禁じられた食材
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路地裏での誓いから一夜明けた、翌日の昼下がり。
ハルとアレクは再び、領都バルトの領主館へと呼び出されていた。
通された応接室には、バルト伯爵とグルマン代官が待っていた。
二人の表情は重い。特に伯爵は、心労からか一夜にして老け込んだようにさえ見えた。
「……すまなかった」
開口一番、伯爵は深々と頭を下げた。
領主が平民に頭を下げるなど、あってはならないことだ。それほどまでに、今回の事態は彼にとっても痛恨だったのだ。
「頭を上げてください、伯爵様」
アレクが静かに言った。昨日のような激情は、今は腹の底に沈めている。
「俺たちの力が……金と実績だけでは、どうにもならない壁があっただけです」
壁。
それは「権威」と「偏見」だ。
どれだけ店が繁盛しようと、どれだけ税を納めようと、王都の貴族にとって彼らは「泥遊びをする田舎者」でしかない。
だが、ここで終わるわけにはいかない。
ハルとアレクの瞳には、決して折れない意志の光が宿っていた。
「ですが、まだ手はあるのですよね?」
ハルが真っ直ぐな視線で問うと、グルマン代官が重々しく頷いた。
「ああ。伯爵閣下が、あのバルガスに『最後の機会』をねじ込んでくださった」
「最後の、機会……?」
「五日後の夜だ。ここ迎賓館でバルガスをもてなす『公式晩餐会』が開かれる。そこでハル君、君がメインシェフを務めるのだ」
伯爵が説明を引き継ぐ。
「私が彼に伝えたのはこうだ。『当領地が誇る最高の食材を味わってから判断してほしい。もしそれで満足できなければ、営業停止も御用達剥奪も、甘んじて受け入れよう』とな」
それは、バルト伯爵家の威信をかけた賭けだった。
もし失敗すれば、ハルの店だけでなく、推薦した伯爵の顔にも泥を塗ることになる。
あまりにも重い責任。しかし、ハルは即答した。
「やります」
迷いはなかった。
「私の料理で、あの人の口を塞げるなら。……最高の『蒲焼』と『白焼き』で、あの人の価値観をひっくり返して見せます」
ハルの瞳に、職人の炎が宿る。
ナマズは泥臭くない。下処理を極めれば、どんな高級魚よりも上品な脂と旨味を持っている。それを証明すればいいのだ。
しかし――その希望は、直後に現れた男によって打ち砕かれることになる。
ガチャリ。
重厚な扉が開き、王立美食院、第一席査察官バルガスが入室した。
彼はハンカチで鼻を覆いながら、まるで汚物を見るような目でハルたちを一瞥した。
「……話はついたかね? 伯爵」
「ああ。彼らは受けてくれたよ」
「フン。無駄な足掻きを」
バルガスは嘲るように口角を上げた。
「私の貴重な時間を、泥遊びの敗者たちのために割いてやっているのだ。感謝したまえ」
アレクの拳が固くなるのが見えたが、ハルはそっとその袖を引いて制した。
今日ここに来たのは、喧嘩をするためではない。勝つための舞台を整えるためだ。
「申し訳ありません、バルガス様」
ハルは静かに頭を下げた。
「その条件、謹んでお受けいたします。……最高の料理をご用意させていただきます」
「ほう? 威勢だけはいいな」
バルガスはソファに深々と腰掛け、ハルを値踏みするように見下ろした。
「だが、一つだけ言っておくぞ」
彼の目が、蛇のように細められた。
「条件がある。……あの汚らわしい『黒い魚』の使用は禁止だ」
部屋の空気が凍りついた。
ハルが目を見開く。
「え……?」
「聞こえなかったか? あの『ナマズ』とかいう、泥にまみれた魔物のことだ。あんな生理的に不快なものを、私の食卓に上げるなど言語道断。見るのも汚らわしい」
それは、実質的な「敗北宣告」に等しかった。
キッチン・ハルカゼの料理は、ナマズの脂と旨味があってこそ成立する。
蒲焼も、白焼きも、すべて封じられたのだ。
「待ってください! それはあまりです!」
アレクが声を張り上げた。
「ウチはナマズ料理専門店です! メイン食材を封じられて、どうやって評価しろと言うんですか! それでは、俺たちの存在そのものを否定するのと同じではありませんか!」
それは、平民が貴族に対して言える、ギリギリの抗議だった。
だが、バルガスは冷ややかに笑っただけだった。
「黙れ、平民」
吐き捨てるような一言。
「真の料理人とは、どのような食材であれ至高の一皿に仕上げるもの。……まさか、あの泥魚以外には何の取り柄もない店なのかね? だとしたら、審査する価値すらないな」
卑劣な罠。 最初からハルたちを認める気などないのだ。
ナマズを使えば「命令違反」で即失格。使わなければ「特徴のない田舎料理」として酷評するつもりだろう。
「……わかりました」
アレクが更に食い下がろうとしたその時、ハルが凛とした声で遮った。
「その条件、飲みます。……ナマズの『あの黒くて汚らわしい姿』は、一切お見せいたしません」
「ハル!?」
アレクが驚愕してハルを見る。
だが、ハルはバルガスを真っ直ぐに見据えていた。
「その代わり、私が用意する他の食材については、一切の文句を言わずに召し上がってください。よろしいですね?」
「クク……よかろう。精々、私を退屈させないゴミを作ってくれたまえ」
バルガスは高笑いを残し、部屋を出て行った。
残されたのは、絶望的な沈黙だけだった。
「……終わった」
アレクが力なく膝をつく。
「ナマズなしで、どう戦えって言うんだ。ウチの看板メニューは全部ナマズだぞ……」
グルマンも渋い顔で腕を組む。
「メイン食材を封じられた料理人など、剣を奪われた騎士も同然。……さすがは『蛇』のバルガス。抜け目がない」
ハルは立ち尽くしていた。
頭の中が真っ白になる。
ナマズ禁止。
それは、この店を支える大黒柱を失うことだ。
なら、私には何が残る?
