最終話:本当の「ごちそうさま」
最終話までお付き合でいただき、本当にありがとうございます。
温かい応援のおかげで、頑張れました。
どうぞお楽しみください!
月日は流れ、季節は巡る。
北の果て、シルヴァリア王国に、また冬がやってきた。
窓の外では、白い雪が静かに降り積もっている。
かつて、この国において冬とは「死」と同義だった。
凍える風、閉ざされた道、そして空っぽの胃袋。
人々は身を寄せ合い、ただ春が来るのをじっと待つことしかできなかった。
けれど、今の領都バルトの夜は、そんな暗い記憶を塗り替えるほどに明るく、温かい。
カラン、カラン!
「いらっしゃいませー! 雪の中ありがとうございます! 2番テーブル、リセット終わってます! ご案内して!」
領都の一等地に店を構える『キッチン・ハルカゼ』の扉が開くたび、活気ある声と、胃袋を掴んで離さない芳醇な香りが通りへと溢れ出す。
店内は、満員御礼だ。
仕事帰りの職人、家族連れの商人、噂を聞きつけて遠方から訪れた貴族。
身分も年齢も違う彼らが、同じテーブルで肩を並べ、同じ料理に笑顔を咲かせている。
「店長! 『特上重』追加で3つ入りました!」
「こっちの『雪解けポテト』も上がります! 運んで!」
ホールでは、お揃いの制服を着た若い従業員たちが、キビキビと動き回っている。
かつて3人だけで回していた店は、今や10人以上のスタッフを抱える大所帯となっていた。
その中心で指示を出しているのは、美しく成長した少女だ。
マリー。14歳になった彼女は、看板娘であると同時に、ホール全体を統括する頼れるリーダーへと成長していた。
栗色の髪を高い位置で結び、エプロンを翻す。
その足元には、少し擦り切れたけれど、手入れの行き届いた「赤い靴」が輝いている。
「マリーさん、あちらのお客様がおすすめのワインを知りたいそうです!」
「了解! すぐに行くわ!」
彼女が笑うだけで、店の中がパッと明るくなる。まさに『ハルカゼ』の太陽だ。
厨房の奥、炎と蒸気の中心に立つのは、この店のオーナーシェフ、ハルだ。
23歳になった彼女は、白いコックコートに身を包み、変わらぬ鋭い眼差しで炭火と向き合っている。
その横には、ハルの技術を受け継ごうと必死な見習いの料理人たちが並び、野菜のカットや盛り付けに追われていた。
「焼き上がり! ……盛り付け頼むわね。タレは多めで!」
「はいっ、シェフ!」
ジュワァァァァァ……ッ!
香ばしい煙が立ち上り、店内の空腹を極限まで刺激する。
「お待たせしました! 当店自慢の特上です!」
カウンターから出てきたのは、アレクだ。
25歳になった彼は、大商会の主としての貫禄を漂わせながらも、忙しい時間帯にはこうして自ら現場に立っている。
その左手の薬指には、ハルとお揃いの銀の指輪が光っていた。
客が一口頬張り、至福の表情を浮かべるのを見て、アレクは満足げに頷き、厨房のハルに向かって親指を立てた。
ハルもまた、フライパンを振りながら微笑み返す。
言葉はいらない。
「美味しい」という事実だけで、二人はどこまでも深く繋がっていた。
◇
嵐のようなディナータイムが過ぎ去り、最後の客を見送った後。
従業員たちを先に帰し、「CLOSE」の看板を掲げた店内に、穏やかな静寂が戻ってきた。
暖炉の火がパチパチと爆ぜる音だけが響く中、三人は一番奥のテーブルを囲んでいた。
遅めの夕食――家族団らんの時間だ。
テーブルに並ぶのは、売れ残った料理ではない。
ハルがこの時間のために特別に用意した、とびきりのご馳走だ。
山盛りのフライドポテト。
野菜がゴロゴロ入ったクリームシチュー。
そして、照り輝くナマズの蒲焼が乗った、特大の丼。
「いっただっきまーす!」
マリーが誰よりも早く手を合わせ、フォークを突き刺した。
ガブッ! と大きな口でポテトを頬張る。
「ん〜っ! やっぱりお姉ちゃんのポテトは世界一! 新人君の揚げ方も上手になったけど、やっぱりお姉ちゃんには敵わないや!」
「ふふ、年季が違うもの。マリーこそ、新人の指導お疲れ様」
「マリー、お前また背が伸びたんじゃないか? どんだけ食うんだよ」
アレクが呆れたように笑いながら、自分の分のビールを注ぐ。
