村の夜明け
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夜は更けていたが、ノワ村の広場は、まるで真昼のように明るかった。
焚き火の炎がパチパチと爆ぜ、その周りを村人たちが取り囲んでいる。
宴は、まだ続いていた。
『冥府の使い』と呼ばれた巨大な主は、すでに骨の髄までしゃぶり尽くされ、今は私とアレクが泥まみれになって追加で捕獲してきた、五匹の中型ナマズが焼かれている。
ジュワァァァ……。
タレが炭火に落ちる音。立ち昇る甘辛い香ばしさ。
そして、それに負けないくらいの喧騒。
「おかわり! こっちにも回してくれ!」
「待て待て、子供が先だ!」
「かぁーっ! 生き返る! 五臓六腑に染み渡るとはこのことだ!」
村人たちの顔を見て、私はふと手が止まりそうになった。
みんな、笑っている。
顔中をタレと脂でベトベトにし、歯の抜けた口を開け、目を細めて笑っている。
つい数時間前まで、彼らの瞳には絶望と諦めしかなかった。
冬の寒さに凍え、減りゆく備蓄に怯え、沼の主を「祟り神」と恐れて小さくなっていた人々。
それが今、どうだ。
恐怖の対象だった「主」を腹に収め、そのエネルギーを自らの血肉に変えている。
「……変わったな」
隣で団扇を扇いでいたアレクが、ポツリと漏らした。
彼の顔も煤だらけだが、その瞳は焚き火の光を受けて力強く輝いている。
「ええ。変わりましたね」
私は頷き、タレの入った鍋をかき混ぜた。
ただお腹がいっぱいになっただけじゃない。
彼らの中で、何かが「ひっくり返った」のだ。
「おい……信じられるか? 俺たち、あの『主』を食っちまったんだぞ」
「ああ。あんなに怖がってたのが、まるで馬鹿みたいじゃねぇか」
「ご馳走だったんだな……。ずっと俺たちの足元に、こんな美味い肉があったなんてよ」
村人たちの会話から、「呪い」という単語は完全に消え失せていた。
代わりに聞こえてくるのは、「明日」の話だ。
どうやって獲るか。どうやって食べるか。どうやって分けるか。
「食」への執着が、彼らの生きる力を呼び覚ましていた。
私は、焼き上がったばかりの蒲焼を皿に乗せ、列の先頭にいた親子に手渡した。
母親に抱かれた小さな男の子が、大きな口でパクついた。
「おいひぃ! おねえちゃん、これ、おいひぃよ!」
「ふふ、よかったね。いっぱい食べて大きくなるんだよ」
男の子の無邪気な笑顔を見ながら、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
前世、私が開発したコンビニ弁当やレトルト食品は、確かに便利で美味しかった。
売上データという数字で、何万人が食べたかは知っていた。
けれど、こんな風に、目の前で人の命を輝かせる瞬間を見たことがあっただろうか。
(……来てよかった。この世界に)
心からそう思えた。
過労で倒れ、孤独に死んだ前世。
あの味気ない最期が、この瞬間のためにあったのだとしたら――それは決して無駄じゃなかった。
その時だった。
ざわざわとした喧騒を縫って、村長がゆっくりと歩み寄ってきた。
村人たちが自然と道を開ける。
村長の手には、何も入っていない空の皿が握られていた。
「……ハルよ」
「村長。おかわりですか? ちょうど尾の身が焼けたところですよ」
私が串を持ち上げようとすると、村長は静かに首を横に振った。
その表情は真剣で、どこか神妙なものだった。
周りの村人たちも、村長のただならぬ雰囲気に気づき、次第に静まり返っていく。
「ハル。礼を言う。……お前のおかげで、村は救われた」
「そんな、大げさですよ。私はただ、マリーに美味しいものを食べさせたかっただけで……」
「謙遜するでない。これは事実じゃ」
村長は杖をつき、私を真っ直ぐに見据えた。
その目は、一人の少女を見る目ではなく、何か得体の知れない「畏怖すべき存在」を見る目だった。
「じゃがな、ハル。わしは昨日からずっと不思議に思っておったんじゃ」
村長の言葉に、村人たちが頷く。
「お前の両親が亡くなってから、お前はずっと一人でマリーを育ててきた。その苦労は知っておる。……だが、お前はこの間まで、ただの普通の娘じゃった」
広場が静寂に包まれた。 パチパチという薪の爆ぜる音だけが響く。
