第2部・奇跡の村と春の風
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第二部(最終部)の開幕です。
どうぞ最後までお楽しみください!
北の果て、シルヴァリア王国。
長い冬が終わりを告げ、雪解け水が大地を潤す早春の季節。
かつて、この時期は「死の季節」と呼ばれていた。
備蓄食料は底をつき、道は泥沼と化し、行商人さえ寄り付かない陸の孤島。
飢えと寒さに震えながら、ただ春の本格的な訪れを待つしかなかった、辺境の寒村。
だが、今の「ノワ村」に、その悲壮な影は微塵もない。
「おーい! 第三便の荷馬車が出るぞ! 『黄金』の積み込みは終わってるか!」
「おうよ! 今朝獲れたばかりの特大サイズだ。氷詰めも完璧だぜ!」
「こっちの『大地の宝石』も頼む! 領都の連中が首を長くして待ってるんだ!」
朝霧が晴れると同時に、村の中央広場は活気に包まれていた。
飛び交うのは悲痛な声ではなく、働く男たちの威勢のいい怒号と、女たちの笑い声だ。
かつて足首まで沈むほどの悪路だったメインストリートは、平らな石畳によって舗装され、大型の馬車が何台も行き交っている。
風景の変貌ぶりは、劇的という言葉では足りないほどだった。
隙間風が吹き込み、いつ倒壊してもおかしくなかった「ボロ家」の群れは、いまや童話に出てくるような可愛らしいレンガ造りや、太い梁を通した堅牢な木造家屋に建て替えられている。
屋根には瓦が葺かれ、煙突からは朝食の支度をする白い煙が、平和の狼煙のように立ち上っていた。
何より驚くべきは、家々の窓だ。
かつては木の板を打ち付けたり、獣皮を張ったりして寒さを凌いでいた窓枠には、陽光をキラキラと反射する「ガラス」がはめ込まれている。
家の中からは、暖炉の温もりを逃がすことなく、外の景色を楽しむことができる。それは、この村が手に入れた「豊かさ」の象徴だった。
「やあ、村長。景気はどうだい?」
「おお、これはこれは。……いやはや、見ての通りですよ」
恰幅の良くなった村長が、真新しい服の襟を正して、視察に来た商人と握手を交わす。
村人たちの服装もまた、見違えていた。
ツギハギだらけの薄汚れた服を着ている者は一人もいない。
厚手のウールや、丈夫な綿の服に身を包み、その肌艶は栄養が行き渡っていることを如実に物語っている。
頬がこけて目がギラギラしていたかつての「飢餓の村人」の面影は、もうどこにもなかった。
彼らの豊かさを支えているのは、村の北側に広がる巨大な養殖池――かつての「魔の沼」である。
そこでは、村の守り神とも言える魚、「ナマズ」が大量に育てられていた。
泥を好み、悪食で知られ、かつては「冥府の使い」と忌み嫌われた魚。
しかし今、それは「シルヴァリア・ウナギ」という名で、あるいは「白身の王様」として、王国内で爆発的な人気を誇る高級食材となっていた。
さらに、村の畑には、ナマズの骨や内臓を発酵させた特殊肥料が撒かれ、丸々と太ったジャガイモや、甘みの強い根菜類が収穫されている。
かつては嫌われ者だった雑草「犬泣かせ」も、今ではスタミナ野菜として高値で取引されていた。
捨てられていた泥、嫌われていた魚、見向きもされなかった雑草。
それら全てが「宝」に変わったのだ。
「これも全部、あの子たちのおかげじゃ」
村長が目を細めて、領都へと続く街道を見つめる。
舗装された道を、『ハルカゼ運送』の紋章――風に舞うナマズと芋の葉をあしらった意匠――を掲げた馬車が、軽快な車輪の音を響かせて駆け抜けていく。
