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聖女を愛した魔王は、私に死を望んだ  作者: 源泉


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35/36

終わりを導く者は

長く続いた道のりにも、ようやく終わりの兆しが見えてきた。


死に向かう準備を積み重ねる日々。

それは緩やかに、だが確実に、ラグナスという存在を削っていた。


かつては、魔王としての威光を背に、誰よりも冷静に国を治めていた彼。

その地位を自ら望んだわけではなかったにしても。

選ばれた者としての責務を果たし、日中は堂々たる「王」の姿を保っていた。


けれど、もうその姿は見られなかった。


今の彼は、玉座ではなく、静かな寝台の上にいる。


部屋の片隅には、ひとりの少女がいた。

それはもちろんカティア。


揺れる白衣に祈りを宿す聖女。

彼女の手はいつものようにラグナスの額に添えられ、淡く光を灯していた。


けれど、その癒しの光は、魔族である彼にとってはただの慰めでしかない。

魔を拒むその加護は、決してラグナスの命を救うものではなかった。


それでも彼女は、祈る。


目を閉じ、声を震わせることなく、ただ静かに祈り続けていた。

その祈りが届かぬことを、どこかで理解しているにもかかわらず。


イリナは、扉の影からその光景を見つめていた。


ラグナスを見守るカティアの姿は、以前と変わらなかった。

自ら望んだわけでもない「聖女」の役割を受け入れ、

迷いなく、異国の地へと身を投じた少女。


その在り方は、変わらず、尊くまぶしかった。


イリナにとって、カティアは守るべき存在だった。

ただの少女ではない。

誰かの思惑や祈りを背負いながら、それでもなお、柔らかく微笑む娘。


それは、イリナにとって決して否定することのできない光だった。



だが。


今、ラグナスの命を奪おうとしている、その根源にあるのは、まさにその「光」なのだ。


眩しすぎるその無垢。

誰もが救われたような気になる、その在り方。


だからこそ、ラグナスは心を奪われた。

だからこそ、死を選ばなければならなかった。


彼は、あの光に触れたことで、魔王であることを捨てたのだ。


イリナは静かに目を伏せる。


尊いと感じるその存在が、

皮肉にも、ラグナスという男の命を終わらせる引き金となっている。


それは、矛盾だった。

けれど、その矛盾はもう否定できない。

否応なく胸の奥に沈み込み、静かに、確かに痛みを伴って根を張っていた。


ラグナスを蝕んだものの正体。

それは、「光」を失うことへの恐怖。

そして、その眩い存在の中に、せめて“自身の死”だけでも刻みつけたいという、祈りにも似た願望だった。



――せめて、永遠に、彼女の記憶に残る形で終わりたい。



それは王の誇りでも、男の願いでもなかった。

ただ一人の弱い存在としての、切実な望みだった。


 


城が眠りについた深夜。

衛兵も巡回を終え、静寂が支配する頃。


ラグナスは、寝台をそっと抜け出した。


寝室の灯りは落とされていたが、その傍にはカティアの祈りがまだ微かに残っているような気配があった。


だが、彼女とラグナスは今、部屋を別にしていた。

理由は「体調のため」、そう伝えてある。


けれど本当の理由はただ一つ。

この夜ごと繰り返される“儀式”を、カティアに悟らせないためだった。


誰にも知られぬままに、静かに命を削るその時間。

それは彼女の心を決して穢さぬようにと、ラグナスが最後まで守り抜こうとした“優しさ”の形だった。


 


