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誇りを賭けたコース

いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 温かい応援のおかげで、頑張れています。どうぞお楽しみください!

 広場の空気は、張り詰めた糸のように鋭く、冷たかった。


 キッチンカー『ナマズ号』の前には、急ごしらえのテーブルと椅子が置かれ、そこにはグルマン代官がふんぞり返るように座っている。


 その背後には槍を構えた衛兵たち。


 そして、遠巻きに見守る村人たちと冒険者たち。


 数十の視線が、たった一人――厨房に立つ私に注がれている。


「……ふん。遅いな」


 グルマンが懐中時計を大げさに確認し、鼻を鳴らした。


「あと三十分だ。それまでに私の舌を満足させられなければ、約束通り貴様らを処刑し、店を焼き払う」


 理不尽なタイムリミット。  


 けれど、私は答えなかった。答える必要もなかった。  


 今の私にとって、彼は「処刑人」でも「権力者」でもない。  


 ただの、口の悪い「客」だ。


 私は、カウンターの奥にある厨房で、静かに目を閉じた。


(……殺してやりたい)


 正直に言えば、はらわたが煮えくり返るほどの怒りがある。


 マリーを脅し、村長を傷つけ、私たちが積み上げてきたものを踏みにじろうとした男。


 鍋の中に毒でも混ぜてやれば、どんなにスカッとするだろう。


 でも。  


 私は、震える手をギュッと握りしめ、大きく息を吐き出した。


(違う。それは料理人の仕事じゃない)


 前世の記憶が蘇る。  


 どんなに理不尽なクレームをつける客でも、どんなに嫌な上司でも。  


 厨房に立ったら、感情は捨てる。


 皿の上に載せていいのは、「技術」と「誠意」だけだ。


 怒りで乱れた料理は、味が尖る。憎しみを込めた料理は、食べた人の心を冷やす。


 そんなものは「料理」じゃない。ただのエゴだ。  


 私は、私のプライドにかけて、そんな三流の仕事はしない。


「……お姉ちゃん」


 足元で、マリーが心配そうに私を見上げていた。


 私はしゃがみ込み、彼女の頭をポンと撫でた。


「大丈夫よ、マリー。手伝ってくれる?」


「うん! 私、何すればいい?」


「最高の『おもてなし』をするわよ。この間教えたように、ジャガイモを洗って」


 私はエプロンの紐をキリリと締め直し、いつもの、いや、いつも以上の「料理人シェフの顔」になった。


 ◇


 今回の勝負、メニューの構成はすでに頭の中にあった。


   相手は美食家を気取る貴族趣味の男。  


 領都の洗練された料理に慣れている彼に、ただの「屋台飯」を出しても、鼻で笑われるのがオチだ。


 だから、戦略は二段構えで行く。


 テーマは『ギャップ』と『圧倒』。


「まずはスープ……いいえ、『ポタージュ』からよ」


 私は、棚から木箱を取り出した。


 中に入っているのは、以前エストの市場で「商売用」に仕入れておいた、北の国から輸入された高級ジャガイモだ。  


 この村の痩せた土では育たない、丸々として甘みの強い品種。


 これをポテトフライにするつもりだったが、今日は別の使い方をする。


 トントントン。  


 軽快な包丁の音が響き始める。  


 薄くスライスしたジャガイモと、同じく市場で買った玉ねぎを、鍋に入れる。  


 ここで使うのは、貴重なバターだ。アレクが仕入れてくれた最高級品。


 ジュワァ……。  


 バターの溶ける甘い香りが立ち昇る。


 焦がさないように、弱火でじっくり、じっくりと炒める。  


 玉ねぎが透き通り、ジャガイモが崩れる寸前まで。


「いい香りだ……」


 厨房の隅で控えていたアレクが、ゴクリと喉を鳴らした。  


 外にいるグルマンも、鼻をピクつかせているのが分かる。


 そこに投入するのは、水ではない。

   

 ナマズの中骨と頭を焼き、じっくりと煮出した『特製フィッシュ・ブイヨン』だ。

 

 臭みはない。あるのは、川魚特有の上品で力強い旨味だけ。


 グツグツ……。  


 鍋の中で、大地の恵み(芋)と川の恵み(魚)が出会う。

   

