01
目が開き、跳ね起きる。ああ〜、またやっちゃった。盛大に寝過ごした。というか、ここはどこ?
見慣れない豪華絢爛な寝室。昨夜の記憶を手繰り寄せる。
「転生?」
確か、トラックに、って、まさか。よくある異世界転生ってやつ?痛む頭の記憶に入り込むもう一つの、あった記憶を手探りに引き寄せる。
「貴族?」
公爵夫人?鏡に映る自分は、見慣れない貴族令嬢の姿。サラサラの金髪に、吸い込まれそうな青い瞳。
「おお、好みの外見」
うん、悪くない。今はどうやら既婚者らしい。前世の自分よりずっと美人。って、そんなことよりも。
「おはようございます、奥様」
控えめな声で振り返ると、若い侍女が心配そうにこちらを見ていた。
「おはよう、ございます」
あっぶな。奇行を見られてしまったか。ぎこちない挨拶を返すと侍女はホッとしたように微笑んだ。
「旦那様がお待ちかねです」
見なかったふりをされる。旦那様?ああ、そうか。そうだった、そうだった。今日、この国の公爵に嫁いだんだよね、確か。前世の記憶が蘇るにつれて、この世界のことも少しずつ理解してきた。
脳って便利。夫となる公爵はこの国でも指折りの名門貴族らしいが、何故か醜いと評判らしい。名門貴族をこき下ろせるこの国の人間こそ、なかなかヤバめなお国柄。
自分たちの生活を担う人間を邪険にするとは、怖や怖や。侍女に案内されて広間へ向かうと噂の公爵様が一人、静かに朝食をとっていた。どんな顔だろうか。嫁いだけど、まだまともに見てない。恐る恐る顔を上げると。
え?かっこいい、フツーに。確かに、彫りの深い顔立ちはいかつい印象を与えるかもしれない。だが、しかし。整った骨格、射抜くような鋭い眼光。
何より、漂う落ち着いた雰囲気が、カロリィナの前世の価値観からすると、むしろ魅力的に映る。
醜いなんてとんでもない。むしろ、大人の色気があって素敵だ。かっこよくないと、評価している人の心眼は地に落ちている。これだけは確定した。
彼はカロリィナの存在に気づくとゆっくりと顔を上げた。深みのある声が広間に響く。
「おはようございます、カロリィナ」
カロリィナは今世の新しい名前だ。まだ少し慣れないけれど。
「おはようございます、閣下」
ぎこちなく頭を下げると、彼は軽く頷いた。
「どうぞ、こちらへ」
促されるままに席に着く。紳士だ、紳士。目の前には、見たこともないような豪華な朝食が並んでいる。パンも、スープも、見たことのない果物も、全てが美味しそうだ。その前にと。
「あの、閣下は評価を低めに見積もられておりますが」
つい、口に出してしまった。彼の表情は変わらない。少しだけその瞳が深く沈んだように見えた。傷つけるつもりではなく、相手がどう考えているか確認したくて。
「世間の評価など気にしたことはありません」
低い声には、揺るぎない自信のようなものが感じられる。
「あなたこそ、大丈夫なのですか?」
そうか。この人は外見の評価など超越した、何かを持っているんだ。
「何がですか?」
「私に嫁いだことです」
それとも殻にこもっているか。目の前の彼は想像していたよりもずっと魅力的だ。
「別に、特になんとも」
「私の前では言いにくいことを聞いてしまい申し訳ありません」
己はこの世界では少し浮いてしまうかもしれないけれど。まあ、なんとかなるだろう。
「いえ、なんともないです」
「とても、気丈な方なのですね」
新しい人生、意外と悪くないかもしれない。そんなことを思いながら、目の前の美しいスープに手を伸ばした。
朝食の後、公爵。もとい、夫のスコッティはこの広大な屋敷を案内してくれた。豪華な調度品。手入れの行き届いた庭園、そこで働く多くの人。その全てが、前世で生きてきた世界とはかけ離れていた。
スコッティは、寡黙だ。けれど、時折見せる気遣いがカロリィナの心をじんわりと温める。
例えば、歩きにくい廊下ではさりげなく手を添えてくれたり、美しい庭園の花の名前を教えてくれたり。エスコート付きで。その低い声は、心地よく響く。
「この薔薇は、特に大切に育てています。あなたの瞳の色に似ている。それくらいしか、あなたにやってあげられることしか、ありませんが」
不意にそんなことを言われたものだから、心臓がドキリと跳ね上がった。口説かれるとは。過去、そんなロマンチックな台詞を吐く男性には出会ったことがなかった。屋敷の案内の後、スコッティは書斎にこもって仕事に戻った。
「私のキスなど嫌かもしれませんが、お許しを」
別れ際、手にキスされてしまったよ。いや、照れる照れる。現代人に多大に効果があるというか。侍女のシエマに連れられて、自分の部屋へと向かう。広すぎる部屋には、まだ少し落ち着かない。
「奥様、何かご入用なものはございますか?」
控えめなシエマの問いかけに、首を横に振った。
「ありがとう、大丈夫。少し、この部屋を見ていたいから」
シエマが下がるとゆっくりと部屋の中を歩き回る。見て行かないとね。大きな窓からは眩しいほどの陽光が差し込んでいる。窓辺に置かれた花瓶には、先ほどの薔薇が飾られていた。
(カロリィナの瞳の色に似ている、か)
スコッティの言葉が頭の中でリフレインする。醜いという噂は、一体何だったんだろう。確かに世間一般の美しさとは違うのかもしれない。
彼の持つ雰囲気、知性、時折見せる優しさ。何よりも魅力的に感じられた。夫なのだからと、気合いを入れていく。もっと深く、関わっていきたいという気持ちが湧き上がってきた。
その日の午後、スコッティが再びカロリィナの部屋を訪れた。
「カロリィナ、少し時間がありますか?」
低い声にドキッとしながら頷いた。
「ええ、ございます」
彼は手に一冊の分厚い本を持っていた。
「この国の歴史について、少し話しておきたい。あなたがこの地で生きていく上で、知っておくべきことだ」
そう言って、彼はゆっくりと語り始めた。授業を思い出す。この国の成り立ち、貴族たちの役割、そして、今この国が抱える問題。
「ですので、この土地では主に都心や都会のものは入ってきません」
彼の語る言葉は冷静で分かりやすく、カロリィナの心にすっと入ってきた。
(田舎って感じ?)
歴史の授業はどちらかというと苦手。けれど、スコッティの語る歴史は物語のように面白く、時間を忘れて聞き入る。
(流通は不便そう)
話が一段落すると彼は少しだけ微笑んだ。
「難しい話ばかりで、退屈させてしまったかもしれません」
首を振る。
「いいえ、とても興味深かったです。閣下。スコッティ様の話はとても分かりやすいです」
思わず本音を口にすると彼は少し驚いたように目を瞬かせた。
「そう言っていただけると、嬉しい」
その表情はどこか少年のような純粋さがあった。この人はただ怖い顔をしているだけじゃないんだ。
「あなたにとってこの地はあまりいいところではない、かもしれないですが」
悪口ではない。




