帰郷と花嫁
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北の果て、シルヴァリア王国。
この地に、再び春が巡ってきた。
かつて、この季節は「飢え」と「絶望」の象徴だった。
道は泥沼と化し、食料は尽き、人々は寒さに震えてただ嵐が過ぎるのを待つしかなかった「死の季節」。
あれから5年の歳月が流れた。
今の「ノワ村」に、その暗い影は欠片も残っていない。
「おーい! 樽を運べ! 酒が足りなくなるぞ!」
「こっちのテーブルには『黄金のフリット』を追加だ! 揚げたてを持っていけ!」
「楽団! もっと賑やかな曲を頼む! 今日は村始まって以来の晴れ舞台なんだからな!」
村の中央広場は、爆発的な喜びに包まれていた。
石畳で舗装されたメインストリートには、色とりどりの花輪が飾られ、各家の窓からはシルヴァリア王国の国旗と、この村のシンボルである「ナマズと芋の葉」がデザインされたハルカゼの旗がはためいている。
今日は、特別な日だ。
この村を救い、貧困の泥沼から黄金の未来へと導いた英雄たちの、結婚式なのだから。
◇
広場に設置された特設会場には、信じられないような顔ぶれのゲストが集まっていた。
「いやはや、まさかこんな辺境の村まで来ることになるとはな」
上座で上機嫌にワインを傾けているのは、この地方の領主、バルト伯爵だ。
「しかし、見てみたまえグルマン君。この村の活気を。5年前の廃墟同然の姿が嘘のようだ」
「ええ、ええ。全くです」
隣に座るグルマン代官は、感涙にむせびながら、皿に山盛りになった料理を頬張っている。
「そして何より、この料理! 村の祝宴で『特上蒲焼』が振る舞われるなど、王都の貴族でもありえませんぞ!」
会場に漂っているのは、ハルとアレクがこの5年間で積み上げてきた「軌跡の香り」だ。
醤油と砂糖が炭火で焦げる、暴力的なまでに食欲をそそる甘辛い匂い。
行者ニンニクとバターの、背徳的なアロマ。
そして何より――二人の原点である、油でカリッと揚げられた泥芋の香ばしい匂い。
村人たちも、ゲストたちも、今日ばかりは無礼講とばかりに笑い、飲み、食らっている。
「ガットさん! またお代わりですか?」
「おうよ! ハルちゃんの晴れ姿を見ながら食うナマズは格別だからな!」
豪快に笑うのは、冒険者のガットとその仲間たちだ。
かつて、ハルの屋台の「最初のお客様」となり、常連として店を支え続けてくれた彼らも、最前列でジョッキを掲げている。
そこにあるのは、ハルが夢見た「食卓の理想郷」そのものだった。
◇
その頃、村の集会所を改装した控え室では。
「……どう? マリー。変じゃないかな?」
純白のウェディングドレスに身を包んだハルが、恥ずかしそうに振り返った。
村の女性たちが、ハルのために手織りした麻と綿のレースで作られた、素朴だが温かみのあるドレスだ。
19歳になり、大人の女性としての気品と美しさを手に入れたハル。
その黒髪は艶やかに輝き、白いヴェールがふわりと肩を覆っている。
「ううん! 変じゃないよ!」
鏡の向こうで、今年10歳になったマリーが目を輝かせて飛び跳ねた。
「お姉ちゃん、世界一きれい! お姫様みたい!」
マリーもまた、淡いピンク色のドレスでおめかしをしている。
10歳になった彼女は、もう幼児ではない。背も伸び、少女としての愛らしさを湛えている。
かつて栄養失調でガリガリだった面影はどこにもなく、その頬は薔薇のように健康的だ。
そして、その足元には・・
「その靴も、似合ってるわよ」
ハルが微笑む。
マリーが履いているのは、真新しい「赤い靴」だ。
かつてアレクが買ってくれた最初の靴は、もう小さくて入らない。
これは、成長したマリーのために新調された、三代目の赤い靴。
サイズは大きくなったけれど、その輝きはあの日と同じだ。
「うん! 私、赤い靴大好きなの! 魔法の靴だもん!」
マリーは嬉しそうにステップを踏んだ。
コンコン、とドアがノックされた。
「ハル、そろそろ時間だぞ」
ドアが開くと、タキシード姿のアレクが立っていた。
21歳になった彼は、青年の若々しさと、大人の男の貫禄を併せ持っている。
赤毛を整え、少し緊張した面持ちの彼は、見違えるほど凛々しかった。
ハルの姿を見た瞬間、アレクは息を呑み、言葉を失った。
「……どう、かな?」
「……ああ。すげぇ」
アレクは照れ隠しのように鼻の下を擦り、優しく微笑んだ。
「俺には勿体ないくらいの、最高にいい女だ」
「もう、バカ言わないで」
ハルも頬を染めて笑う。
「行こう、ハル。みんなが待ってる」
アレクが手を差し出す。
ハルはその手をしっかりと握り返した。
「ええ、行きましょう。……私の、旦那様」
◇
教会の鐘が高らかに鳴り響く。
フラワーシャワーの花びらが舞う中、新郎新婦が広場のレッドカーペットを歩いてくる。
割れんばかりの歓声と拍手の中、二人は祭壇の前へと進んだ。
村長による誓いの言葉、指輪の交換、そして誓いのキス。
温かな祝福に包まれ、式は滞りなく進んでいく。
乾杯の準備に入ろうとしたその時、バルト伯爵が進み出た。
「おっと、乾杯の前に……実は本日、王都より『意外な人物』から祝電が届いているのだ」
アレクとハルが顔を見合わせる。
伯爵はニヤリと笑い、一枚の羊皮紙を広げて読み上げた。
『――頑固で生意気な料理人ハル、および商人アレクへ。
貴様らが泥の中で育んだ愛になど興味はないが、あの「白身魚」の味に免じて、一言だけ祝辞を送ってやる。
