禁断の解体
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。 温かい応援のおかげで、頑張れています。どうぞお楽しみください!
ドスンッ!!
村の広場の中央に、黒光りする巨体が投げ出された。
『冥府の使い』と呼ばれた、体長二メートルを超える巨大ナマズだ。
その横には、私とアレクが泥まみれになって捕まえてきた、一メートル級の中型ナマズが五匹並べられている。
広場は、水を打ったように静まり返っていた。
集まった村人たちは、遠巻きにそれを取り囲み、恐怖と好奇心が入り混じった複雑な表情で見つめている。
昨日のポテトで私の腕を信じ始めたとはいえ、やはり「主」の威圧感は別格だ。
ヌルヌルとした黒い肌、長く伸びた髭、そして何でも飲み込みそうな巨大な口。
どう見ても「美味しそう」には見えない。ただの「死体」だ。
「……ハルよ。本当にこれを食うのか?」
村長が、顔を引きつらせて尋ねてきた。
「もちろんです。これから私が、こいつの『化けの皮』を剥がしてみせます」
私は袖をまくり上げ、即席の解体台(大きな切り株の上に板を渡したもの)の前に立った。
手には、アレクから借りたナイフ。
よく研いでもらっておいたので切れ味は抜群だ。
「アレクさん、お湯の準備は?」
「おう、グラグラに沸いてるぞ!」
アレクが大鍋を指差す。
私は頷き、最初の工程に取り掛かった。
「皆さん、よく見ていてください。この魚が泥臭いと言われる最大の理由は、表面を覆うこの『ヌメリ』にあります。ここに泥と雑菌が溜まっているんです」
私は柄杓でお湯をすくい、ナマズの黒い肌に回しかけた。
ジュワッ……。
熱湯を浴びた瞬間、黒光りしていた肌が白く変色し、固まった。
私はすかさず、タワシ代わりの硬い草の束で、その表面をゴシゴシとこすり始めた。
「こうやって熱湯でヌメリを固めて、洗い流す。これを『湯引き』と言います。これをやるだけで、臭みの九割は消えます」
ゴシゴシ、ゴシゴシ。
黒い泥のような汚れが剥がれ落ち、下から艶やかな濃紺の皮膚が現れる。
まるで汚れた服を脱がせているようだ。
「へぇ……。綺麗になるもんじゃな」
最前列で見ていた老婆が感心したように呟く。
「ここからが本番です」
私はナマズの頭に目打ち(太い釘で代用)を打ち込み、まな板に固定した。
深呼吸を一つ。
開発担当者としての「分析」の目は閉じ、料理人としての「職人」の目を開く。
狙うは腹。
肛門から顎にかけて、一気に刃を走らせる。
スッ……。
抵抗はない。研ぎ澄まされた刃先が、分厚い皮を吸い込まれるように切り裂いていく。
まるで、ジッパーを下ろすかのように滑らかに。
パカリ。
開かれた腹の中から、内臓を取り出す。
グロテスクな光景に、村人たちが「うっ」と顔を背ける。
だが、私は手を止めない。内臓を綺麗に取り除き、血合いを水で洗い流すと――。
「……あっ」
誰かが息を呑んだ。 そこに現れたのは、誰も想像していなかった光景だったからだ。
真っ白だ。
外見の禍々しい黒さとは裏腹に、その身は透き通るような純白。
そして、刃を入れた断面からは、じわりと脂が滲み出している。
「嘘だろ……。なんだその綺麗な身は」
アレクが目を見開いて呟く。
「これが『冥府の使い』の中身です。泥の中でたっぷりと栄養を蓄えた、極上の白身。……宝石みたいでしょう?」
私は中骨に沿ってナイフを入れ、三枚におろしていく。
ザッ、ザッ。
骨に身を残さないよう、慎重かつ大胆に。
切り出された長い切り身は、まるで最高級の白絹のようだ。
「マリー、見ててね。これを美味しくするから」
「うん! お魚さん、綺麗!」
マリーだけは、最初から「美味しそう」という目で見ていた。さすが私の妹だ。
切り分けた身を、さらに食べやすい大きさにカットし、串を打つ。
本来なら竹串だが、今回は削った硬い木の枝で代用だ。
皮と身の間に串を通す。脂が乗っているので、スッと入る。
「よし。焼きに入ります!」
私は炭火を起こしたU字溝のように石を並べて作った焼台の上に、串打ちしたナマズを並べた。
ジジッ……。
炭火の熱を受けた皮が収縮し、身がふっくらと膨らみ始める。
白焼き(素焼き)だ。
まずはタレをつけずに焼き、余分な水分と臭みを飛ばし、脂を活性化させる。
ポタッ。
熱された身から溢れ出た脂が、炭の上に落ちる。
ジュッ!