「だーって、お腹空いてるんだもん!今日はランチからずっと走り回ってたから、お腹と背中がくっつきそうだったの!」
マリーは言い訳しながらも、次は蒲焼へと箸を伸ばす。
ふっくらとした白身と、濃厚なタレのハーモニー。
それを白いご飯と一緒にかきこむ。
ハルはその様子を、頬杖をついて眺めていた。
幸せだ。
ただ、人が食べている姿を見ているだけで、こんなにも胸が温かくなるなんて。
数年前まで、食事とは「戦い」だった。
明日生き延びるために、少しでもカロリーを摂取する。
不味くても、泥臭くても、飲み込むしかなかった。
けれど今は違う。
ここには「美味しい」があり、「楽しい」があり、そして「安心」がある。
私たちが作ったんだ。
泥の中から、アレクと一緒に、頼もしい仲間たちと一緒に。
この温かい場所を。
「……んぐ、んぐ。ぷはぁっ!」
マリーは、あっという間に特大の丼を空にした。
さらにポテトの大皿も平らげ、シチューも最後の一滴までパンで拭って食べた。
大人顔負けの、見事な食べっぷりだ。
マリーは椅子に深くもたれかかり、ぽんぽんと自分のお腹を叩いた。
そのお腹は、狸のように可愛らしく膨らんでいる。
「あー、苦しい! もう一口も入らないよぉ」
マリーは天井を仰いで、幸せそうに言った。
「お姉ちゃん、私もうお腹いっぱい!」
――その言葉を聞いた瞬間。
ハルの時間が、不意に止まった。
『お姉ちゃん、私もうお腹いっぱい』
脳裏に蘇るのは、9年前のあの冬の日。
隙間風が吹くボロ家。
備蓄が尽き、残っていたのは、土塊のように小さく、独特の臭みがある「オークの足指」だけ。
茹でても不味いその芋を、5歳のマリーは私の皿に押しやった。
ガリガリに痩せ細り、お腹がグーグー鳴っているのに、私のために嘘をついて。
あの時の「お腹いっぱい」は、悲しくて、冷たくて、胸が張り裂けそうな「嘘」だった。
ハルの視界が、不意に潤んだ。
目の前には、暖炉の光に照らされた、温かいレストラン。
隣には、最愛の夫アレク。
そして正面には、健康そのものの体で、本当に苦しそうに、けれど最高に幸せそうに笑っているマリーがいる。
嘘じゃない。
もう、誰も嘘をつかなくていい。
ここにあるのは、積み上げてきた事実だけだ。
「……ハル?」
アレクが心配そうに顔を覗き込む。
「どうした、泣いてるのか?」
「えっ、お姉ちゃん? 私、食べ過ぎて怒ってる?」
マリーも慌てて身を起こす。
ハルは慌てて涙を拭い、首を横に振った。
そして、今までで一番優しい笑顔を、二人に向けた。
「ううん。……違うの」
ハルは、マリーの膨らんだお腹を愛おしそうに撫でた。
温かい。命の熱さが、手のひらから伝わってくる。
「嬉しくて。……マリーのその言葉を聞くために、私は料理をしてきたんだなって」
「え? どういうこと?」
マリーがキョトンとする。
ハルはマリーの手を握り、そしてアレクの手を握った。
あの日の絶望的な嘘が、今日の幸福な真実に変わった。
それこそが、私が手に入れた一番の宝物。
「ええ……。本当にお腹いっぱいね」
ハルの言葉に、アレクは全てを察したように優しく微笑み、強く手を握り返してくれた。
マリーはよく分からない顔をしながらも、つられてニヘラと笑った。
「うん! お腹いっぱい! 世界一幸せ!」
窓の外では、まだ雪が降り続いている。
けれど、この店の中には、永遠に冷めることのない春があった。
ハルは空になった皿たちを見渡し、心の中で、天国の両親と、かつての自分自身に向かって、静かに呟いた。
――召し上がれ。そして、ありがとう。
「さあ、片付けたら帰ろうか。明日の仕込みも早いぞ」
「えー、アレクお兄ちゃん、もう少しゆっくりしようよー」
「だめだ。商人は早起きが基本だ」
「ふふ、じゃあ私がお皿を洗うわね」
賑やかな声が、夜更けの街に溶けていく。
キッチン・ハルカゼの灯りは、これからもずっと消えることはない。
空腹を満たし、心を満たし、明日への活力を与える「ごちそう」がある限り。
本当の「ごちそうさま」が聞こえる、その場所で。
(完)
皆さまの年末年始の暇つぶしになればと思い、書き上げました。
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