招かれざる客
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領都バルトの空は、今日も抜けるように青かった。
『キッチン・ハルカゼ』のテラス席には、春の陽気と共に、香ばしい醤油ダレの匂いが漂っている。
それは道行く人々の足を止めさせ、胃袋を掴んで離さない、幸福の香りだった。
「おーい、こっちにも『特上』を追加だ!」
「あいよ! ビールも一緒にどうだい?」
「最高だねぇ! 昼間っから飲む酒と、この蒲焼の組み合わせはよぉ!」
店内は満席。
活気という名の熱気が渦巻いている。
厨房ではハルが踊るように鍋を振り、カウンターではアレクが的確な指示を飛ばし、ホールではマリーが蝶のように舞う。
それは、四年かけて積み上げてきた、揺るぎない「日常」の風景だった。
誰もが信じて疑わなかった。
この幸せな時間が、明日も明後日も、ずっと続いていくのだと。
――その「異変」は、あまりにも静かに、しかし絶対的な威圧感を持ってやってきた。
カラン、カラン……。
ドアベルが鳴る。
だが、いつものような「いらっしゃいませ!」というマリーの元気な声は続かなかった。
代わりに訪れたのは、水を打ったような静寂だ。
店内の客たちが、会話を止め、食事の手を止め、入り口に釘付けになっている。
そこに立っていたのは、この店には不釣り合いなほど煌びやかで、そして冷徹な空気を纏った集団だった。
先頭に立つのは、神経質そうな初老の男。
真っ白なシルクの衣装に、金糸の刺繍が入ったマント。
胸元には、王冠とナイフを交差させた豪奢な紋章が輝いている。
男は入り口に立つなり、懐から香水を染み込ませたハンカチを取り出し、これ見よがしに鼻を覆った。
「……臭いな」
その一言が、賑やかだった店内の空気を凍りつかせた。
アレクが素早くカウンターを出て、営業用の笑顔を貼り付けて応対する。
「いらっしゃいませ。お客様、何名様でしょうか? ただいま満席となっておりまして――」
「席などいらぬ。食事に来たわけではない」
男はアレクを一瞥もしない。まるで路傍の石でも見るような目だ。
彼は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、アレクの胸元に押し付けた。
そこには、王家の印章と共に、誰もが恐れる組織の名が記されていた。
『王立美食院』。
それは王都に本部を置き、国内の全ての飲食店、食材流通、衛生管理を統括する最高機関。
彼らの権限は絶大だ。
食中毒の防止を名目に、気に入らない店を潰すことも、逆に星を与えて繁盛させることも、思いのままにできる。
料理人にとっての生殺与奪の権を握る、「食の法執行官」たちだ。
「私は王立美食院・第一席査察官、バルガスである。貴様らの店に対し、衛生法および食肉取り扱い基準違反の嫌疑がかけられている。これより緊急査察を行う」
バルガスの冷たい声が響く。
客たちがざわめき始める。
「衛生法違反?」「あのハルカゼが?」という困惑の声。
ハルが厨房から飛び出してきた。
「違反だなんて、そんなはずありません! うちは毎朝、市場で一番新鮮な食材を仕入れて、調理器具の煮沸消毒だって徹底しています!」
「口答えをするな、平民」
バルガスはハルの言葉を遮り、ズカズカと店内へ踏み入る。
そして、客が食べていた「蒲焼重」の皿を無造作に持ち上げ、光にかざして顔をしかめた。
「黒く焦げたタレ。刺激臭を放つ香辛料。……そして何より、この身の正体だ」
彼はフォークでふっくらとした白身を突き刺し、軽蔑しきった声で言い放った。
「『ナマズ』……いや、貴様らは『ウナギ』などと詐称しているようだが、これは泥の中に棲む魔物の一種だな?」
「詐称じゃありません! 正式に商業ギルドにも登録して、安全性も証明されています!」
「黙れと言っている」
ガシャンッ!
バルガスは、客の皿を床に叩きつけた。
陶器の割れる音と共に、ハルが丹精込めて焼いた料理が、床の汚れとなる。
「あ……」
ハルの顔から血の気が引く。
マリーが悲鳴を上げて、ハルのエプロンにしがみついた。
「汚らわしい。実に汚らわしい」
バルガスは床に散らばった料理を靴の裏で踏みにじりながら、演説するように声を張り上げた。
「王国の食文化は、高貴で美しくあらねばならぬ! 清らかな水と太陽に育まれた食材こそが至高! このような、薄暗い沼の底を這いずり回る魔物を食べるなど、人間のすることではない!」
「なっ……! ふざけるな!」
アレクが激昂し、バルガスに詰め寄ろうとする。
だが、護衛の騎士たちが抜剣し、その行く手を阻んだ。
「この店は『バルト伯爵家御用達』だぞ! 領主様が認めた味を侮辱する気か!」
アレクの叫びに、バルガスは鼻で笑った。
「ほう、バルト伯爵か。……田舎貴族ゆえに味覚も泥に侵されたと見える。哀れなことだ」
「なんだと……!?」
「よいか。我々美食院の決定は、国王陛下の意思に等しい。地方領主ごときの承認など、我々の『美学』の前では紙切れ同然なのだよ」
バルガスは部下に顎で合図を送った。
屈強な男たちが、壁に飾られていた『伯爵家御用達』の認定証を乱暴に引き剥がす。
「本日をもって、この店の営業許可を取り消す。並びに、不浄な食材を広めた罪により、伯爵家御用達の称号も剥奪とする」
「そ、そんな……!」
ハルはその場に崩れ落ちそうになった。
