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最上階は、空を向いている-間宮響子-

作者: 江渡由太郎 原案:J・みきんど
掲載日:2025/12/20

 最初に異変に気づいたのは、風では説明できない揺れだった。


 深夜二時。


 誰もいないはずのマンション最上階で、カーテンが内側へと膨らんだ。次の瞬間、誰かが立っている影が窓に映る。


 ――それが、すべての始まりだった。


 霊能力者・間宮響子が現地を訪れたのは、雨の降る夕方だった。


 築二十五年。


 三十三階建てのマンション。


 問題の部屋は、三十二階の角部屋。


 過去十年で、 不穏な出来事がたて続けに起こっていた。


 火災による一家死亡事故。 単身者の飛び降り自殺(二件)。 原因不明の転落事故(一件)。


 すべてが、この部屋の住人だった。


 管理人は、鍵を差し出す手を震わせながら言った。


「……共通点があるんです」


「皆、亡くなる前に……」


「“窓が呼ぶ”と、言っていた」


 間宮は無言で頷いた。


 エレベーターが三十二階に到着した瞬間、彼女の耳鳴りが始まった。


 高い音。 それは、風の音ではない。


 笑い声に近い。


 部屋に足を踏み入れた瞬間、間宮は悟った。


 ここには、霊が“棲んで”いるのではない。


 ここは、霊が“上を見上げ続けてきた場所”だ。


 窓は、天井まで届く全面ガラス。


 曇りも汚れもない。


 異様なほど、外がよく見える。


  そして――。


 こちらも、見られている。


 間宮は、ゆっくりと数珠を握った。


「……出てきなさい」


 返事はなかった。


 だが、窓ガラスに、もう一人の間宮響子が映った。


 映像は、わずかに遅れて動く。


「……あなたは、誰?」


 鏡像が、口を開いた。


『わたしは――落ちた人たちの視線』


 瞬間、視界が反転する。


 間宮は“見て”しまった。


 火災の日、炎に包まれながら、窓の外に広がる夜景を見つめていた一家。


 飛び降りる直前、異様な安心感に包まれた人々。


 彼らは恐怖で落ちたのではない。


 “呼ばれて”いた。


『上に行けば、苦しみは終わる』


『空に近づけば、あなたは軽くなる』


 その囁きが、何十人分も、重なっている。


 悪霊は、形を持たなかった。


 それは、“高所に立った人間が最後に抱く感情”の集合体。


 救われたい。


 消えたい。


 飛べるかもしれない。


その願望が、この部屋で凝縮されていた。


 間宮は、窓へ一歩近づいた。


 すると、床がわずかに傾く。


 物理的にではない。


 意識が、外へ引かれる。


『あなたも、知っているでしょう』


声が、彼女の中から響く。


『救えなかった人たちを』


『落ちていった魂を』


 窓ガラスに、過去の相談者たちの顔が浮かぶ。


 助けられなかった者。


 手遅れだった者。


 間宮の足が、自然と窓枠にかかる。


 そのとき――。


 彼女は、はっきりと理解した。


 この悪霊は、人を殺さない。


 人が、自分から“空を選ぶ”ように仕向ける。


 間宮は、数珠を床に置いた。


「……私は、落ちない」


 小さく、だが確かな声で言った。


「私は、ここに立ち続ける」


 悪霊が、ざわめく。


『なら、あなたは――』


「地上を選ぶ」


 その瞬間、窓ガラスに無数のヒビが走った。


 だが割れない。


 叫び声が、上から下へと落ちていく。


 間宮が部屋を出た時、ひび割れた窓はただの窓に戻っていた。


 数日後。


 管理会社は、その部屋を永久封鎖した。


 だが――。


 夜、マンションを見上げると、三十二階の角だけ、なぜか暗闇が濃い。


 そして時折、その闇の奥で、誰かが立ち止まり――。


 下を見ている。


 あなたが、もし高層階の窓辺に立ったとき。


 理由もなく、「ここからなら楽だ」と思ったなら。


 それは、あなたの考えではない。


 あの部屋は、今も空を向いている。


 ――(完)――



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