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赤い靴

いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 温かい応援のおかげで、頑張れています。どうぞお楽しみください!

 翌朝。


 私たちは早起きをして、隣町にある商業都市『エスト』へと向かった。


 空は突き抜けるような青。  

 雪解け水でぬかるんでいた道も、朝日を浴びて少しずつ乾き始めている。


「へへっ、足取りが軽いな、ハル」


「当たり前ですよ。懐が温かいんですから」


 私は胸元の革袋をギュッと握りしめた。  

 中には、昨日の売上から経費を引いた純利益――大銀貨20枚(約10万円)が入っている。  

 この村で暮らす家族が、一年かけてようやく稼げるかどうかの大金だ。


 荷車の荷台には、空っぽになった樽や壺が積まれている。  

 そして、その隙間にちょこんと座っているマリーは、ボロボロの毛布にくるまり、期待に目を輝かせていた。


「お姉ちゃん、エストってどんなところ?」


「ここよりもずっと大きくて、美味しいものや綺麗なものが山ほどある街よ」


「うわぁ……楽しみ!」


 マリーが無邪気に笑う。  


 その足元を見て、私は胸がチクリと痛んだ。

 古布を何重にも巻きつけ、縄で縛っただけの粗末な「履物」。  

 冷たい風が吹くたびに、彼女は小さく足をすくませている。


(待っててね。今日で、その痛い布切れとはお別れだから)


