白身魚の正体
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迎賓館の大広間は、奇妙な熱気に包まれていた。
先ほど供された「命のスープ」と「根菜のロースト」。
一見すると質素な「泥料理」が、王族であるエレオノーラ大公妃を唸らせ、敵であるバルガスにさえ「この泥と水は素晴らしい」と言わしめたのだ。
ハルとアレクが築いた包囲網は、完成しつつあった。
外堀は埋まった。
バルガスは「環境(泥と水)」を認めてしまった。
あとは、本丸を落とすだけだ。
「……では、メインディッシュをお持ちいたします」
ハルの合図と共に、アレクが恭しくワゴンを進める。
その上に乗っているのは、銀の蓋で覆われた皿が二つ。 バルガスは、探るような目でワゴンを睨みつけていた。
(フン、野菜と水で小細工をしたようだが、所詮はごまかしだ。メイン料理となれば、そうはいかん)
彼の思考は、まだ貴族特有の傲慢さに支配されていた。
(私が禁じたのは「ナマズ」だ。あの店からナマズを奪えば、残るは貧相な川魚か、質の悪い豚肉程度だろう。……粗探しをして、徹底的に叩きのめしてくれる)
「どうぞ、お召し上がりください」
アレクが、流れるような所作で二人の前にあるクローシュを開けた。
ふわり。
立ち上ったのは、芳醇な焦がしバターの香りと、爽やかなレモンの酸味、そして食欲を強烈に刺激するハーブのアロマだった。
「……ほう?」
大公妃が目を見開く。
バルガスもまた、意表を突かれて息を呑んだ。
皿の上に乗っていたのは、見たこともないほど美しい「白身魚」だった。
分厚い切り身は純白で、表面には黄金色の焼き目が完璧につけられている。
バターソースが艶やかに絡み、添えられた緑色のハーブが彩りを添える。
どこからどう見ても、王都の超一流レストランで出される高級魚のムニエルだ。
あの、黒くてヌルヌルした「ナマズ」の面影など、微塵もない。
「これは……美しいな」
バルガスは思わず呟いた。
彼の「生理的な嫌悪感」を刺激する要素が、どこにもないのだ。
白く、清らかで、高貴な輝きを放っている。
「『清流の白雪』のムニエル、香草バターソース仕立てでございます」
ハルが静かに仮の料理名を告げる。
「白雪、か。聞いたことのない名だが……」
バルガスは警戒を解き、ナイフとフォークを手に取った。
(見た目は合格だ。だが、味はどうかな? 辺境の魚など、どうせ泥臭くてパサパサに決まっている)
彼は冷笑を浮かべながら、ナイフを入れた。
その瞬間、指先に伝わる感触に驚愕する。
サクッ……。
表面の香ばしい焼き目を突破すると、ナイフは抵抗なく沈んでいく。身が、信じられないほど柔らかく、ふっくらとしているのだ。
切り分けた一片を、口へと運ぶ。
――衝撃が、走った。
「ッ……!?」
バルガスの目が、カッと見開かれる。
美味い。
いや、美味いという言葉では足りない。
カリッと焼かれた表面の食感の直後、口の中で解けるように広がる、上質な脂の甘み。
白身魚とは思えないほど濃厚なコクがあるのに、後味は驚くほど軽い。
泥臭さ? 皆無だ。
あるのは、先ほどスープで感じた「清らかな水」の気配と、大自然の生命力のみ。
バターの濃厚さとレモンの酸味が、魚のポテンシャルを極限まで引き上げている。
(なんだこれは……! 舌の上で溶けるぞ! ヒラメか? いや、それよりも脂が乗っている。タイか? いや、それよりも身が柔らかい。……至高だ!)
バルガスの手が止まらない。
批評することなど忘れ、二切れ、三切れと無心で口に運んでしまう。
人間が本能的に求める「脂」と「タンパク質」の極致。
脳髄が痺れるほどの快楽物質が溢れ出す。
「……素晴らしい」
沈黙を破ったのは、大公妃だった。
彼女もまた、恍惚とした表情でフォークを置いていた。
「身の締まり、脂の乗り、そして焼き加減。どれをとっても一級品だ。王宮の晩餐会でも、これほどの魚料理には滅多にお目にかかれない」
「は、はい……おっしゃる通りでございます、殿下」
バルガスは、夢心地のまま同意した。
もはや、粗探しなど不可能だった。自分の舌が、胃袋が、この料理に屈服している。
「バルガスよ。お前はこの魚を知っているか?」
大公妃に問われ、バルガスは知ったかぶりをして頷いた。
「ええ、まあ……北方の清流にのみ棲むという幻の魚でしょう。この透き通るような白身、上品な脂……まさに『魚の宝石』ですな」
そして、彼はここぞとばかりにハルたちを見下し、勝ち誇ったように言った。
「見直したぞ、料理人。最初からこれを出せばよかったのだ。あの『ナマズ』などという、黒くて汚らわしい魔物ではなく、このような素晴らしい食材を使えば、私も文句など言わなかったものを」
バルガスは高笑いした。
「まさに雲泥の差だ! あの泥魚が地べたを這う虫なら、この魚は天を舞う白鳥だ。これこそが、私が求めていた『高貴なる美食』なのだよ!」
言い切った。
大公妃の前で、高らかに宣言してしまった。
「ナマズはゴミで、この魚は至高だ」と。
その瞬間。
ハルとアレクの視線が交差した。
かかった。
完璧に、罠にかかった。
