24話 決戦準備と村の総力戦
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「十日後……十日後だって!?」
伯爵家の白い馬車が去った後、我が家は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
狭い部屋の中、アレクが頭を抱えて行ったり来たりしている。
「マズい、マズすぎるぞハル! 相手はバルト伯爵だ。この地方の王様みたいなもんだぞ! そんな場所に、俺の着古した旅装と、お前のその……可愛いけど! 可愛いけど、あまりにも『村娘』なワンピースで行けるわけねぇだろ!」
アレクは早口でまくし立てた。
私も顔面蒼白だ。
前世の知識で「TPO」の重要性は痛いほど知っている。
貴族の屋敷に平民が招かれる際、あまりにみすぼらしい格好をしていれば、門番に追い返されるか、最悪の場合「伯爵家を侮辱した」として投獄されかねない。
「ど、どうしましょうアレクさん! 今から服を作るにしても、生地もなければ仕立て屋のあてもありません!」
「くそっ、金はある! 金はあるのになんで服がねぇんだ!」
私たちは稼いだ大金を前に途方に暮れた。
お金があっても、田舎すぎて「貴族用の服」なんて売っていないのだ。
「……そうだ!」
アレクが足を止め、指を鳴らした。
「一人だけいる! この近くに、一流の店を知っていて、俺たちの事情にも詳しく、そして俺たちに『恥をかいてほしくない』と思っている人物が!」
私とアレクは顔を見合わせた。
その人物の顔は、脂ぎった笑顔と共に、すぐに思い浮かんだ。
「「グルマン代官!」」
◇
翌日。私たちは『ナマズ号』を全速力で走らせ、エストにあるグルマン代官の屋敷へと押しかけた。
そして、執務室でふんぞり返る代官に、事情を説明した。
「――というわけでして! お代官様、どうかお助けを!」
「私たちに、恥ずかしくない衣装を売っているお店を紹介してください!」
私とアレクが揃って頭を下げると、グルマンは呆れたように大きなため息をついた。
「……まったく。貴様ら、料理と商売以外はからっきしだな」
彼は葉巻を揺らしながら、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「だが……確かに、我が領地から出す『国宝級の料理人』が、ボロ布を纏っていては私の顔に関わる。『グルマンはあんな薄汚い連中を推挙したのか』などと言われてはたまらんからな」
彼は重い腰を上げ、ベルを鳴らして執事を呼んだ。
「馬車を出せ。エストの街で一番の仕立て屋『シルク・ド・リオン』へ行くぞ」
◇
連れて行かれたのは、私たちが普段出入りしている市場とはまるで違う、高級な裏通りにあるレンガ造りの店だった。
店内に足を踏み入れると、上品な香水の香りと、柔らかな絨毯の感触が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、グルマン様。今日はどのような……おや?」
店主らしき老紳士が、私とアレクを見て眉をひそめた。場違いだと目で語っている。
しかし、グルマンは鷹揚に頷いた。
「店主。この二人は私の『秘蔵っ子』だ。近々、バルト伯爵に謁見する。……それに見合う、最高の一張羅を見繕ってやれ」
「なっ……! 伯爵閣下に、でございますか!?」
店主の目の色が変わった。
そこからは、早かった。
私は奥の部屋に連行され、お針子さんたちに囲まれ、あれよあれよという間に採寸された。
「まあ、細いこと!」
「でも肌は綺麗ね。この淡い若草色が似合うわ」
「髪は結い上げた方が清潔感が出るわよ」
着せ替え人形のように扱われること、二時間。
カーテンが開けられ、私は大きな姿見の前に立たされた。
「……これが、私?」
鏡の中にいたのは、いつもの泥だらけの村娘ではなかった。
淡いグリーンの生地に、白いエプロンドレスを重ねた、清楚で機能的な『宮廷料理人風』の衣装。
髪は編み込まれてアップにされ、小さな白い帽子が乗っている。
清潔感と、プロフェッショナルな威厳を兼ね備えた姿だ。
「おーっ! すげぇ! ハル、見違えたぞ!」
横から声がかかった。
振り返ると、そこにはビシッと仕立ての良い紺色のフロックコートを着こなした、アレクが立っていた。
襟元にはスカーフ、髪も整えられ、どこからどう見ても「若き敏腕商人」だ。
「アレクさんこそ……すごく、かっこいいです」
「へへっ、馬子にも衣装ってな」
私たちが照れくさそうにしていると、グルマンが満足げに頷いた。
「うむ。これなら伯爵の前に出しても恥ずかしくはない」
「あの……代官様。お代はいかほどに……?」
アレクが恐る恐る財布を出そうとすると、グルマンは手を振った。
「要らん」
「え?」
「これは私からの『投資』だ。……その代わり、失敗は許さんぞ? 必ず伯爵を唸らせ、私の顔を立てろ。いいな?」
「代官様……!」
なんて太っ腹なのだろう(お腹だけでなく)。
