみんなで美味しく頂くわ」
私は迷いなく、脳天の急所にナイフを突き立てた。
ビクン、と巨体が跳ね、そして動かなくなった。 完璧な神経締め。
「し、死んだか……?」
村長がおずおずと尋ねる。
「ええ。もう動きません」
私が答えると、ようやく村人たちの緊張が解け、安堵のため息が漏れた。
そして次の瞬間、誰かが気づいて声を上げた。
「おい見ろ! 沼の水面!」
全員が沼を見る。
主がいなくなった水面で、パシャパシャと無数の魚が跳ねていた。
一メートル級の中型ナマズたちだ。
天敵がいなくなった解放感で、一斉に動き出したのだ。
「……ハル。これは……」
アレクが呆然と呟く。
「ええ。やっぱりいましたね」
私はニヤリと笑った。
「この沼は、主だけのものじゃなかったんです。主がいなくなれば、あとはこの『手頃なサイズ』が獲り放題。……村長、これからはこの沼が、村の食料庫になりますよ」
「な、なんということじゃ……」
村長はその場にへたり込んだ。
それは絶望ではない。長年、恐ろしい禁足地だと思っていた場所が、実は宝の山だったと知った衝撃と、これからの希望に対する震えだった。
「さあ、アレクさん! 荷車を回してください!」
私は高らかに宣言した。
その背中には、もう昨日のような「可哀想な村娘」の影はない。
村の運命を背負う、若きリーダーの風格が漂っていた。
「広場へ運びます! 今夜は約束通り、村のみんなで祝勝会です! ポテトを超える、極上の『蒲焼』を振る舞いますよ!」
村人たちが「おおぉっ!」と沸き立つ。
もう誰も「食べたくない」なんて言わない。
彼らの口の中は、昨日のポテトの記憶と、これから振る舞われる未知のご馳走への期待で、すでに唾液の大洪水だったのだ。
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