23話 両親の墓前
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グルマン代官との「食卓決戦」から一夜明けた、翌朝。
ノワ村は、昨日の喧騒が嘘のように静まり返っていた。 けれど、それは冬の死んだような静けさではない。嵐が過ぎ去った後の、清々しく、光に満ちた朝の静寂だった。
「……いい天気」
私は窓を開け、春の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。 今日はお店は休みだ。
アレクもそれを承知で、朝からスーツ(といっても行商用の旅装だが)を綺麗に整えている。
「準備できたか、ハル、マリー」
「はい。お弁当も持ちました」
「私も! お花摘んできたよ!」
元気よく答えるマリーを見て、私は思わず目を細めた。
彼女の頬は、以前のような土気色でカサカサしたものではない。
毎日のナマズ料理と、最近採れ始めた新鮮な野菜のおかげで、今のマリーの頬はリンゴのように艶やかで、ほんのりと赤い。
痩せこけて浮き出ていた鎖骨も、今はふっくらとした健康的な肉付きに覆われ、その肌は内側から発光するような瑞々(みずみず)しさを湛えている。
私自身もそうだ。
鏡に映る自分の顔色は、血色が良く、髪には栄養が行き渡って「天使の輪」ができている。
触れれば折れそうだった腕や足も、労働と栄養のおかげで、しなやかで女性らしい丸みを帯びていた。
私たちはもう、「かわいそうな孤児」じゃない。
マリーが抱えているのは、野の花と、ピカピカに磨いた自分の「赤い靴」だ。
今日は、特別な日。 私たち家族にとって、一つの区切りの日だ。
◇
両親の墓は、村外れの小高い丘の上にあった。
墓といっても、貧しかった頃に作ったものだ。
平らな石を置き、木の棒を立てただけの、粗末なもの。
冬の間は雪に埋もれて来られなかったから、久しぶりの対面だ。
「お父さん、お母さん。……来ましたよ」
私は桶の水と布で、石についた泥を丁寧に拭き取った。
石は冷たかったけれど、陽の光を浴びて少しずつ温かくなっていく。
「雑草抜くね!」
「俺は周りを掃いておこう」
マリーとアレクも手伝ってくれる。
綺麗になった墓前に、私は今日のために用意した「お供え」を広げた。
それは、昨日の残り物なんかじゃない。今朝、一番良い炭と一番良いナマズで焼き上げた、『特上・蒲焼重』だ。
それと、二人が好きだった『ふかし芋』。
湯気と共に、香ばしい匂いが丘の上に広がる。
生前、二人はいつも私たちにお腹いっぱい食べさせようと、自分たちは我慢ばかりしていた。
こんなご馳走、食べたことなかったよね。
「……お父さん、お母さん」
私は地面に膝をつき、手を合わせた。
「報告が遅くなってごめんなさい。……私たち、冬を越せました」
言葉にすると、胸の奥が熱くなった。
あの雪の日。食べるものがなくなり、家具を燃やして暖を取り、死を覚悟した夜。
そこから、私たちは必死に走ってきた。
泥水を啜り、ナマズを捌き、屋台を引き、大人たちと戦って。
「もう、ひもじい思いはしていません。家も直せます。マリーには、温かい服と丈夫な靴を買ってあげられました」
私は隣のマリーを見た。
彼女は新品の赤い靴を履いた足を、誇らしげに突き出して見せている。
「見て見て! お父さん、お母さん! 可愛いでしょ? お姉ちゃんとアレクお兄ちゃんが買ってくれたの!」
マリーがクルリと回る。
ふわりと舞うスカート。その下から覗く足は、傷だらけだった冬とは違い、白くもちもちとしていて健康的だ。
「もう、あばら骨なんて浮いていません。毎日お腹いっぱい食べて、私たちはこんなに大きくなりました」
無邪気な笑顔。
数ヶ月前、飢えと寒さで消えそうだった小さな命は、今、春の日差しの中で力強く輝いている。
守れたんだ。
私は、約束を守れたんだ。
「それと……もう一つ報告があります」
私はアレクの方を振り返った。
彼は少し緊張した面持ちで、私の隣に跪いた。
「この人は、アレクさん。……私の、大切なパートナーです」
「はじめまして。お義父さん、お義母さん」
アレクが真剣な声で語りかける。
「お義父さん」なんて気が早いけれど、今の私にはその図々しさが嬉しかった。
「娘さんたちは、俺が責任を持って守ります。……ハルは無茶ばかりするし、働きすぎるところがありますけど、俺が必ずブレーキをかけます。そして、この子たちの才能を、世界で一番輝かせてみせます」
彼は墓石に向かって、深く頭を下げた。
「だから、安心して任せてください」
風が吹いた。