 私は決意を込めて、荷車を引く手に力を込めた。


 ◇


 二時間ほど歩き、隣町エストに到着した。  

 そこはノワ村とは比べ物にならないほど賑わっていた。  

 街道の要所ということもあり、レンガ造りの建物が並び、商人たちの活気ある声が飛び交っている。  

 行き交う人々も多く、馬車がひっきりなしに通る。


「……うわぁ。お姉ちゃん、人がいっぱい……」


 マリーが私の服の裾をギュッと握りしめた。


「はぐれちゃいそう……。怖いよぉ」


「大丈夫よ。私の手を離さないでね」


 私たちは人混みをかき分け、まずは「業務用品」の問屋街へと向かった。  

 今日の買い物には、明確なプランがある。


「さて、アレクさん。まずは商売道具の補充です」


  「おう! 任せとけ、値切り倒してやるからな!」


 私たちは馴染みになりそうな雑貨問屋に入った。  

 店主の頑固そうな親父を相手に、アレクのマシンガントークが炸裂する。


「親父さん! 油だ、油! 一番質のいい植物油を樽ごとくれ! それと岩塩も袋いっぱいな!」


「うちは安売りはしねぇよ」


  「大量に買うって言ってんだ。それに、俺たちはこれから贔屓ひいきにする予定だぜ? 今のうちに恩を売っといた方が身のためだ」


 アレクの巧みな交渉術のおかげで、通常より二割も安く仕入れることができた。  


  「それと親父さん。あの黒い液体の樽(醤油)はあるか? 東の国から入ってきてるやつだ」


  「あん? あんな売れ残りか? 倉庫の奥に眠ってるが……」


「ホントか?!全部もらう。安くしといてくれよ!」


 油、塩、そして醤油。

 これさえあれば、ポテトと蒲焼の味は守れる。私たちの生命線だ。


 次に私たちが向かったのは、農具と種子の店だ。


「いらっしゃい」


「おじさん、丈夫な『漁網ぎょもう』はある? それと、野菜の種が欲しいんです」


 買ったのは、生育の早いラディッシュや葉物野菜の種。そして、根菜類の苗。


 これは、村のみんなへのお土産だ。


 ナマズ漁が軌道に乗れば、次は「付け合わせ」の野菜が欲しくなる。栄養バランスを考えても、野菜作りは急務だ。  


 それに、この漁網があれば、村人たちも安全かつ効率的にナマズを捕獲できる。


「よし、これで『村』と『商売』への投資は完了ですね」


 荷車には、油の樽、塩の袋、醤油樽、新品の網、大量の種が積み込まれた。  


 これで大銀貨7枚ほどが飛んだ。  


 でも、安いものだ。これで村の生活基盤が安定し、私たちの商売も盤石になるのだから。


「残るは……あと13枚か」  


 アレクが革袋の重さを確かめる。


「ハル、いよいよだな」


  「ええ。行きましょう」


 私たちは町の目抜き通りにある、一軒の衣料品店に入った。

 ショーウィンドウには、色とりどりの服や靴が飾られている。  

 マリーが「きれぇ……」と息を呑んで立ち止まる。


 カランカラン。  ドアベルを鳴らして入店すると、少しめかし込んだ店主の女性が出てきた。  

 彼女は私たちの泥汚れの残る服を見て、一瞬眉をひそめた。


「あら……。うちは古着屋じゃないわよ? 施しを求めてるなら教会へお行き」


「買い物です」


 私はカウンターに、銀色に輝く硬貨をチャリンと置いた。


「一番いいものをください。この子に」


 大銀貨を見た瞬間、店主の態度が一変した。  

 現金なものだが、商売とはそういうものだ。


「あらやだ、失礼したわね! さあさあ、可愛いお嬢ちゃん、こっちへいらっしゃい!」


 案内されたのは、子供服のコーナー。

 そこには、見たこともないようなフカフカの羊毛のコートや、柔らかなコットンのワンピースが並んでいた。


「マリー、好きなのを選んでいいのよ」


「えっ……でも、こんな綺麗な服、私なんかが着たら汚しちゃうよ……」


「いいの。汚れたら洗えばいいし、破れたらまた買えばいい。……アレクさんが稼いでくれるから」


「おい!」


 アレクが突っ込むが、その顔は笑っている。


 マリーはおずおずと、淡いピンク色のワンピースと、生成りの白いコートを選んだ。

 肌触りの良い、温かそうな服だ。  

 試着室から出てきたマリーを見た瞬間、私とアレクは同時に言葉を失った。


「……天使か?」


「ええ、天使ですね」


 薄汚れたボロ布を脱ぎ捨て、新しい服に身を包んだマリーは、どこかの貴族の令嬢のように愛らしかった。  少し痩せているのが痛々しいが、服の明るさが顔色をよく見せてくれている。