 柔らかくなったら、裏ごし器にかける。


 一度ではない。二度、三度。  


 絹のようになめらかになるまで、徹底的にす。


 これが、屋台料理とは一線を画す「手仕事」だ。  


 最後に、エストで仕入れた新鮮な牛乳を加え、塩で味を整える。


「よし。完璧」


 味見をしたスプーンの上で、黄金色の液体がとろりと輝いた。


 次はメインディッシュ。


 『特上・蒲焼重』だ。


 使うのは、今朝獲れたばかりの、最も脂が乗った中型のナマズ。


   まな板の上に載せ、目打ちをする。  


 謝罪も、感謝もいらない。ただ、命をいただく覚悟だけを持って、包丁を入れる。


 スッ。  


 迷いのない一刀。


 骨に沿って身を開き、中骨を取り除く。  


 そして、ここからが勝負だ。


 いつもなら、そのままタレをつけて焼く。


 だが、今日はひと手間加える。  


『白焼き』にしてから、一度『蒸す』のだ。


 関東風ウナギの技法。  


 泥臭さを完全に消し、身をふわふわに柔らかくする工程。


 蒸しあがった身は、箸で持てば崩れそうなほど繊細だ。


 それを、炭火の上に乗せる。


 ジュッ……。


 皮目が炙られる音。  


 そこへ、創業以来(といっても数ヶ月足らずだが)継ぎ足してきた、秘伝のタレをくぐらせる。


 ジュワアァァァァッ!!


 爆ぜる音と共に、醤油と砂糖、そしてナマズの脂が焦げる香りが、爆風のように広がった。


 それは暴力的なまでの食欲の喚起。


 広場にいた全員が、思わず息を呑んだ。


「な、なんだこの香りは……」


 ふんぞり返っていたグルマンが、思わず身を乗り出した。


   その目は、もう私のことなど見ていない。

 

 網の上で艶やかに輝く、飴色の身に釘付けだ。


 そして、その「匂いの暴力」は、味方であるはずの冒険者たちをも直撃していた。


「ぐぅ……ッ! こ、これは反則だろ……」


 大剣を背負ったリーダーの男が、腹を抱えて呻いた。  


 彼の胃袋が、ギュルルルと盛大な音を立てる。


 魔術師の女性も、杖にすがりつきながら涙目になっている。


「嘘でしょ……さっき食べたばかりなのに、またお腹が空いてきた……」


「拷問だ。これはある意味、どんなモンスターの攻撃よりもキツイ精神攻撃だぞ……」


 彼らはジリジリと厨房の方へ身を乗り出すが、今は動けない。


 リーダーの男が、たまらずアレクの袖を引っ張り、小声で囁いた。


「(……おい、商人)」


「(なんですか?)」


「(あの料理……このゴタゴタが終わったら、俺たちにも食わせてくれよな? 絶対だぞ?)」


 彼の目は血走っていた。食欲という名の獣に取り憑かれている。


 アレクは、この緊迫した状況下で、口元をニヤリと歪めた。


「(へえ。あの特上料理をご希望ですか?)」


「(ああ、金なら払う! 言い値でいい!)」


  「(商談成立ですね。……もし余ったら、売ってあげますよ)」


 アレクの目には「勝算」が宿っていた。  


 ハルの料理が失敗するなんて、これっぽっちも思っていない。


 生き残って、こいつらからもしっかり金を巻き上げる気満々だ。


 私は団扇で風を送り、火力を調整する。  


 焦がしすぎず、生焼けにせず。  


 タレを塗り、焼き、裏返し、また塗る。


 ナマズの身が、タレを吸って黄金の衣をまとっていく。


 照りが増し、香りが凝縮されていく。


 その瞬間、私は「無」だった。


 憎しみも、焦りも、恐怖もない。


 ただ、目の前の食材を、最高の状態へと導くこと。


 それだけに全神経を注いでいた。    


 これが、私の仕事。


 これが、私の誇り。


「……できた」


 焼き上がった蒲焼を、熱々の白いご飯の上に鎮座させる。  


 仕上げに、この辺りの山で採れた『山椒』をパラリと振る。  


 爽やかな香りが、濃厚なタレの香りを引き締める。


 完璧だ。


 これ以上のものは、今の私には作れない。


「マリー、お盆を」


「はいっ!」


 私は二つの皿を載せたお盆を受け取り、厨房を出た。


 一歩一歩、踏みしめるようにグルマンの元へと歩く。


   衛兵たちが道を空ける。  


 村人たちが、固唾を飲んで見守る。


 私はグルマンの目の前に立ち、静かに料理を置いた。


「お待たせいたしました」


 私の声は、驚くほど落ち着いていた。


「当店の誇りを賭けたコースです。どうぞ、お召し上がりください」


 目の前に置かれたのは、黄金色に輝くスープと、蓋をされた漆塗りの重箱(エストで見つけた掘り出し物だ)。  

 グルマンは、疑わしげな目で料理と私を交互に見た。


「ふん……。匂いだけは一丁前だがな」


 彼はスプーンを手に取り、まずはスープをすくい上げた。


 とろりとした、クリーム色の液体。


「ただの芋のスープか? 芸がない」


 彼は嘲笑いながら、それを口に運んだ。


 ――その瞬間。


 世界が、止まった。

ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

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