「不味いと捨てていた芋を、黄金の料理に変える技。毒草だと思っていた草を、最高の薬味に変える知識。そして、村中が恐れていた化け物を、極上のご馳走だと見抜く目」
村長は一歩、私に近づいた。
「それに、あの黒い水じゃ。アレク殿が『ゴミ』だと言っていたものを、お前は迷わず『宝』だと言った。……まるで、その味を最初から知っていたかのように」
ドキリ、とした。
隣のアレクも、ハッとした顔で私を見ている。彼もまた、心のどこかで同じ疑問を抱いていたのだ。
「教えてくれんか、ハル。お前は……一体、何者なんじゃ? なぜ、この村の誰も知らない、いや、この国の学者様でも知らないようなことを、知っておるんじゃ?」
村人たちの視線が私に集中する。
そこにあるのは、疑いではない。純粋な疑問と、そして期待だ。
この奇跡を起こした少女には、何か特別な秘密があるに違いないという確信。
私は、手に持っていた団扇代わりの葉を置いた。
もちろん聞かれるとは思っていた。
でも、14歳の田舎娘が、いきなり「前世の記憶があります」なんて言っても、頭がおかしいと思われるだけだ。あるいは、悪魔憑きだと恐れられるかもしれない。
だけど、嘘をついて誤魔化すのも、彼らの誠意を裏切る気がした。
彼らは、命がけで私を守ろうとしてくれた「共犯者」なのだから。
私は大きく息を吸い込み、夜空を見上げた。満天の星が輝いている。
あの星の彼方に、かつて私がいた世界があるのだろうか。
「……夢を、見たんです」
私は静かに語り始めた。
「2日前……食料が尽きて、マリーが私に食事を譲ってくれた夜のことです。私は空腹と絶望で、意識を失いかけていました」
それは嘘じゃない。
ハルの魂に、私(前世の魂)が融合した、あの境界線の記憶。
「暗い闇の中で、私は死にかけました。……でもその時、誰かが私の手を引いたんです」
私は目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、前世の最期の光景ではない。
もっと抽象的で、けれど鮮烈なイメージ。
「とても明るくて、暖かくて……いい匂いのする場所でした」
私の言葉に、村人たちがゴクリと喉を鳴らす。
「そこには、飢えも寒さもありませんでした。山のような食べ物が並んでいて、夜でも昼間のように明るい光が灯っていて……人々はみんな、美味しいものを食べて笑っていました」
日本の記憶だ。
24時間営業のコンビニ。デパ地下の食品売り場。活気あふれる居酒屋。
飽食の時代と言われた、あの懐かしい世界。
「そこに、一人の『美しい人』が立っていました」
私は、前世の自分を思い浮かべた。
くたびれたスーツ姿のOLだったけれど、今の私から見れば、彼女は知識という宝を持った賢者だ。
「その人は、泣いている私に優しく微笑んで、教えてくれたんです。『諦めないで』って」
私は自分の胸に手を当てた。
『この世界には、美味しいものが溢れているのよ』
『足元を見てごらん。泥だらけの芋も、臭い雑草も、恐ろしい魚も……魔法をかければ、みんな笑顔の素になるの』
私は、前世の私が今の私に語りかける言葉を、そのまま口にした。
「その人が、作り方を教えてくれました。油の使い方、毒の抜き方、タレの作り方……。目が覚めた時、私の頭の中には、その知識が残っていたんです」
私は目を開け、村人たちを見渡した。
「だから、これは私の力じゃありません。飢えに苦しむ私たちを哀れんで、神様が……ううん、食の神様が、知恵を授けてくれたんだと思います」
静寂が流れた。 あまりにも荒唐無稽な話かもしれない。
でも、この世界において、これ以上の説明はなかった。
やがて、老婆の一人が、震える声で呟いた。
「……やっぱり、そうじゃったか」
彼女は、拝むように手を合わせた。
「お前さんが料理をしている時の顔……あれは、何かが憑いているようじゃった。……そうか、神様が降りてきておったんか」
「なんと……。我らは、神の使いに守られたというのか」
「ありがたや、ありがたや……!」
村人たちが次々と手を合わせ、涙を流し始めた。
彼らにとって、この数日間の出来事は「奇跡」以外の何物でもなかったのだ。
飢餓の淵から救い出され、絶望が希望に変わった。その事実は、どんな教義よりも雄弁に「神の存在」を証明していた。