白い煙が上がり、香ばしい匂いが漂い始めた。
「……いい匂いじゃ」
「魚の焼ける匂いだ。でも、生臭さがないぞ?」
村人たちの鼻がひくつく。
まだだ。まだ完成じゃない。
ここからが、私の真骨頂。
「アレクさん! 初日に会った時、あなたが『ゴミ』だって言ってた、あの樽を出してください!」
「ああん? ゴミぃ?」
「ほら、荷車の隅っこに積んであった、小さな黒い樽ですよ!」
アレクがハッとした顔をして、荷車の奥から埃をかぶった樽を引っ張り出してきた。
「これか? おいおい、本気かよ。こいつは東の国から仕入れた失敗作だぞ?色が黒くて塩辛いだけで、こっちじゃ全然売れなくてな。次の町で捨てようと思ってたんだが……」
彼がボヤくのを横目に、私は心の中でガッツポーズをした。
そう、あの日――アレクと出会い、油と塩を借りるために荷車を物色した時、私はこの樽を目ざとく見つけていたのだ。
その時はフライドポテトを作るのに必死でスルーしたが、開発担当者の鼻は、その独特の芳醇な香りを忘れてはいなかった。
私は樽の栓を開け、指先についた黒い液体を舐めた。
強い塩気と、大豆が発酵した深い旨味。
「やっぱり……!」
間違いなく、それは『醤油』だった。
この世界の人々にとっては「黒くて辛い謎の液体」でも、私にとってはダイヤモンドより価値のある調味料だ。
「アレクさん、あなたは本当に運がいい。捨てなくて正解でしたよ」
「へ? ど、どういうことだよ」
「これが化けるんです。……見ていてください!」
私は小鍋に、その醤油を注いだ。
さらに、アレクが持っていた『蜂蜜』と、これまた売れ残りの『東の酒』を加える。
そして、さっき捌いたナマズの頭と中骨を焼き、その鍋に放り込む。
グツグツグツ……。
かまどで煮詰めること数分。
骨から出た濃厚な出汁と、焦げた醤油、蜂蜜の甘みが融合し、とろりとした黒蜜のような液体が出来上がった。
秘伝のタレ、完成。
「いくわよ!」
私は白焼きにしたナマズを、タレの鍋にドボンとくぐらせた。 茶色く艶めいた身を、再び炭火の上に戻す。
その瞬間。世界が変わった。
ジュワアァァァァァ――――ッ!!
