黄金の献上
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バルト伯爵邸の厨房は、それ自体が一つの「城」のようだった。
磨き上げられた銅鍋が壁一面に並び、大理石の調理台が広がり、数十人の料理人たちが忙しく立ち働いている。
その中心で、私は静かに呼吸を整えていた。
身に纏っているのは、あの日仕立ててもらった若草色のドレスエプロン。
髪はしっかりと結い上げ、背筋を伸ばす。
ここはアウェーだ。
周囲の料理人たちは、私たちを「どこの馬の骨とも知れぬ田舎者」という目で見ている。
「……時間だ。ハル、いけるか?」
紺色のフロックコートを着たアレクが、懐中時計を確認しながら声をかけてきた。
その顔に緊張の色はあるが、迷いはない。
彼は私の「給仕長」として、料理を運ぶ役目を担ってくれている。
「ええ。最高の状態よ」
私は調理台の上にある水槽を見た。
そこには、五日間の泥抜きを経て、さらに美しく輝きを増した『黄金のナマズ』が泳いでいる。
「では、調理開始!」
宮廷料理長の合図と共に、私は水槽に手を伸ばした。
暴れるナマズを一瞬で押さえ込み、まな板の上へ。
そして、グルマン代官から贈られた『ミスリルの包丁』を抜いた。
ヒュッ。
風を切る音さえしなかった。
黒光りする刃が、ナマズの眉間に吸い込まれる。
一撃。苦痛を与える暇さえ与えない、慈悲の一刀。
そこからの私は、舞うように動いた。
ミスリルの切れ味は想像を絶していた。
硬い中骨が、まるで豆腐のように切れる。
身の細胞を一切潰さないから、断面が鏡のように輝いている。
(すごい……これなら、素材の力を100パーセント引き出せる!)
白焼き、蒸し、そして焼き。
工程はいつもの蒲焼と同じだ。
だが、精度が違う。
気迫が違う。
ジュワアァァァッ……!
厨房内に、甘く、芳醇な香りが爆発的に広がった。
周囲で冷ややかな視線を送っていた宮廷料理人たちの手が止まる。
鼻をひくつかせ、驚愕の表情でこちらを振り向く。
「な、なんだこの香りは……」
「焦げ臭くない、まるでキャラメリゼされた果実のような……」
私は周りの反応など気にも留めず、ひたすらに団扇を煽った。
タレを塗り重ねるたびに、黄金の魚体は飴色の衣を纏い、至高の輝きを放っていく。
「完成です。アレクさん!」
「よし、任せろ!」
焼き上がったばかりの蒲焼を、純白の磁器の皿に盛る。
付け合わせは、シンプルに山椒の若葉だけ。
アレクが銀のドーム型の蓋を被せ、恭しく持ち上げた。
さあ、決戦の地、ダイニングルームへ。
◇
ダイニングルームには、長いテーブルの向こうに、この地の支配者バルト伯爵が座っていた。
白髪の紳士。
その瞳は鋭く、退屈そうに指でテーブルを叩いている。
その横には、推薦人であるグルマン代官が、顔面蒼白でハンカチを握りしめながら座っていた。
「……遅いな、グルマン。貴様の言う『国宝級』とやらは、まだか?」
「は、はいっ! 今しがた……あ、来ました!」
扉が開き、アレクが入室した。
一分の隙もない美しい所作で、伯爵の前に皿を置く。
「ノワ村より参りました、ハルと申します」
私が後ろで深々とカーテシーをすると、伯爵はチラリと私を見た。
「ほう。ずいぶんと若い娘だな。……して、これが『幻の味』か?」
「はい。ただいま、蓋をお取りいたします」
アレクがクロッシュを持ち上げる。
ボワァッ……。
解き放たれた香気が、部屋の空気を一変させた。
伯爵の退屈そうな目が、カッと見開かれる。
「……なんと」
皿の上には、見たこともない料理が鎮座していた。
魚料理のようだが、その照り、その厚み、そして立ち昇る香りは、極上のステーキをも凌駕している。
「こ、これは……ナマズか?」
「いいえ、閣下」
アレクがすかさず答えた。
「これは『ゴールデン・ドラゴン・イール(黄金龍ウナギ)』でございます」