営業停止だけではない。
今まで積み上げてきた「信頼」の証を、全て奪われるに等しい宣告だった。
「おじちゃん、やめて! お姉ちゃんの料理をいじめないで!」
泣きじゃくるマリーが、騎士の足元に縋り付く。
「マリー、だめ!」
ハルが止めようとするが、遅かった。
バルガスは、自分の足元に縋る小さな少女を、まるで汚い虫でも見るような目で見下ろした。
「どけ、貧民の小娘が。服が汚れる」
ドンッ。
バルガスがマリーを軽く突き飛ばした。
いや、大人にとっては「軽く」でも、9歳の少女にとっては十分な衝撃だった。
マリーは尻餅をつき、床に落ちた蒲焼のタレで、その綺麗なエプロンドレスを汚してしまう。
「マリー!」
ハルとアレクが同時に駆け寄る。
その光景を見て、バルガスは満足げにハンカチで鼻を抑え直した。
「泥から這い上がろうなどと考えるな。泥は泥らしく、底で眠っていればいいのだ。……撤収!」
嵐が去った後には、壊された皿と、剥がされた看板、そして泣き声だけが残された。
◇
その日の夜。
ハルとアレクは、領都バルトにある領主館の一室にいた。
目の前には、苦渋の表情を浮かべるバルト伯爵と、かつての天敵であり現在は最大の理解者であるグルマン代官の姿があった。
「……申し訳ない。私の力が及ばぬばかりに」
伯爵が、深く頭を下げた。
領主である彼が、平民であるハルたちに頭を下げるなど、あってはならないことだ。
それほどまでに、事態は深刻だった。
「頭を上げてください、伯爵様! 俺たちが聞きたいのは謝罪じゃありません。なぜ、美食院なんて奴らが、領主様の許可もなく勝手な真似ができるんですか!?」
アレクが伯爵に悔しさをにじませながら、問いかける。
グルマン代官が、重い口を開いた。
「……法だよ、アレク。王国の法が、彼らに権力を与えているのだ」
グルマンの説明は、残酷な現実を突きつけるものだった。
本来、領内の商業活動は領主の管轄である。
しかし、「食の安全」と「防疫」に関しては、国の直轄機関である美食院が優先権を持つのだ。
表向きは、伝染病や毒物の拡散を防ぐため。
だが実態は、力を持ちすぎた地方領主を牽制するための、王都の政治的な武器だった。
「君たちの成功は、目立ちすぎたのだ」
伯爵が悔しげに呟く。
「泥と蔑まれていた我々の領地が、ナマズの輸出で莫大な富を得ている。それを王都の貴族たちは快く思っていない。『品位』だの『伝統』だのを盾にして、我々の経済力を削ぎ落としに来たのだよ」
ナマズは、単なる食材ではない。
この貧しい北方の地を潤す、新しい重要な産業だ。
美食院はハルの店を潰すことで、ナマズ産業そのものに「不衛生」「危険」というレッテルを貼り、バルト伯爵家の財源を断とうとしているのだ。
「私が強引に彼らを追い返せば、どうなるか……。『バルト伯爵は、王家の定めた衛生基準を無視し、国民に毒を食わせている』と喧伝されるだろう。
そうなれば、私は反逆者として裁かれ、領地は取り潰しだ」
伯爵の手は、怒りで震えていた。
彼はハルたちを守りたい。
だが、守ろうとすれば、ハルたちの故郷であるノワ村も含めて、全てが共倒れになる。
それが、権力というものの構造だった。
「そんな……。じゃあ、私たちはどうすれば……」
ハルが力なく呟く。
料理の腕なら誰にも負けない自信がある。
けれど、こんな政治や法律の話なんて、どう戦えばいいのか分からない。
自分の料理が、「味」ではなく「存在そのもの」を否定されたのだ。
「手がないわけではない」
グルマンが鋭い眼光を放った。
「奴らの主張の根拠は、『ナマズは汚らわしい魔物であり、人の食べるものではない』という一点だ。……ならば、それを覆すしかない」
「覆す……?」
「近日中に、美食院の査察官バルガスを招いた公式晩餐会が開かれる。そこで彼を、君の料理で黙らせるのだ」
グルマンはハルを指差した。
「理屈や権威ではない。圧倒的な『美味』という事実で、奴らの美学を粉砕する。……それが唯一の、そして最も困難な道だ」
部屋に重い沈黙が流れる。
それは、ただ料理を作るのではない。
王国の権威そのものとの戦いだった。
帰り道。
営業停止の貼り紙がされた店の前で、ハルとアレクは立ち尽くしていた。
「……悔しい」
ハルがポツリと漏らす。
その瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「私、悔しいよ、アレク。私の蒲焼は……マリーが大好きだって言ってくれたあの料理は、汚らわしくなんてない……ッ!」
アレクは無言で、震えるハルの肩を抱き寄せた。
彼の胸の中にも、ドス黒い怒りの炎が燃え上がっていた。
商売人として、効率や利益を優先してきた。頭を下げて済むならいくらでも下げてきた。
だが、これだけは許せない。
自分たちを泥の中から救い出してくれたハルの料理を、そして愛する家族の笑顔を、土足で踏みにじったあの男だけは。
「ああ、汚らわしくなんてない。世界一の料理だ」
アレクは夜空を見上げ、誓うように言った。
「やろうぜ、ハル。俺たちのやり方で、あの気取った古狸どもに思い知らせてやるんだ。……泥の味が、どれだけ強くて美味いかをな」
絶望の淵で、二人の闘志だけが、暗闇の中で小さく、しかし熱く輝き始めていた。
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