「ハルちゃん、アレク君、そしてマリーちゃん。……達者でやってるかねぇ」
◇
ノワ村から街道を馬車で駆けること一日で、商業都市エストへ。
そこから更に南へ二日。
北方の経済を支える大動脈を抜け、辿り着いた先に、その巨大な城郭都市はある。
バルト伯爵領の心臓部、領都バルト。
堅牢な城壁に囲まれ、中央には領主の居城がそびえ立つ。
政治と権威の中心でありながら、近年では食文化の発信地としても注目を集めるこの街の一等地に、その店はあった。
メインストリートに面した、開放的なテラス席を持つ二階建てのレストラン。 看板には、洗練された飾り文字でこう書かれている。
『キッチン・ハルカゼ 領都本店』
昼時ともなれば、店の前には長蛇の列ができる。
城からの使いや、着飾った貴族の馬車もあれば、仕事の合間に立ち寄ったギルド職員や裕福な商人たちもいる。
身分を問わず、誰もが鼻をひくつかせ、店内から漂ってくる「暴力的なまでに食欲をそそる香り」に喉を鳴らしていた。
香ばしい醤油と砂糖が焦げる匂い。
黄金色の油がパチパチと弾ける音。
ガーリックとハーブの刺激的なアロマ。
「いらっしゃいませー! 3名様ですね、テラス席へご案内しますっ!」
鈴が転がるような明るい声が、活気ある店内に響き渡る。
ホールを軽やかに駆け回るのは、ひときわ目を引く美少女だ。
栗色の髪をツインテールに結び、フリルのついた可愛らしいエプロンドレスを身に纏っている。
マリー。今年で9歳になった彼女は、かつての「栄養失調で倒れそうだった幼児」の面影を完全に払拭していた。
血色の良いバラ色の頬、ふっくらとした健康的な手足。
そして何より、客全員を癒やすような満面の笑顔は、この店の「看板娘」としてエスト中のアイドルとなっていた。
「マリーちゃん、今日も可愛いねえ! これ、チップ代わりの飴だよ」
「わぁ、ありがとうございます! おじさん、いつもの『蒲焼重』特盛でいいですか?」
「おうよ! ハルちゃんの焼く蒲焼がないと、午後からの仕事にならねぇからな!」
客たちの注文を的確にさばきながら、マリーは厨房へとオーダーを通す。
「オーダー入ります! 特盛一丁、フリットセット二つ、香草焼き一つ!」
「はいよ、任せとけ!」
カウンターの中で、伝票を受け取りながら金庫番とドリンクを担当するのは、20歳になったアレクだ。
かつての「泥だらけの駆け出し行商人」は、今や若き敏腕経営者としての貫禄を漂わせている。
赤毛は短く整えられ、仕立ての良いシャツにベストを着こなしているが、袖をまくり上げた腕の筋肉は、彼がただ机に座っているだけの男ではないことを証明していた。
客の顔を覚え、好みを把握し、回転率を計算しながらスタッフに指示を出す。
その手腕は鮮やかで、商業都市のギルド幹部たちからも一目置かれる存在となっていた。
「ハル! 特盛の焼き加減、よく焼きで頼む! あそこの常連さんだ」
「了解。……任せて」
厨房の奥、熱気と蒸気が渦巻くその中心に、彼女はいた。
ハル。18歳。 この店の主であり、全ての料理を生み出すシェフ。
かつて「枯れ木」のようだった痩せた体躯は、4年の歳月と十分な栄養によって、驚くほど女性らしく成長していた。
白いコックコートに包まれた体は、しなやかな曲線を描き、長い黒髪は衛生的にきっちりとまとめられている。
だが、その瞳に宿る光は変わらない。
食材を見つめる真剣な眼差し。
調理における一切の妥協を許さない、職人の目だ。
ジュワァァァァァ……ッ!