ハルは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、勝利を確信した勝負師のように、鋭く輝いていた。
「ありがとうございます、バルガス様」
ハルの声が、静まり返った広間に響く。
「そこまで絶賛していただけて、料理人として本望です。……この魚も、きっと喜んでいることでしょう」
「うむ、うむ。で、この魚の本当の名は何と言うのだ? 今後、王都でも取り寄せたい」
バルガスが上機嫌で問う。
ハルは、一呼吸置き、堂々と告げた。
「その魚の名は――『ナマズ』です」
時が、止まった。
「……は?」
バルガスの笑顔が凍りつく。
彼は自分の耳を疑い、聞き返した。
「い、今……なんと言った?」
「ナマズです」
ハルは繰り返した。ハッキリと。逃げも隠れもせずに。
「あなたが『汚らわしい』と禁じ、『地べたを這う虫』と蔑んだ……あのナマズです」
「な、な、な……」
バルガスの顔色が、赤から青へ、そして土気色へと変わっていく。
彼は慌てて皿の上の白い身を凝視した。
「ば、馬鹿な! 嘘をつくな! ナマズは黒い! ヌルヌルしていて、もっと不気味な形をしているはずだ! こんな純白な身をしているわけがない!」
「いいえ、嘘ではありません」
ハルは一歩踏み出した。
「ナマズの黒さは『皮』だけです。丁寧に皮を引き、血合いを取り除けば、その身は誰よりも清らかな純白なのです。……あなたは見た目だけで『汚い』と決めつけ、中身を見ようとしなかった。
ただそれだけのことです」
「き、貴様ァッ!!」
バルガスが激昂し、椅子を蹴倒して立ち上がった。
「謀ったな!? 私は禁じたはずだ! ナマズの使用は禁止だと! これは命令違反だ! 即刻処刑してやる!」
「お待ちなさい」
雷のような声が落ちた。
エレオノーラ大公妃だ。
彼女は冷徹な眼差しで、取り乱すバルガスを射抜いた。
「バルガスよ。お前は先ほど、何と言った?」
「ヒッ……で、殿下……」
「『至高』だと言ったな。
『天を舞う白鳥』だと。『私が求めていた美食だ』と、確かに申したな?」
「そ、それは……騙されたのです! 中身がナマズだと知っていれば……!」
「知っていれば、不味いと言ったのか?」
大公妃の追求は鋭利な刃のようだった。
「味は変わらぬのに、名前を聞いただけで評価を変えると言うのか? ……それが、王立美食院の第一席査察官のすることか!」
「ッ……!!」
バルガスは言葉を詰まらせた。
逃げ道はない。
彼は自分の舌で「美味い」と認めてしまったのだ。
それを今更「ナマズだから不味い」と覆せば、それは「私は味のわからない無能です」と認めることになる。美食家としての社会的な死だ。
「それに、彼女は命令には背いておらん」
大公妃は淡々と言った。
「お前は『汚らわしい黒い魚』を禁じた。彼女は『黒い皮』を全て取り除き、美しい白身だけを提供した。
……そしてお前は、前菜のスープで『この泥と水は清らかだ』と認めている。
ならば、その中で育ったこの魚もまた、清らかであるという理屈は通るはずだ」
論理的にも、感覚的にも、完全に詰んでいた。
ハルが仕掛けた「泥のスープ」という布石が、ここで致命的な一撃となって効いてきたのだ。
バルガスは、わなわなと震えながら、ハルを睨みつけた。
だが、ハルは一歩も引かない。
その隣には、アレクが護るように立っている。
「……バルガス様」
ハルは静かに、しかし誇らしげに言った。
「これが、私たちが愛するナマズの『正体』です。泥の中で育ち、命を蓄えた、最高の食材です。……美味しかったですか?」
それは、勝利宣言だった。
「美味いか?」と聞かれて、「不味い」とは言えない状況を作った上での問いかけ。
バルガスは、悔しさで歯が砕けるほど食いしばった。
認めなくない。平民に、泥魚に負けたと認めたくない。
だが、口の中に残る脂の甘みは、残酷なまでに美味だった。
そして何より、大公妃の冷ややかな視線が「答えろ」と命じている。
「…………美味かった、よ」
絞り出すような、敗北の言葉。
バルガスはその場に力なく座り込んだ。
その瞬間、彼の「偏見」という名の鎧は粉々に砕け散った。
パン、パン、パン。
乾いた拍手の音が響く。
大公妃が、ハルたちに向けて拍手を送っていた。
それに続き、バルト伯爵、グルマン代官も、涙ぐみながら拍手をする。
「見事だ、料理人ハル。そして商人アレク」
大公妃は微笑んだ。
「お前たちは、偏見という泥を払い、真実の輝きを見せてくれた。……このナマズ料理は、我が国が誇るべき新たな食文化であると、私が認めよう」
「あ、ありがとうございます……!」
ハルの目から、こらえていた涙が溢れ出した。
アレクがハルの肩を抱く。彼の手も震えていた。
勝った。
権力にも、偏見にも、理不尽な命令にも。
自分たちの「味」だけで、全てをひっくり返したのだ。
バルガスは項垂れ、二度とハルたちの顔を見ようとはしなかった。
大広間に響く拍手の音は、キッチン・ハルカゼの勝利を告げるファンファーレのように、いつまでも鳴り響いていた。
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