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聖女を愛した魔王は、私に死を望んだ  作者: 源泉


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見つめるその理由

また、別の日。

その日もイリナは、ミレクトの独房を訪れていた。


連日繰り返されるふたりの“遊び”は、日に日に激しさを増していた。

ときにはミレクトの回復に時間がかかるほど。

それは、彼の再生能力すら追いつかぬほどの負荷を与えていたのかもしれない。



この日もまた、その余波が色濃く残っていた。



ミレクトは壁にもたれかかり、まるで力尽きたように座っていた。

瞳は細く閉じられ、顔色も青ざめている。



「……ごめん。今日は遊べそうにないよ」



掠れた声が空気を震わせた。

血の気を失ったその唇がわずかに動くたび、か細い命の火が揺れているようにも見える。


イリナは、数歩彼に近づいてから膝を折り、視線を合わせた。



「……もしかして、この部屋が、回復を遅らせているの?」



呟くように問いかける声には、静かな観察と、わずかな懸念が混ざっていた。


この独房は特別製だ。

魔力を遮断し、わずかに吸い取るよう設計されている。

本来、魔族とは――魔力を血のように体内に巡らせ、それによって肉体と精神を支えている存在。



その源を絶たれるということは、人間で言えば、呼吸を制限されているようなものだ。



イリナの問いかけに、ミレクトはゆっくりと瞼を開き、薄く微笑んだ。



「……うん。でも……別に、君のせいじゃないよ」



その言葉に怒りも恨みもなかった。

ただ、空気に溶けるような静かな声音だけが、部屋に残った。


イリナはミレクトの答えに応じることなく、静かに彼の隣へと腰を下ろした。

床はひんやりとしていて、昼間にもかかわらず独房の空気は冷たかった。



彼の横顔を見つめる。

呼吸のたびにわずかに上下する胸。

その一動作すらも、苦しげに見える。



「……昨日の毒、少し強すぎたのね」


「僕が調子に乗っただけ。あと……少しは驚かせたかったんだ」



くすり、と喉の奥で笑うような音がこぼれる。

だがそれはすぐに咳へと変わり、ミレクトは口元を覆って血を滲ませた指を隠した。



イリナはその様子を見ても、眉ひとつ動かさなかった。



「驚いたわ。……少しだけね」



それが嘘だとわかっていても、ミレクトは何も言わなかった。

むしろ、どこか安心したように、目を細めた。



「……イリナ、君はいつまで、ここに来るつもりなの?」


「納得するまで」



淡々と返されたその言葉に、ミレクトは天井を見上げる。



「……つまり、僕が壊れるまでって意味?」


「違うわ。ミレクトが壊れても、私が納得するとは限らないもの」



その声には一片の情も感じられなかった。

まるで、明日の天気を予報するかのように、さらりとした口調で。


それがかえって、ミレクトの胸にわずかな痛みを走らせた。



「……ねぇ、ひとつお願いがあるんだ」



「なに?」



「今日は……そばにいて。手を握って、眠らせてほしい」



かすれた声。

そこには皮肉も虚勢もなかった。

ただ、疲れ切った心から絞り出された、剥き出しの願い。


イリナはしばし黙したまま彼を見つめ、やがて静かに彼の手に触れた。

冷たいが、まだかすかに温もりが残る手。



指を絡め、そっと支える。



「……こう?」



「……うん。それで、十分だよ」



ミレクトのまぶたが静かに閉じる。

イリナの肩に寄りかかるミレクトの身体は、徐々に重さを増していった。

けれど、イリナは何も言わず、そのぬくもりを受け入れ続ける。



独房に満ちる沈黙は、少しのあいだ、穏やかなものだった。

だが――


その静けさは、すぐ外の世界とは切り離されている。

そうして誰にも知られぬまま、時間は静かに流れていった。




  


その頃、城内を歩いていたのはラグナスだった。


増やした使用人や兵の動向を確認する名目で、中庭や渡り廊下を見回っていたが――

ふと、胸の奥で引っかかるものを感じる。



――今日も、イリナの姿が見えない。



最近、彼女はほとんど人前に現れなくなっていた。

顔を合わせる機会も、日に日に減っている。


不審に思い、カティアに尋ねても「少し休んでいると聞いた」とだけ返された。

だがラグナスには、その言葉がどうにも表面的に思えてならなかった。


気になって、通りすがりの使用人のひとりを呼び止める。



「イリナを見かけなかったか?」



「……今朝、東側の離れに向かう姿をお見かけしました」



東側の離れ――



ラグナスの眉が、僅かに寄る。



そこは今、かつて敵としてイリナと刃を交えた魔族ミレクトが幽閉されている場所。

特別な構造で魔力を封じられ、他と隔絶された独房がある、城の中でも最も厳重な一角。



(……今日もあの場所へ?)



噂は耳にしていた。

イリナが日々独房に通っている――そんな話を、兵士たちの間でひそかに交わしているのを。


だが、誰もそれを口に出して非難しようとはしない。

“慈悲深い彼女のことだ、罪人にも悔い改めの機会を与えているのだろう”――

そうやって皆が、自分の中で納得できる理由を作ろうとしていた。



ラグナス自身も、そう思おうとした。

だが。



彼女の目に宿る、微かな陰り。

ふとした瞬間に見せる、どこか焦点の定まらない視線。

何かを抱え込み、押し殺しているような沈黙。



……ほんの些細な変化。けれど、それを見逃すほど彼は鈍くはなかった。


何かが、少しずつずれている。

何かが、彼女の中で静かに軋んでいる。



(イリナ……君はいったい、あの男に何を見ている?)




その問いは答えを持たぬまま、ラグナスの胸の奥に小さな棘となって沈んでいく。

静かに芽吹いた疑念の種が、心の奥底でじわりと根を張り始めていた。


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