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聖女を愛した魔王は、私に死を望んだ  作者: 源泉


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その目に映るなら

扉が閉まり、気配が遠のいたあと。

独房に、再び静寂が戻ってくる。


ミレクトはぽつりと笑った。

口元に残る血を、指でなぞる。

その冷たさに、ふと人間だったころを思い出す。

あのころの自分は、まだ“生きていた”。



「……ラグナス。君には、きっとわからないだろうな。

彼女の中にある、あの“歪み”を。……そして、それを知ってしまった者が、どうなるかを」



最初にイリナを見たとき、殺すつもりだった。

剣を向けてきた彼女の瞳に、確かに“殺意”があった。

それは、美しかった。


純粋で、曇りなくて。

誰かを守ろうとするには、あまりにも鋭すぎたその刃。

それは、かつて自分が持っていたもの。

もう失ってしまったもの。




「どうしても知りたくなった。その内側を。

だから、試した。操れるか、壊せるか――僕の魔法で」



けれど、霧を通して彼女の心に触れたとき、見えたのは単純なものではなかった。



カティアへの、同情にも似た親しみ。

自らの意志ではなく背負わされた“役目”。

王家の娘として生まれながら、人類の希望と重荷を一身に担い、魔族の国へと差し出された存在。



ラグナスへの、あれは恋だったのだろうか。

カティアとラグナスが見つめ合うその傍で、彼女の心がきしむ音が、確かにあった。


そして、ラグナスを殺さなければならないという使命。

彼を討つことが、自らの終焉に繋がっていると知りながら、それでも進まねばならない現実。



「……苦しかっただろうな。僕も、そうだった。

変えられてしまって、自分にはもう、選べる道がなかったから」



ミレクトは、自分の胸に手を当てる。

かつて心があったはずの場所。

いまは、もう何が残っているのかも分からない。



彼女の指に噛みついたとき、流し込んだ記憶の代わりのように、イリナの感情が流れ込んできた。

その中にあった、痛いほどに鮮やかな想い。

ラグナスへの、どうしようもなく真っ直ぐな感情。



「君が望むのは、彼だ。……わかってる。僕じゃない。だけど、もしも」



彼女がラグナスを想うときに、

その想いを、ほんの一瞬でも“自分”に重ねてくれるなら。


代わりでもいい。

仮初めでも、まぼろしでも。

その瞳が、自分を映してくれるのなら。



「……僕は、君の手で死ねるのなら、それでいい。君が僕の中にラグナスを映すのなら、それは、僕の勝利だ。

そして――君が魔族を殺す方法を見つけられるのなら……僕の命にも意味がある」



血の味は、苦い。

けれど、その苦ささえ、イリナに与えられるのなら。


ミレクトの唇が、かすかに緩む。

それは誰にも見られない、ひどく幸福そうな笑みだった。




ミレクトは思い浮かべる。

この独房の中で、密かに繰り返されるイリナとの秘め事を。


 



「……今日は、何を試すの?」


その問いかけに、イリナは答えない。

薬品の入った小瓶を手に、沈黙のまま彼へと近づいてくる。

淡い光に照らされた横顔は美しく、そしてどこか無慈悲だった。



「昨日の傷は……治癒の速度が変わっていた。前より、少し遅くなっていたわ」



「うれしいな。君が観察してくれているなら、僕の痛みも意味を持てる」



ミレクトは静かに微笑む。その笑みには皮肉も誇張もない。

そして何度も切り裂かれた、出会った日の傷跡を、そっと指でなぞる。

 


イリナは彼の言葉には答えず、小瓶の蓋を外す。

中には、人間用の毒を魔族にも作用するよう濃度を調整した実験薬。

ミレクトはそれを拒むことなく受け取り、ためらいなく喉へ流し込んだ。


 


「毒の浸透速度と、効果が現れるまでの時間を記録するわ。

それと、傷の治癒に干渉するのかも見たい」



そう言って、イリナは腰から細身の短剣を抜く。

無駄のない、鋭く研ぎ澄まされた刃が、淡い光を跳ね返す。




「……どこに刺して欲しい?」



「喉はダメだ。声が出なくなる。君に、僕の声を聞いていてほしいから」



さらりと告げるミレクトに、イリナの手が一瞬止まる。

その沈黙に気づきながらも、彼は笑みを浮かべた。

 


「冗談だよ。どこでも構わない。君が“試したい”場所にして」

 


短剣が彼の胸へ、ためらいなく沈む。

刃が肉を割き、血がにじむ音が静寂のなかに滲む。


イリナの表情は変わらない。

その瞳はただ、反応を観察する研究者のものだった。



「心臓を貫けば魔族でも死ぬ。それは知っているのに……何か、少し足りないのよね」


 

「僕の心は、もうとっくに君に奪われてるよ」



「なのに、まだ生きてるのね」


 

「……君が殺してくれないからだよ」


 


言葉を返す代わりに、イリナは彼の首元へ手を伸ばし、微細な魔力を流し込む。

彼の身体に反応があるかを、冷静に、正確に観察していく。


 

「熱がある……今日のほうが高い。炎症反応かしら」

 


「君に触れてるからかも」


 

「黙って」


 


冷えた声。

だが、ミレクトの笑みは崩れない。


 

彼にとってこの痛みは、罰でも報酬でもない。

“生きている”という実感。

そして、それを与えてくれるのがイリナである限り――それは、愛の証そのものだった。

 


「いつか、君が“本気”で僕を殺そうとする日が来たら……僕は、きっと――」

 


言葉の続きは、喉の奥に飲み込まれた。

イリナは短剣を引き抜き、血の滴る刃を無言で布で拭う。

ミレクトの胸元には、赤い染みがゆっくりと広がっていく。


 

「次は、肝臓。再生の反応が独特だと文献にあったわ。

魔族にも当てはまるか、確かめたいの」

 


淡々と告げるその声に、ためらいはない。

彼女の瞳には、冷静な理性と明確な意志が宿っていた。

 


……ただ、その手が一瞬、震えた。


ごく小さく、誰にも気づかれないほどに。

だが、ミレクトはそれを見逃さない。

 


その一瞬の揺らぎこそが、彼を満たす。

痛みよりも深く、満ち足りた感情が彼の胸を満たしていく。


 


「……それだけで、僕は生きていられる。君が、僕を見てくれてるなら」



そう囁いて、血の染みた床に静かに横たわる。

イリナの瞳が、その姿を変わらず見つめていた。

 


研究は、まだ終わらない。

終わらせることを望んでいないのは、果たしてどちらなのか。

その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。






ブクマありがとうございます!

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