「……なるほどな」
隣にいたアレクが、深く、心の底から納得したように頷いた。
私は驚いて彼を見た。
「アレクさん? ……信じるんですか?」
「当たり前だろ」
アレクは真面目な顔で言った。
「俺は一昨日から、ずっと不思議だったんだ。芋を黄金に変え、化け物を宝石に変える、その手腕。……ただの14歳の小娘にできるわけがねぇ。誰か『師匠』がいるはずだと思ってたが、まさか相手が『食の神様』だったとはな」
彼の目に、疑いの色は微塵もなかった。 商売人として「運」や「縁」を大切にする彼にとって、人知を超えた力の存在は、否定すべきものではなく、畏敬すべき事実なのだ。
「スッとしたぜ。お前がなんであんなに自信満々だったのか、やっと分かった。……神様のお墨付きなら、そりゃあ間違いねぇわな」
アレクは感心したように溜息をつくと、私の肩をバンと叩いた。
そして、拝んでいる村人たちに向かって、晴れやかな顔で声を張り上げた。
「へいへい、みんな! 拝んでる暇があったら食え! せっかく神様が『生きろ』って授けてくれた料理だぞ!」
彼は両手を広げて煽った。
「食の神様ってのはな、料理を残されるのを一番嫌うんだ! 綺麗に平らげるのが、一番の信仰心ってもんだろ!」
その言葉で、畏怖に凍りつきそうだった空気が、一気に陽気なものへと弾けた。
「そ、そうだな! 冷めたらバチが当たる!」
「食おう! 神様に感謝して!」
「ハルちゃん、いや、ハル様! おかわり!」
「ハル様はやめて!」
と私が叫ぶ声も、笑い声にかき消された。
宴は夜更けまで続いた。
村人たちは腹がはちきれるまで食べ、飲み(水だが)、そして笑い合った。
私はふと、夜空を見上げた。
雲ひとつない空の真ん中に、見事な満月が鎮座していた。
その光は、雪解けの残る大地を青白く、そして優しく照らし出している。
「……お姉ちゃん」
膝の上でウトウトしていたマリーが、目をこすりながら私を見上げた。
「キラキラしてるね」
「ん? お月さま?」
「ううん。みんなの顔」
マリーは、焚き火と月明かりに照らされた村人たちの笑顔を指差した。
その顔は、もう骸骨のようには見えない。
満腹の幸福感に満ち、月のように穏やかに輝いていた。
「そうね。……本当に、キラキラしてる」
私はマリーを抱きしめた。
神様のおかげだと誤解されたままでもいい。
この笑顔を守れるなら、私は喜んで「巫女」でも何でも演じてやる。
冷たく澄んだ月光が、広場の中央に残された巨大ナマズの骨を白く浮かび上がらせ、そして私たちの未来を祝福するように、村全体を幻想的に包み込んでいった。
ノワ村の夜。
それは、伝説の幕開けとなる、忘れられない一夜だった。
◇
「さて、ハル」
宴の熱気が少し落ち着き、静けさが戻り始めた頃。
アレクがコーヒーもどきのような、温かい木の実の煮出し汁を飲みながら、月を見上げて私に言った。
「村のみんなの腹は満たされた。……次は、俺たちの番だろ?」
「ええ。設備投資、仕入れルートの確保、新メニューの開発……やることは山積みですよ、パートナー」
「へっ、望むところだ」
アレクはカップの中身を飲み干すと、ふと独りごちた。
「……いいなぁ、お前は。食の神様に愛されてて」
「アレクさん?」
「俺にも降りてきてくれねぇかなぁ、『商売の神様』」
彼は本気で羨ましそうな顔をした。
「夢枕に立って、『これを売れば、大儲けできるぞ』とか教えてくれたら、俺も一国一城の主になれるのによ。……俺の日頃の行いが足りないのかねぇ」
彼はため息をつき、それからニカッと笑って私を見た。
「ま、神様が来るまでは、地道に働くとするか! 頼りにしてるぜ、ハル!」
「ふふ、はい。頑張りましょう」
私は苦笑して頷いた。
アレクはまだ気づいていない。
泥沼で立ち往生していた彼を助け、売れない塩と油を買い取り、ゴミだと思っていた醤油を宝に変え、この村に莫大な富をもたらす種を蒔いた少女。
彼が待ち望んでいる「商売の女神様」は、とっくに目の前に降臨しているということに。
私たちは顔を見合わせ、共犯者の笑みを浮かべた。
満月の光が、二人の影をくっきりと地面に焼き付けていた。
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