私たちが感動していると、グルマンはさらに、後ろに控えていた従者に何かを持ってこさせた。
「それと、これを持って行け」
彼が差し出したのは、二つの包みだった。
一つはアレクへ。
「これは『懐中時計』だ。商談の場では、時間を制する者が勝つ。伯爵との謁見時間、料理の提供タイミング……一分の狂いもなく管理しろ」
「こ、こんな高価なものを……! ありがとうございます!」
そして、もう一つは私へ。
ずしりと重い、細長い木箱だ。
「開けてみろ」
促されて蓋を開けると、そこには鈍い光を放つ、一本の包丁が収められていた。
刀身には美しい波紋があり、柄は手に馴染む黒檀でできている。
「これは『ミスリル鋼』を混ぜて打たれた特注品だ。どんな硬い骨もバターのように断ち切り、食材を一刀のもとに切れる」
グルマンは、ニヤリと笑った。
「一流の料理人には一流の道具が必要だ。……それを使って、最高の仕事をしてこい」
私は震える手で、その包丁を抱きしめた。
冷たい金属なのに、熱いエールが込められているようだった。
「はいっ! 必ず、必ず期待に応えてみせます!」
◇
装備は整った。
次は、中身――すなわち「食材」だ。
村に戻った私たちは、すぐに村長と漁師たちを集めて緊急会議を開いた。
「伯爵様に出す料理……当然、いつものナマズではダメだ」
私は焚き火を囲む男衆を見回した。
「泥抜きと締めは完璧です。でも、個体が小さい。もっと脂が乗っていて、身が厚く、それでいて大味じゃない……この沼の『王様』のようなナマズが必要です」
「王様、か……」
漁師リーダーの男が、腕組みをして唸った。
「心当たりはある。……沼のずっと奥、水草が密集してる『魔の淵』だ。あそこに、主みてぇなデカいのがいるのを見たことがある」
「それです! それを獲ってください!」
私の頼みに、男たちは顔を見合わせた。
そして、ニカッと白い歯を見せて笑った。
「任せとけハルちゃん! あんた等のためなら、沼の底までだって潜ってやらぁ!」
「村の恩人の晴れ舞台だ! ノワ村漁師団の意地、見せてやるぜ!」
翌日から、村を挙げての「大漁作戦」が始まった。
男たちは総出で沼に船を出し、網ではなく、太いロープと特大の釣り針を用意した。
女たちは岸辺で炊き出しを作り、声援を送る。
マリーも「がんばれー!」と旗を振る。
三日間、戦いは続いた。
糸が切られ、竿が折られ、泥まみれになりながら、彼らは挑み続けた。
そして四日目の朝。
「かかったァァァッ!!」
湖面が爆発したかのように水柱が上がった。
五人がかりでロープを引く。
「逃がすな! 引けぇぇぇ!」
「うおおおおッ!」
暴れる巨体。船が転覆しそうになるほどのパワー。
しかし、村人たちの結束力はそれを上回った。
ズザザザザッ!
岸辺に引きずり上げられたのは、体長一メートルを超える、黄金色の輝きを放つ巨大ナマズだった。
「す、すげぇ……」
「金色の、ナマズ……!」
私は駆け寄り、その魚体を確認した。
傷ひとつない美しい肌。パンパンに張った腹。 これだ。これ以上の食材はない。
「ありがとうございます! 最高です!」
私が叫ぶと、泥だらけの男たちが、空に向かって拳を突き上げた。
歓声が村中に響き渡る。
みんなの想いが、この一匹に詰まっている。
私はグルマンにもらった包丁『ミスリル』を抜き、一瞬の祈りを込めて、その眉間に突き立てた。
素早く神経を締め、血を抜く。
鮮度を保ったまま、残りの五日間、綺麗な湧き水の中で泥を吐かせ、熟成させるのだ。
◇
そして、約束の十日後。
雲ひとつない快晴。
村の広場には、バルト伯爵家から遣わされた迎えの馬車が停まっていた。
私は、グルマンに贈られた若草色のドレスを着て、髪を結い上げた。
腰には、丁寧に手入れをした『ミスリル』の包丁。
隣には、紺色のコートを着て懐中時計を確認するアレク。
そして、巨大な水槽車には、村のみんなが獲ってくれた『黄金のナマズ』が積まれている。
「行ってらっしゃい、お姉ちゃん! アレクお兄ちゃん!」
マリーが精一杯手を振る。
村長が、漁師たちが、お婆ちゃんたちが、全員で見送りに来てくれていた。
「かましてやれ! 俺たちのナマズの味を!」
「失敗したら村に入れねぇぞー! なんちゃってな!」
口々に飛ぶ冗談と声援。
私は胸がいっぱいになりながら、大きく頷いた。
「行ってきます! ……必ず、良い報告を持ち帰ります!」
私は馬車に乗り込んだ。 アレクが私の隣に座り、ギュッと手を握ってきた。 その手は温かく、力強かった。
「行くぞ、ハル。……伝説の始まりだ」 「はい!」
御者が鞭を入れる。
馬車が動き出す。
遠ざかる村の風景、手を振るみんなの姿。
私たちは前を向いた。
目指すは領都。バルト伯爵邸。
武器は、ミスリルの包丁と、村のみんなの想いが詰まった黄金のナマズ。
そして、二人で培ってきた「キッチン・ハルカゼ」の誇り。
負ける気は、しなかった。
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