ただのジャガイモ? ただの野菜?
そんなありふれたもので、王都の美食を極めた舌を唸らせることなんて――。
(……待って)
ハルの脳裏に、ふと、故郷ノワ村の風景が浮かんだ。
巨大な養殖池。
その隣に広がる、青々とした畑。
丸々と太ったジャガイモ。瑞々しい根菜たち。
――なぜ、ノワ村の野菜はあんなに美味しいの?
以前、村長が言っていた言葉が蘇る。 『不思議なことになぁ、あの池の水を畑に撒くようになってから、野菜が化け物みたいに育つんじゃよ』
ハルの前世の記憶が、カチリと音を立てて繋がった。
そうだ。
「循環型農業アクアポニックス」。
魚の排泄物がバクテリアによって分解され、極上の肥料となって植物を育てる。
そして植物が水を浄化し、魚に綺麗な水を返す。
あの村では、知らず知らずのうちに、完璧な「循環」が完成していたのだ。
ナマズは、ただの食材じゃない。
大地を肥やし、水を清め、命を育む「生命の源」だ。
ハルは顔を上げた。
その瞳から、迷いは消えていた。
「……アレク。すぐに早馬を出して」
「え?」
「ノワ村へ行って、持ってきてほしいものがあるの」
ハルの声には、静かだが、絶対に折れない鋼のような意志が宿っていた。
彼女は伯爵とグルマンに向き直り、力強く宣言した。
「勝負は五日後ですね。……私が指定した『ノワ村の食材』さえ届けば、必ず勝てます」
◇
領主館を出た二人は、急ぎ足で「ハルカゼ運送」の馬留め場へと向かった。
人目を避けるように厩舎に入ると、アレクが焦燥しきった顔でハルに詰め寄る。
「おいハル、どうするつもりだ! ナマズ禁止だぞ!? ジャガイモだけで勝負する気か?」
「ううん。……アレク、早馬の手配をお願い。一番速い馬と、一番腕のいい乗り手を。あなた自身が行ってくれるなら、それが一番心強いわ」
「俺が行くのは構わないが……作戦はあるのか?」
ハルは立ち止まり、アレクの目を見てニヤリと笑った。
それは、窮地に追い込まれた時ほど燃え上がる、料理人としての勝負顔だった。
「バルガスは言ったわ。『泥魚』は不快だって。つまり、彼の偏見の根源は『泥=汚い』という思い込みよ」
「ああ、そうだな」
「だから、まずはそこを崩す。……ナマズが育てた『泥付きの野菜』と『水』で、彼に認めさせるの。『この泥は汚くない、命の源だ』って」
「……なるほど、野菜で外堀を埋めるのか。でも、メインはどうする? 野菜だけじゃ、奴は満足しないぞ」
「そこで、最後の一手よ」
ハルは声を潜め、悪戯っ子のように囁いた。
「彼は『黒い魔物』を禁止した。……なら、黒くなければいい。皮を完全に引いて、骨を取り除いて、純白の身だけにすれば、それはもう『魔物』じゃないわ」
「なっ……お前、まさか!」
アレクが青ざめる。
「バレたら殺されるぞ! 命令違反だ!」
「バレなきゃいいのよ。……ううん、違うわね」
ハルは首を振った。
「バレた時には、もう彼が『美味い』と言った後にするの。……先に野菜と水で『この泥は素晴らしい』と認めさせて、その後に『その泥の王様』を食べさせる。一度『美味い』と認めた後なら、彼は自分の舌を否定できない」
それは、命懸けのトンチ勝負。
コース料理という流れを使った、壮大な叙述トリックだ。
「……ハッ、お前って奴は」
アレクは呆れたように笑い、そして力強く頷いた。
「わかった。心中してやるよ、その大博打。……ノワ村までは片道三日かかるが、早馬を乗り継いで死ぬ気で走れば、往復でも四日で帰ってこられる」
残り一日は仕込みに充てられる。ギリギリのスケジュールだ。
「お願い、アレク。……泥付きのジャガイモ、根菜、それから池の水。一番いいものを頼むわ」
「おうよ。俺が最高の食材を、死んでも五日以内に届けてやる」
アレクはすぐに馬に飛び乗った。
手綱を握るその背中は、かつて泥沼で出会った時よりもずっとずっと大きく、頼もしく見えた。
「行ってくる! 店とマリーを頼んだぞ!」
「気をつけて!」
蹄の音が遠ざかっていく。
ハルは一人、空を見上げた。
この勝負、私たちの『泥』で、王都の黄金を塗り替えてやる。
理不尽な壁に穴を開ける、一筋の勝機。その糸を手繰り寄せるための戦いが、今始まった。
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