木々のざわめきが、まるで「よろしく頼むよ」という父の声のように聞こえた気がした。
「……お姉ちゃん、泣いてるの?」
マリーが心配そうに覗き込んでくる。
私は慌てて頬に手をやった。
指先が濡れていた。
でも、それは以前、マリーに初めて靴を買った時に流したような、激情の涙ではなかった。
あの時は、張り詰めていた糸が切れて、子供のようにわんわんと泣きじゃくった。
怖くて、辛くて、どうしようもなかった分が溢れ出した涙だった。
今の涙は、違う。静かで、温かい。
肩の荷が下りた安堵と、ここまで来られた感謝。
そして、これからは私がこの家の「当主」として、胸を張って生きていくんだという、決意の証。
「ううん……違うの」
私はハンカチで目元を拭い、精一杯の笑顔を作った。
「嬉しかっただけ。……お父さんとお母さんに、『もう心配しないで』って、やっと言えたから」
一筋の涙が、顎を伝って地面に落ち、染み込んで消えた。
それが、私の「弱かった時代」との決別だった。
「さあ、お弁当にしましょうか。みんなで食べれば、もっと美味しいわよ」
「やったー! お腹ペコペコ!」
私たちは墓前で、ピクニックのように車座になった。
青い空。白い雲。
眼下には、煙突から煙が上るノワ村の平和な風景が広がっている。
その光景を見ながら食べる蒲焼は、世界中のどんな料理よりも美味しかった。
◇
心もお腹も満たされ、私たちは丘を降りて村に戻った。
足取りは軽い。
過去への報告は済んだ。あとは、未来へ進むだけだ。
家の近くまで戻ると、何やら人だかりができているのが見えた。
村人たちがざわつき、遠巻きに我が家を見ている。
「……なんだ? またトラブルか?」
アレクが警戒して前に出る。
まさか、昨日の今日でグルマン代官が約束を破ったのか?
嫌な予感がよぎり、私は駆け出した。
しかし、集まっている村人たちの顔を見て、私はすぐに足を緩めた。
彼らの顔色は、冬の間のそれとは別人だった。
こけ落ちていた頬はふっくらとし、肌は太陽に焼けて健康的な小麦色に輝いている。
虚ろだった目には力が宿り、ガリガリだった腕には、労働と食事によって筋肉が戻っていた。
彼らはもう「飢えた群衆」ではない。希望に満ちた「村の住人」だ。
そんな元気になった村人たちが囲んでいたのは、昨日の黒い馬車ではなかった。
白馬に引かれた、優美で洗練された馬車。
そして、扉にはさらに立派な、金色の「双頭の鷲」の紋章――バルト伯爵家の正装をした使者が立っていた。
「あ、あなたがハル殿ですな?」
使者は私を見るなり、恭しく一礼した。
昨日のような高圧的な態度ではない。むしろ、貴賓に対するような礼儀正しさだ。
「は、はい。そうですが……」
「おめでとうございます!」
使者は高らかに告げた。
「昨日、グルマン代官より報告を受けました。『ノワ村に、国宝級の料理人がいる』と。……当主であるバルト伯爵様が、ぜひその『幻の味』を食してみたいと仰せです」
村人たちが「おおおっ!」とどよめく。
国宝級? 幻の味? グルマンめ、一体どんな盛り方をして報告したんだ。
「つきましては、十日後の正午。伯爵邸にて『試食会』を執り行います。ハル殿、並びにパートナーのアレク殿。……直ちに出頭の準備を!」
「え……あ、十日後!?」
「伯爵邸って……お城ですよね?」
私とアレクは顔を見合わせた。
話が大きすぎる。しかも早すぎる。
「伯爵家御用達」になれるかもしれないとは言っていたが、まさかすぐに呼び出されるなんて。
「お迎えの馬車を当日お出しします。……では、失礼!」
使者は羊皮紙の招待状をアレクに手渡すと、颯爽と去っていった。
残された私たちは、呆然と立ち尽くす。
「……おい、ハル」
「……はい」
「これ、とんでもねぇチャンスだぞ。伯爵に認められれば、俺たちの店は一気に『ブランド』になる」
アレクの手が震えている。武者震いだ。
でも、私は別の意味で震えていた。
「ア、アレクさん……大変なことに気づいてしまいました」
「なんだ?」
「私たち……お城に着ていけるような『正装』、一着も持ってません」
私の言葉に、アレクが硬直した。
私たちは互いの服を見た。
私は村娘のワンピース(清潔だが安物)。アレクは行商人の旅装(小綺麗だが平民丸出し)。
いくら肌艶が良くなって見栄えが良くなったとはいえ、着ているものがこれでは、貴族の館に入れば門前払いどころか不敬罪だ。
「……ヤバい」
「どうしましょう!?」
墓前での静かな感動から一転。
私たちは、人生最大の「衣装パニック」に陥ることになった。
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