せいぜい、そのふざけた才能で、王国の食文化を底上げすることだ。
……追伸。新婚旅行で王都に来る際は、必ず私の屋敷に顔を出せ。
最高の食材を用意して待っている。もし私の舌を退屈させたら、その時は即刻逮捕する。
王立美食院 第一席査察官 バルガス』
読み上げられた瞬間、会場は一瞬の静寂の後、どっと笑いに包まれた。
「なんだあの堅物、デレデレじゃないか!」
「屋敷に来いって、また食べたいだけだろ!」
ハルとアレクも、思わず吹き出してしまった。
かつての最強の敵からの、不器用すぎる祝福。
それは、二人の勝利を決定づける、最高のトロフィーだった。
◇
宴もたけなわとなった頃。
村長が静かに告げた。
「では、最後に。花嫁から、感謝の手紙があるそうじゃ」
会場が静まり返る。
ハルは一度深呼吸をし、懐から一枚の手紙を取り出した。
アレクが隣で、そっと背中を支えてくれる。
ハルは、空を見上げた。
そこには、春の柔らかな青空が広がっていた。
「……天国にいる、お父さん、お母さんへ」
震える声での第一声。
それだけで、最前列にいた村のお婆さんたちが鼻をすすり始めた。
「聞こえますか。……私たちは、生きています」
ハルは言葉を紡ぐ。
「7年前の冬、お父さんとお母さんが流行り病で逝ってしまった時……私は、もうダメだと思いました。 備蓄は尽きて、家には隙間風が吹き込んで。マリーの手がどんどん冷たくなっていくのを、私はただ抱きしめて温めることしかできませんでした」
会場のあちこちから、嗚咽が漏れ始める。
誰もが知っている景色だ。
あの当時、冬は誰もが死を覚悟していた。
「村のみんなに助けてもらいながら、なんとか過ごしてきました。
でも2年前のあの日、マリーが私に『お腹いっぱい』と嘘をついた時、私は自分の無力さが悔しくて、情けなくて……死にたいとさえ思いました。
でも、その時です。寒空の中、一人の男の人が、泥だらけになって現れたんです」
ハルは隣のアレクを見上げた。
アレクは照れくさそうに、けれど優しく微笑んでいる。
「彼は、私が作った粗末な芋料理を食べて、目を丸くして言いました。
『こんな美味いものは食べたことがない』って。
ただの芋なのに。泥だらけの手で作った料理なのに。
私の料理に、彼だけが『価値』を見出してくれたんです」
アレクの目から、一筋の涙が伝い落ちる。
彼もまた、思い出していたのだ。あのボロ家で食べたフライドポテトの味を。
それが全ての始まりだったことを。
「あの言葉が、私の止まっていた時間を動かしてくれました。
嫌われ者の芋を黄金に変えて。
忌み嫌われたナマズを宝物に変えて。 ……彼は、私たちに『未来』を見せてくれたんです」
ハルは涙を拭い、客席を見渡した。
「お父さん、お母さん。見てください。
今のノワ村は、こんなにも賑やかです。
みんな笑っています。お腹いっぱい食べています。
マリーは、こんなに大きくなりました。もう、ひもじい思いなんてさせません」
ハルは声を詰まらせながら、最後の言葉を告げた。
「私は今……世界で一番、幸せです」
ハルが手紙を下ろした瞬間。
わぁっ、と会場中から泣き声混じりの歓声が上がった。
ガットたちはジョッキを持ったまま男泣きし、グルマン代官はナプキンで顔を覆って号泣している。
誰もが、彼女たちの苦難を知っていた。だからこそ、この「幸せ」という言葉の重みが、胸に突き刺さるのだ。
「……ハル」
アレクが、泣き崩れそうなハルを強く抱きしめた。
「ああ、お前は世界一幸せにならなきゃ嘘だ。俺が、一生守り抜いてやる」
「うん……うん……! ありがとう、アレク……!」
二人が抱き合う感動的な光景。
しかし、そこに「待った」をかける小さな影があった。
「ずーるーいー! 私もー!」
ピンク色のドレスをなびかせて、マリーが特攻してきたのだ。
彼女は涙でぐしゃぐしゃの顔で、二人の間に飛び込んだ。
「わっ、マリー!」
「おっと、危ないな」
ハルとアレクは慌てて受け止め、そして顔を見合わせて吹き出した。
二人は同時に、マリーをぎゅっと抱きしめ返した。
真ん中に、天使のように愛らしいマリー。
その右側に、涙を拭って微笑む美しい花嫁ハル。
左側に、頼もしく家族を支える花婿アレク。
三人が一つの塊になって笑い合うその姿は、まるで一枚の聖画のように美しく、尊いものだった。
春の風が吹き抜ける。
その風には、香ばしい料理の匂いと、大地の匂い、そして未来への希望の香りが混じり合っていた。
かつて「死の村」と呼ばれた場所は、今、世界で一番温かい食卓となっていた。
泥の中から始まった、小さな屋台の物語。
それは多くの人々のお腹と心を満たし、こうして最高の「ごちそうさま」へと辿り着いたのだ。
「さあ、みんな! 今日は食べて、飲んで、歌ってくれ!」 アレクが涙を拭い、高らかに叫ぶ。
「料理はまだまだあるわよ! お腹いっぱいになるまで、帰さないから!」
ハルが満面の笑みで続く。
「いただきます!」
マリーの声が、どこまでも広がる青空に吸い込まれていく。
ノワ村の春は、いつまでも、いつまでも終わらないような、眩しい光に包まれていた。
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次回、最終話です。最後までお付き合いください。
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