薄布をまとい、重い足を引きずるようにして歩を進める。


目指すのは、城の離れにある独房。

かつて、罪人を隔離するために造られた、魔力も音も通さぬ“終わりの場所”。


もう、そこに囚われる者はいない。

けれどその空間だけは、今なお、死を受け入れるために用意されていた。


扉が静かに軋み、暗い石造りの廊下にラグナスの影が伸びていく。

己の足音だけが、冷えた空気の中に響いた。


この場所に向かうたび、ラグナスは思う。



自分が選ぼうとしているこの道は、やはり罪深いのだ、と。



王としての誇りも、使命も捨て、

ただひとつの想いに縋って選んだ“死”への道。


それは誰のためでもなく、

ただ、自分のためだけの逃避。



「……なんとも滑稽だな」



喉の奥で笑ったつもりのそれは、声にならず、ただ乾いた息として漏れただけだった。

それでも口元には、ひどく空虚な笑みが浮かんでいた。



重い扉を開けた瞬間、そこに彼女は立っていた。



イリナ。

人間の手では届かない“魔王”の命を奪うために、この地へ密かに送り込まれた存在。


本来であれば、決して交わることのなかったはずの運命。

けれど彼女は、今ここにいる。

その眼差しに、かつて背負わされた“使命”の影を宿しながら。



「達成できなくてもいい」

かつてイリナは、そう語ったことがあった。


イリナは、人の国で数多くの命を奪ってきた。

暗殺者として、影に生きる者として。

その罪に対する罰として、この地への同行が命じられた。


魔族の国へと送り出されること。

それは死よりも恐ろしい罰として、人の国では語られていた。

生きて帰ることを前提としない“処刑”だった。



だが、それは単なる贖罪ではなかった。


その命令の奥には、もうひとつの“意味”があった。


魔王を殺すこと。

それは、イリナが自らの手で未来を変えるために課された役目でもあった。


彼女の背にいるのは、自分と同じように戦争で家族を失った孤児たち。

どれだけの祈りと怒りが、その小さな肩に積み重ねられてきたのだろう。



「この世界に、平和な時代を与える」

イリナが胸に秘めていたのは、そんな希望だった。


その希望の灯火を、使命という名の刃で燃やすつもりだった。

たとえ自らが朽ちても、それが果たされるならと。



けれど――



今、目の前にいるラグナスを見て。

何もかもが終わろうとしている、この夜の入り口に立って。


イリナの胸の奥で、かつて宿していたその“希望”と“使命”は、静かにその輪郭を失いつつあった。


 

敵として見据えるには、彼はあまりにも静かで、脆かった。

そして何より彼は、彼女自身の“手”を、望んでいる。


殺すために歩いてきた長い道のり。

その果てに、イリナが見出しているものは“勝利”ではなかった。


それは、限りなく“共犯”に近いもの。

共に堕ちてゆく者同士としての、静かな連帯だった。


かつて確かに胸に宿した、叶わぬと知っていた淡い想い。

その先では、決して得られなかったはずのもの。


ラグナスが今、イリナに向ける、熱を帯びた瞳。

救いを乞い、終わりを許されることを願う、あのまなざし。


もし全てを奪ってしまったとき、

イリナの中に残るのはまた、喪失なのだろうか。

ミレクトのときのように、深く、静かに、彼女自身を壊していく。

そんな予感があった。


けれど、彼女の手は止まらない。

それが誰かに与えられた“使命”であったとしても、

もはや、それを超えてしまっていた。



静かな空気が、深く、底のない水のように沈んでいく。

イリナは何も言わず、扉を閉じた。

その音は、まるで外の世界との最後の繋がりを断ち切るかのように、重く、低く、独房の空気を震わせた。


そして今夜もまた、ふたりの儀式が始まる。


けれど今夜は、これまでとは違っていた。

言葉にこそされなかったが、どこか二人のあいだに“終わり”の気配が漂っていた。


それは、空気の温度に。

視線の滞りに。

交わされぬ言葉の間に、そっと絡みついていた。


まるで、何かが静かに幕を引こうとしている。

そんな、予感だった。




夜は深く、静寂の帳が城を包んでいた。


寝台の上、白い薄布に身を包みながら、カティアはふと目を覚ました。


夢を見ていたような気がする。

けれど、それがどんな内容だったのか、思い出せなかった。

ただ、胸の奥に残るのは、言葉にならないざわめき。



(……ラグナス)



彼の名が、自然と胸の内に浮かぶ。

呼びかけようとして、唇が少しだけ動いた。

けれど声にはならなかった。


隣には、誰もいない。


それはわかっていた。

体調の悪化を理由に、しばらく彼とは部屋を分けていたのだから。


けれど今夜は、何かが違う。

彼が「いない」ことに、理由のない不安がにじんでくる。


静かに身体を起こし、足を下ろす。

外はまだ闇の中に沈んでいた。

城の廊下も、寝静まった空気に満ちている。


祈りの衣を羽織りながら、カティアはそっと扉を開いた。



「……ラグナス」



もう一度、名を呼んでみた。

やはり返事はない。


けれど、それでいいと思った。

このまま戻れば、きっと何事もなかったように朝を迎えられる。

そんな気もしていた。


なのに、なぜだろう。


足が、止まらなかった。


彼がどこかに“呼んでいる”ような、そんな気配が確かにあった。

それは理屈ではなかった。

けれど、何かが胸の奥を掴んで離さない。


気づけば、歩いていた。


無意識に、けれど迷うことなく、城の離れの方へと。


囚人のために作られた、あの“独房”のある場所へ。


そこに誰かがいるなど、考えたこともなかった。

けれど今、確かに思った。



(あの扉の向こうに、彼がいる)



静まり返る城の廊下。

彼女の歩む足音が、やがてその静寂をかすかに震わせていった。

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