命を育むスープ
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決戦の夜。
領都バルトの迎賓館にある大広間は、シャンデリアの煌びやかな光に満たされていたが、漂う空気は処刑台の上のように張り詰めていた。
長テーブルの上座には、今宵の主賓であるエレオノーラ大公妃が座っている。
銀髪を高く結い上げ、隙のないドレスを纏った老婦人。
その眼光は鋭く、並べられたカトラリーの曇り一つも見逃さない厳しさがある。「鉄の女」の異名は伊達ではない。
その右隣には、王立美食院の査察官バルガス。彼は大公妃の顔色を伺いながらも、時折、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
対面に座るバルト伯爵とグルマン代官は、もはや生きた心地がしていないようだった。
「……バルガスよ。本当にこの辺境に、私の舌を満足させる料理などあるのか?」
大公妃が、氷のような声で問う。
「ええ、ええ。伯爵がどうしてもと言うものですから。……まあ、平民の作る『泥遊び』のような料理ですが、田舎の珍味として笑ってやっていただければ」
バルガスはハンカチで口元を抑え、下卑た笑いを漏らした。
彼のシナリオは完璧だ。
ハルたちが失敗し、大公妃が不機嫌になれば、即座に「不敬罪」として断罪する。
そうすれば、自分の手は汚さずに邪魔者を消せる。
――その時、重厚な扉が開いた。
静寂の中、ワゴンを押して現れたのは、正装に身を包んだアレクだ。
洗練された所作。その表情には、微塵の怯えもない。
そして、厨房からはハルも姿を現し、テーブルの前に整列して深く一礼した。
「本日は、遠路はるばるお越しいただき光栄に存じます」
ハルの声は凛としていた。
「当店のシェフ、ハルと申します。……今宵は、我が故郷ノワ村の『大地』をテーマにしたコースをご用意いたしました」
「大地、だと?」
バルガスが眉をひそめる。
アレクが恭しく、最初の一皿を客たちの前に置いた。
銀の蓋が被せられている。
「では、一品目。……『命のスープ』でございます」
アレクがクローシュを開ける。
その瞬間、バルガスは目を剥き、あからさまに顔をしかめた。
「なっ……なんだこれは!?」
現れたのは、飾り気のない深皿に入った、茶色く濁った液体だった。
具材は見当たらない。華やかな彩りもない。
まるで、雨上がりの水たまりを掬ってきたような見た目だ。
「貴様……正気か? 大公妃殿下の御前に、このような泥水のようなものを出すとは!」
バルガスが激昂し、テーブルを叩こうとした。
「これは侮辱だ! 即刻、衛兵を――」
「お黙りなさい」
ピシャリと、鞭のような声が響いた。
大公妃だ。
彼女はバルガスを一瞥して黙らせると、静かに目を閉じ、皿から立ち上る湯気を吸い込んだ。
「……良い香りじゃ」
「は……?」
バルガスが間の抜けた声を出す。
確かに、そこには香りがあった。
不快な泥臭さではない。
雨上がりの森。
湿った黒土。
若草の芽吹き。
そんな、懐かしくも力強い「自然そのもの」のアロマが、湯気と共に立ち上り、会場の空気を一変させていた。
大公妃はスプーンを手に取り、その茶色いスープを口へと運んだ。
会場中の視線が、彼女の喉元に集中する。
一口。
静寂。
大公妃の動きが止まる。
彼女の脳裏に、鮮烈な情景が浮かび上がっていた。
雪解けの水が大地に染み込み、眠っていた種を目覚めさせる。
根が土を割り、力強く伸びていく。
牛蒡の野趣あふれる香り。
玉ねぎの極限まで凝縮された甘み。そして、それらを支える、底知れないほど深いミネラルのコク。
それは「味」というよりも、「生命力」の奔流だった。
「……ほう」
大公妃の口から、感嘆の吐息が漏れた。
彼女は無言のまま、二口、三口とスプーンを進める。止まらない。
王宮の、バターと生クリームで飾り立てられたポタージュにはない、身体の芯が熱くなるような滋味。
カチャン。
空になった皿にスプーンが静かに置かれた時、大公妃は初めてハルの方を見た。
「……見事だ。見た目は泥水のようだが、口に含むと、母なる大地に抱擁されているかのような安らぎを感じる。……この深いコクは、何の出汁だ? 牛骨か? それとも地鶏か?」
ハルは一歩前に出て、静かに答えた。
「いいえ、殿下。肉や骨は一切使っておりません。……それは、ただの『水』と『野菜』の味です」
「水だと?」
「はい。私の故郷、ノワ村の養殖池の水を使いました。
……そこには、豊かな土壌の栄養と、多くの生命が循環させた養分が溶け込んでいます。
それを何層にも濾過し、野菜の皮や根と共に三日三晩煮詰めました」
会場がどよめく。
ただの水と野菜くずから、これほどの旨味が生まれるなど。
「なるほど……。飾らぬ大地そのものを飲む、か。面白い」
大公妃の口元に、微かな笑みが浮かんだ。
その反応を見て、バルガスは顔を引きつらせながらも、慌ててスプーンを動かした。
そして、言葉を失った。
(……なんだこの、暴力的なまでの旨味は! 悔しいが……美味い!)