出た、ハッタリ。
でも、この姿を見れば誰も嘘だとは思わないだろう。
伯爵はナイフとフォークを手に取った。
ナイフを入れた瞬間、その感触に眉を上げた。
「……柔らかい」
切り分けた身を、口へと運ぶ。
咀嚼。
静寂。
グルマンが祈るように目を閉じている。
私も、スカートの裾を握りしめて息を止めた。
伯爵の動きが止まった。
彼は目を閉じ、ゆっくりと味わい、そして飲み込んだ。
やがて、目を開けた時――その瞳には、子供のような驚きと歓喜が宿っていた。
「……素晴らしい」
低く、重厚な声が響いた。
「泥臭さなど微塵もない。あるのは、濃厚な旨味と、消えるような食感。……そしてこのタレ! 甘く、辛く、余韻がいつまでも続く。これは……魔性の味だ」
伯爵は、次の一口を急いだ。
貴族のマナーを保ちつつも、そのペースは明らかに早かった。
あっという間に皿が空になる。
「……ふぅ」
伯爵はナプキンで口を拭い、満足げにため息をついた。
そして、私に向き直った。
「ハル、と言ったな」
「はい」
「見事だ。……泥の中に住む魚を、これほどの宝玉に変えるとは。これぞまさに『錬金術』だ」
伯爵は立ち上がり、グルマンの方を見た。
「グルマンよ。でかした」
「は、ははーっ! 光栄の極みにございます!」
グルマンが涙目で平伏する。助かった、という顔だ。
伯爵は私とアレクに歩み寄り、一通の羊皮紙を手渡した。
「本日をもって、貴様らをバルト伯爵家『料理御用達』に任ずる。……これからも、その腕で我が領地を豊かにせよ」
その言葉は、どんな勲章よりも重たかった。
「はいっ! 謹んでお受けいたします!」
私とアレクは声を揃えて返事をした。
顔を見合わせる。
やった。勝ったんだ。
◇
帰り道。
夕暮れの街道を走る馬車の中で、私たちは泥のように眠り……たかったが、興奮で眠れなかった。
手には、伯爵家の紋章が入った「御用達認定証」。
そして、褒美として賜った三十枚もの金貨の入った袋。
「ハル……俺たち、本当にやったんだな」
「はい。夢じゃありませんよ」
村に着くと、お祭り騒ぎの歓迎を受けた。
「やったぞー!」
「でかしたー!」
と胴上げされそうになるのをなんとか逃れ、私たちはある場所へと向かった。
村外れの丘。
両親の墓だ。
十日前にも来た場所。
でも、あの時とは少しだけ、私たちの背筋が違っていた。
「生き延びた報告」ではなく、「勝利の報告」をしに来たのだから。
夕闇が迫る中、マリーも連れて、三人で墓前に立った。
「お父さん、お母さん」
私は伯爵家御用達の認定証を、墓石の前に供えた。
「見てください。……私たち、伯爵様に認められました」
風が吹き抜け、若草色のドレスの裾を揺らす。
「もう、誰も私たちを馬鹿にしません。誰も、私たちから奪おうとはしません。……私たちは、この地で誰からも認められる料理人になりました」
胸の中に、熱いものが込み上げてくる。
でも、涙は出なかった。
十日前、ここで流した涙が、最後だったのだ。
今の私の顔は、きっと、誇らしげな笑顔になっているはずだ。
「これからは、もっと忙しくなります。お店も大きくするし、アレクさんと一緒に世界中にお店を作る夢もあります。……だから、見守っていてください」
隣でアレクが、力強く頷いた。
マリーが「お父さんたち、きっとビックリしてるね!」と笑った。
空には、一番星が輝き始めていた。
長く、苦しかった冬は完全に終わりを告げた。
そして今日、私たちの「第2章」が幕を開けたのだ。
「さあ、帰ろう。みんなが宴会の準備をして待ってるわ」
「おう! 今日は飲むぞー!」
「みんなで乾杯しましょう!」
私たちは手を繋ぎ、光の灯る村へと歩き出した。
その背中には、確かな自信と、未来への希望が翼のように広がっていた。
(第1部・完)
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