タレが焦げる音。 そして、爆発的に広がる香り。
醤油の焦げた香ばしさ。
蜂蜜の濃厚な甘い香り。
ナマズの脂がタレと混じり合い、炭火で燻されることで生まれる、脳髄を直接犯すような魔性の香り。
日本人のDNAに刻まれた「蒲焼」の匂いだ。
いや、日本人でなくとも、この匂いに抗える生物なんているはずがない。
「な、なんだこれは……ッ!?」
「うおおぉぉ!? 匂いが! 匂いがぁぁ!」
村人たちが騒然となった。
昨日のポテトの時も凄かったが、今回は次元が違う。
「揚げ物」の匂いが「暴力」なら、この「蒲焼」の匂いは「支配」だ。
広場の空気が、その甘辛い香りに塗り替えられていく。
風に乗って流れる煙は、家の中に隠れていた病人や、寝たきりの老人まで叩き起こすほどの威力を持っていた。
ゴクリ、ゴクリと、村中の喉が鳴る音が聞こえるようだ。
「ハ、ハルよ……。これは、一体……」
村長が震える手で杖を握りしめている。その目は釘付けだ。
「まだです。最後に、これを」
私は懐から、さっき命がけで採ってきた『痺れ草』を取り出した。
乾燥させて粉にする時間はないので、生の葉と実を包丁で細かく叩く。
爽やかな柑橘系の香りが弾ける。
それを、ジュウジュウと音を立てている蒲焼の上に、パラリと振りかけた。
完成。
『冥府の使いの特上・蒲焼』。
濃厚なタレの香りを、山椒の清涼感が引き締め、より一層食欲をそそる完成された芳香へと進化する。
私は串を持ち上げ、タレがしたたる黄金色の身を掲げた。
夕陽を浴びて、それは神々しいほどに輝いていた。
「さあ、皆さん。約束の『祝勝会』です」
私の声は、静まり返った広場によく響いた。
「これが、皆さんが恐れていた『呪い』の正体です。……どうですか? まだ怖いですか?」
誰も答えない。
いや、答えられないのだ。
彼らの目は、恐怖ではなく、純粋な「飢え」でギラギラと光っていた。
口の端からは、抑えきれない唾液が垂れている。
マリーが、私の服の裾をキュッと引っ張った。
見下ろすと、彼女はもう我慢の限界といった顔で、大きく口を開けて待っていた。
「お姉ちゃん……あーん!」
私は苦笑し、一番肉厚な部分を一口大に千切って、マリーの口へ放り込んだ。
「熱いから気をつけて……」 「はふっ! んぐっ……!」
マリーは熱さに目を白黒させながらも、必死にハフハフと口を動かした。 そして。 ゴクン、と飲み込んだ瞬間。
「…………!!」
彼女の体から力が抜け、へなへなと座り込んだ。 頬がとろけ落ちそうな、恍惚の表情。
「マリー!?」
「……とろけるぅ……」
マリーは夢心地で呟いた。
「お口に入れたらね、ふわぁってなって、ジュワァってなって……甘くて、しょっぱくて……なくなっちゃったの」
その感想は、詩的ですらあった。
その様子を見た瞬間、村人たちの理性のタガが外れた。
「く、食わせてくれぇぇぇ!」
「俺にも! 俺にもくれ!」
「金なら払う! へそくり全部出すから!」
我先にと殺到する村人たち。
もはや「主の祟り」なんて言葉を口にする者は一人もいない。
そこにいるのは、ただ「美味いもの」を求める、素直な人間たちだけだった。
「並んでください! 逃げませんから!」
アレクが嬉しい悲鳴を上げて交通整理をする。
私は次々と焼き上がる蒲焼を、村人たちに手渡していった。
一口食べた者が、次々と驚愕の声を上げ、そして幸せそうな溜息を漏らす。
「美味い……なんて美味いんじゃ……」
「泥臭さなんて微塵もないぞ!」
「これが、あの化け物かよ……信じられねぇ」
村中に漂う甘辛い香り。
あちこちで咲く笑顔。
それは、長く厳しい冬が終わり、この村に本当の「春」が訪れた瞬間だった。
私は焼き台の煙の向こうで、忙しく立ち働くアレクと目が合った。
彼は顔中煤だらけにして、それでもニカッと白い歯を見せて笑った。
(大成功だな)
彼の口がそう動いた気がした。
私は小さく頷き返し、また新しい串をタレに浸した。
ジュワアァァ……。
最高の音が響く。
禁断の解体ショーは、村の歴史を塗り替える大宴会へと変わったのだった。
ご一読いただきありがとうございます!
思った以上に読んでくださる方がいて、とても嬉しいです。
もっと楽しんでもらえるように頑張りたいと思います。
今後の励みになりますのでもし「面白かった」「続きが読みたい」と思っていただけたら、 ページ下の【☆☆☆☆☆】からポイントを入れて応援してもらえると嬉しいです。
ブックマーク登録も、執筆の励みになります。 よろしくお願いします!