続いて、アレクが二皿目を運んでくる。
『大地の宝石・根菜のロースト』。
これもまた、見た目は地味だ。
泥を綺麗に洗い落としただけの、皮付きのジャガイモ、人参、蕪。
丸ごとオーブンでじっくりと火を通し、塩だけで味付けされたもの。
だが、ナイフを入れた瞬間、その「違い」は誰の目にも明らかだった。
ホクッ、と崩れるジャガイモからは黄金色の湯気が立ち上り、人参は蜜のように艶めいている。
大公妃が人参を口にする。
「……甘い! 砂糖で煮たのか?」
「いいえ、塩だけです。その土が育てた、野菜本来の甘みです」
大公妃は目を見開いた。
王都の市場に並ぶ野菜とは、次元が違う。
これが、あの貧しいと噂される北の寒村の野菜なのか。
「素晴らしい……。これほど力強く、清らかな野菜は食べたことがない」
大公妃はナプキンで口元を拭い、満足げに頷いた。
「バルガスよ。お前は『泥遊び』と言ったが……とんでもない。この料理には、土への深い愛情と敬意がある。これこそが、国を支える『食』の原点ではないのか」
大公妃の言葉は絶対だ。
バルガスは、額に脂汗を浮かべながら、引きつった笑顔で同意するしかなかった。
「は、はい……おっしゃる通りでございます。この、素晴らしい土壌と水……まさに『環境』の勝利と言えましょう」
言った。 ハルとアレクは、一瞬だけ視線を交わした。
かかった。
ハルは一歩踏み出し、バルガスに問いかけた。
「バルガス様。
では、認めていただけるのですね?
このスープと野菜を育んだ『ノワ村の泥』と『水』は、決して汚らわしいものではなく、最高の食材を生み出す素晴らしい環境であると」
バルガスは舌打ちしたいのを堪え、大公妃の手前、重々しく頷くしかなかった。
「……ああ、認めよう。私の目が曇っていたようだ。この清らかな水と、肥沃な土……そこから生まれる作物は、王都の一級品にも劣らぬ。いや、それ以上だ」
彼は、自らのプライドを守るために、食材(環境)を褒めるしかなかった。
「料理人の腕がいい」と認めるよりも、「素材がいい」と言った方が、自分の負けを認めずに済むからだ。
「この素晴らしい泥の中で育ったものならば、何であれ『清らかで美味』であろうな」
バルガスは、墓穴を掘ったことに気づいていない。
「この泥の中で育ったものなら、何であれ清らか」だと言ってしまったことに。
ハルの瞳が、勝負師の色に変わる。
外堀は埋まった。
逃げ道は塞いだ。
あとは、本丸を落とすだけ。
「ありがとうございます、バルガス様。そのお言葉をいただけて、安堵いたしました」
ハルは深々と一礼し、顔を上げた。
その口元には、自信に満ちた美しい笑みが浮かんでいた。
「では、メインディッシュをお持ちいたします。……バルガス様が『素晴らしい』と認めてくださった、このノワ村の泥と水。その恵みを一身に受け、その命を循環させてきた『王様』でございます」
アレクが厨房へと合図を送る。
いよいよ、最後のカードが切られる。
禁じられた食材。
けれど、もはや誰も否定できない食材。
勝利へのカウントダウンが始まった。
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