表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

第4章 演技される死


舞台は、何もなかった。

照明も、音楽も、背景もない。

ただ黒い床と、天井からのわずかな自然光。

観客は椅子に座り、開演の合図もないまま、沈黙の中で彼女を待っていた。


そして、舞台袖から本間碧が現れた。

車椅子ではなかった。立っていた。

杖も使わず、誰の手も借りず、歩こうとしていた。


身体は確かに崩れていた。

足が、内側に入りそうになった。

背筋は曲がっていた。

目線は、定まっていなかった。


けれど、それが“演技”ではなく“存在そのもの”であると、観客はすぐに悟った。


碧は、舞台の中央まで歩くと、立ち止まった。

そして、動かなくなった。


何分経っても、動かない。

表情も、変えない。

まばたきすら、しない。


照明卓の横にいた藤江は、記録装置のログを確認していた。

AIアーカイブユニットは、映像・音響・運動信号をすべて取得しているはずだった。

だが、記録は“何も記録されていない”と表示していた。


——「対象が静止しすぎて、動作と認識できない」

——「音声信号なし」

——「表情データ、解析不能」


碧は、“記録されない演技”をしていた。


それは、演技ですらなかった。

“ただそこにいる”ことだけを選び、**技術も、AIも、観客の記憶すら拒むような“零度の身体”**でそこに存在していた。


数分後、彼女は、ゆっくりと片足を引いた。

バランスを崩す。

倒れるかと思われたが、彼女は静かに“崩れた姿勢のまま”止まった。

支えもせず、立て直しもせず、不完全な形で立ち尽くすことを選んだ。


——この崩れは、AIには再現できない。

——これは「正しくない動き」であり、意味として抽出できない。


彼女は、沈黙のまま、腕を少しだけ持ち上げた。

だが、その手は、空中で止まりきれず、震えたまま、ぶら下がるように落ちた。


観客の中に、微かな吐息が走る。

空気が揺れた。

咳をする者もいなかった。


誰もが、何かが“起こってしまった”ことを理解していた。

それは演出ではなく、**人間の存在が崩れていく“時間そのもの”**だった。


そして、碧は静かに、舞台に腰を下ろした。

そのとき、右足が痙攣した。

表情が歪んだ。


——これもまた、演技か否かは、誰にも分からなかった。


それでも彼女は、言葉を発さなかった。


言葉を超えた、言葉以前の時間に、彼女の演技は帰っていった。


やがて照明が落ちた。

誰も拍手をしなかった。

それが終わりだということを、誰もが身体で理解していたからだった。


その翌日、文化庁アーカイブ部門には、「録音不能記録」として、

《公的演技データ:本間碧最終演目 未登録》とだけ残された。


観客の中には、「あの演技をどうやって説明するのか?」と問う者もいた。


ある記者は書いた。


「それは“演技”ではなかった。

それは、“生きたまま死にゆくものが、最後に残した動き”だった。

AIに継がせるものではない。あれは“観た者の身体”にだけ継承された。」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