「似合う? お姉ちゃん」


「うん、とっても可愛い。世界一よ」


 よし、次はいよいよ靴だ。そう思った時だった。


「待ちな、ハル」  


 アレクが私の腕を掴んだ。


「お前も買え」


「えっ? 私はいいですよ。まだこの服だって着られますし……」


 私が着ているのは、ツギハギだらけの麻の服だ。確かにボロいが、機能的には問題ない。

 しかし、アレクは真剣な顔で首を横に振った。


「ダメだ。俺たちはこれから『店』をやるんだぞ? 料理人が薄汚れた格好をしてたら、客だって食欲をなくす」


「う……それは、確かに」


「身だしなみは、商売道具の一つだ。これは無駄遣いじゃねぇ、必要な『投資』だ」


 彼の言葉には説得力があった。

 衛生観念は、食品を扱う上で最も重要な要素の一つだ。


「……わかりました。買います」


 私は自分用に、丈夫で清潔感のある紺色のワンピースと、真っ白なエプロンを選んだ。  

 袖を通すと、背筋が伸びるような気がした。  

 鏡に映った自分は、もう「貧しい村娘」ではなく、一人前の「料理人」に見えた。


「へぇ、悪くねぇじゃん。見違えたぜ」


「ふふ、アレクさんもどうですか?」


「俺はいいよ。この商売服が気に入ってるんだ」


 アレクは自分の服の泥をパンパンと払って笑った。


「さて、最後はこれだ」


 私は靴の棚へ向かった。  

 そこに鎮座していたのは、艶やかな革で作られた、丈夫そうで可愛らしい靴。  

 色は、熟れたリンゴのような深みのある赤。


「これを試させてください」


 店主に用意してもらった


『赤い靴』。  


 私はマリーを椅子に座らせ、足に巻かれていた汚い布を解いた。


 ハラリ、と布が落ちる。  

 露わになった小さな足。


 店主が息を呑んだ。  


 そこには、無数の「戦いの跡」が刻まれていた。

 霜焼けで赤黒く腫れた指先。泥と擦り傷だらけの甲。かかとはひび割れ、血が滲んでいる。  

 5歳の少女の足とは到底思えない、痛々しい足。


 これが、私たちが生きてきた現実だ。  

 貧しさが、この小さな足にこれほどの苦痛を強いてきたのだ。


「……ごめんね、マリー」


 私は涙をこらえ、持参した綺麗なタオルで、その足を丁寧に拭いた。

 泥を落とし、アレクから借りた傷薬を塗る。


「痛くない?」


「ううん。お姉ちゃんの手、あったかい」


 マリーは気丈に笑った。

 私は震える手で、さっき買った、新品の靴下を履かせ、そして赤い靴へと足を滑り込ませた。


 スッと入る。  


 ぴったりだ。


 私は紐を丁寧に結び、形を整えた。  

 革のしっかりとした感触が、マリーの足を守ってくれる。


「立ってみて」


 マリーがおそるおそる立ち上がり、床を踏みしめた。  

 コツン、という硬くて心地よい音がした。


「……あっ」


 マリーが目を見開いた。


「痛くない……。石を踏んでも、冷たくないよ」


 その言葉を聞いた瞬間。  

 私の中で、ギリギリまで張り詰めていた糸が、プツリと切れた。


「……っ、う……ぅ……」


 止めようと思っても、止められなかった。  

 これまで必死に蓋をしてきた感情が、ダムが決壊したように溢れ出した。


 寒さに凍え、泣いているマリーの足をさすっていた夜。  

 食べ物がなくて、雪解け水を飲んで凌いだ日。  

 両親が死んで、誰も助けてくれなくて、世界のすべてが敵に見えた孤独な日々。


 悔しかった。惨めだった。  


 大事な妹に、靴一足買ってあげられない自分が情けなくて、何度も死にたいと思った。  


 でも、やっと。

 やっと、守ってあげられた。


「うぅ……っ、うあぁぁぁぁ……っ!」


 私はその場にうずくまり、子供のように泣きじゃくった。  

 顔を覆った手から、ボロボロと涙がこぼれ落ち、床を濡らす。


「お姉ちゃん!?」


「ごめん、ごめんね……っ! 今まで、辛い思いさせて……っ! もっと早く、楽にさせてあげたかった……っ!」


 言葉にならなかった。

 ただ、嗚咽だけが喉の奥からせり上がってくる。  

 安堵と、後悔と、そしてどうしようもない愛おしさが、涙となって止まらない。


「お姉ちゃん、泣かないで……」


 マリーが、小さな手で私の頭を撫でてくれた。  

 その手は温かくて、優しかった。


「私、幸せだよ。お姉ちゃんがいてくれて、美味しいごはんが食べられて、こんな素敵な靴も履けて……。世界で一番、幸せだよ」


 マリーもまた、泣いていた。  

 私たちは店の中で、人目もはばからず抱き合って泣いた。  

 店主の女性も、もらい泣きしてハンカチで目頭を押さえている。


 アレクだけが、少し離れた場所で、腕を組んで天井を見上げていた。  

 その目が少し赤くなっているのを、私は見逃さなかった。


 ◇


 お会計は、食材などの商売道具と、衣服を全部合わせて大銀貨17枚。  

 利益の八割以上が消えた。  

 商売人としては失格かもしれない。  

 でも、鏡に映る自分たちの姿を見て、私は確信した。  

 これは浪費じゃない。  

 私たちが胸を張って生きていくための、誇りの鎧だ。


 帰り道。  


 夕日に照らされた街道を、荷車がゴトゴトと進んでいく。  

 荷台の上のマリーは、新しい靴を履いた足をブラブラさせながら、嬉しそうに鼻歌を歌っている。  

 コツン、コツンと靴同士がぶつかる音が、軽やかなリズムを刻む。


「……いい金の使い方だったな」


 荷車を引きながら、アレクが言った。


  「ええ。後悔はありません」


 私は、新調した紺色のワンピースの裾を撫でた。  

 清潔な布の感触が心地よい。


 私の手元に残ったのは、大銀貨3枚。

   決して多くはないが、ゼロからのスタートに比べれば十分すぎる額だ。  

 それに、荷台には村のための網や種、商売のための油と醤油が満載されている。


「見ろよ、ハル。マリーのやつ、お姫様みたいだ」


「ふふ、本当ですね」


 赤い靴は、夕日を浴びて宝石のように輝いていた。  

 それは、私たちが貧困という泥沼から抜け出し、自分の足で歩き始めた証。


「さあ、帰ろう。村のみんなが待ってる」


 私たちは足取り軽く、家路を急いだ。  

 次に待っているのは、この「種」と「網」を使って、村全体を豊かにする大仕事だ。  


 私の、そして私たちの戦いは、まだ始まったばかりなのだから。

ご一読いただきありがとうございます!

思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。

もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。

今後の励みになりますのでもし「面白かった」「続きが読みたい」と思っていただけたら、 ページ下の【☆☆☆☆☆】からポイントを入れて応援してもらえると嬉しいです。


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