ハルが熟練の手つきで、炭火の上の網にタレを絡ませた切り身を乗せる。
瞬時に立ち上る白煙と、爆発的な香り。
それは、ただの香りではない。
人々を虜にする魔法だ。
「よし、焼き上がり。……マリー、お願い!」
「はーい! お待たせしました、焼きたての特上ですよー!」
歓声が上がるホールを見やりながら、ハルは額の汗を拭った。
忙しい。休む暇もない。
けれど、この忙しさが心地よかった。
誰も飢えていない。誰もひもじい思いをしていない。
皿の上には黄金色のポテトと、飴色に輝く魚。
ここにあるのは「満腹」という名の幸せだけだ。
◇
ランチタイムの嵐が過ぎ去り、店に一時的な静寂が訪れる。
「準備中」の札を掲げた店内で、三人は遅めの昼食をとっていた。
メニューは、売れ残ったポテトと、賄い用のナマズの唐揚げ。そして山盛りのサラダ。
かつてのノワ村の「雑草と芋」だけの食事に比べれば、王侯貴族の晩餐にも等しい豪華さだが、彼らにとってはこれが日常だった。
「ふぅ……今日も凄かったな。過去最高益更新かも知れん」
アレクが売上帳をパラパラとめくりながら、満足げにコーヒーを啜る。
「エストの人は本当によく食べるわね。仕込み、間に合ってよかった」
ハルがコック帽を脱ぎ、ふぅと息をついて椅子に深く腰掛けた。
仕事モードの厳しい表情が消え、年相応の柔らかな笑みが浮かぶ。
「お姉ちゃんの料理が美味しすぎるのが悪いのよ。私なんて、配膳しながらお腹グーグー鳴っちゃったもん」
マリーが口いっぱいにポテトを頬張りながら、リスのように頬を膨らませる。
その愛らしい姿を見て、ハルとアレクは顔を見合わせて苦笑した。
「マリー、よく噛んで食べなさい。誰も取らないから」
「そういや、昔のお前は一つの芋をちびちび齧ってたのになぁ。今じゃ一番の大食いだ」
「むー! アレクお兄ちゃん、女の子に大食いなんて言わないでよ!」
「ははは、悪い悪い。でもな、俺は嬉しいんだよ」
アレクが目を細め、窓の外の賑わう通りに視線を投げる。
「あの泥沼で立ち往生していた俺たちが、今じゃ大都市の真ん中でこうして飯を食ってる。……夢みたいだろ」
その言葉に、ハルも静かに頷いた。
4年前。
ボロ家で震えながら、オークの足指を分け合った夜。
臭い雑草を茹でて、空腹を誤魔化した日々。
それら全ての苦労が、この店の下地になっている。
泥を知っているからこそ、今の輝きがある。
「夢じゃないわ。私たちが、自分たちの手で掴み取った現実よ」
ハルが力強く言うと、アレクは頼もしそうに口角を上げた。
「ああ、そうだな。……それに、俺たちの野望はまだ終わっちゃいない。この『ハルカゼ』の味を、もっと広めるんだ。領都バルトへ、王都へ、いや、世界中にな」
「うん! 私、もっともっと頑張る!」
「ふふ、頼もしいわね。じゃあ、夜の営業に向けて、しっかり食べないと」
ハルは、自分の皿にあった大きな唐揚げを、マリーの皿に移してやった。
「え、お姉ちゃん、いいの?」
「いいのよ。私は味見でお腹いっぱいだから」
それはかつて、マリーがついた「悲しい嘘」と同じ言葉だった。
けれど今、そこには一片の嘘もない。
ハルの心は、目の前の二人の笑顔と、店を満たす幸福な空気で、本当に満たされていたからだ。
幸せな時が流れる。
窓から差し込む春の陽射しは暖かく、三人の未来を祝福しているように見えた。
――この時までは。
誰も予想していなかったのだ。
この平穏な日常を脅かす「招かれざる客」が、王都から近づいていることを。
彼らが築き上げた誇り高き城を、土足で踏みにじろうとする権力の影が、すぐそこまで迫っていることを。
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