元王子 チャトラ
正直、BADENDを書きたかった。
何度も聞いた英雄譚。
英雄の傍には冬の民と呼ばれる魔力を持つ一族が控えていて、冬の民に愛を誓われると魔力を与えられるのだと。
竜を倒した英雄。
侵略戦争をしてきた大国から国を守った英雄。
自然災害からも多くの民を救った英雄などの話はいつも心躍らされた。
(その力があれば……俺が王になれる)
いつも勉強しろ勉強しろと言ってくるシャムの鬱陶しい説教も聞かなくてよくなる。
常に格下のはずの貴族の顔を窺って、話をしているだけのアビシニアンの方が王に相応しいなどとふざけたことを言う輩も居なくなる。
冬の民の愛を得れば――。
そんなある日。
冬の民の少女が同じ学園に通うことを聞かされた。
そいつを手に入れれば自分が英雄に……王になれる。
「――で、冬の民の此度の入学は友好を深めるために……」
大臣の話はいつもつまらない。欠伸を噛み殺すのもやっとだ。
「英雄の晩年まできちんと覚えて気を付けて過ごしてください」
晩年?
そう言えば、英雄は英雄譚の終わりってどうなっているんだろうな。
まあ英雄の最後は王になって、めでたしめでたしだろう。
「チャトラ殿下。ロップイヤー嬢と親しいとのことですが」
相変わらず煩いシャムの顔を見てつい舌打ちをする。
「冬の民と交流を深めるのは重要ですが、度を過ぎるのも」
「煩いな。誰がどのように付き合っていても関係ないだろう。第一、ロップイヤーはお前と違って可憐で愛らしい。それに何よりも冬の民だ」
英雄を育てる冬の民。
「――そうですか。ところで殿下。冬の民。冬と今でこそ呼ばれていますが、かつては冬の民と呼ばれていたのを習いましたけど、覚えていますか」
冬じゃなくて冬? そうだったか?
「も、もちろん。覚えているぞっ!!」
そこで知らないと言ったら何か馬鹿にされる気がしたので知っていると言っておくと。
「……そうですか。冬の民。トウ……全てを凍てつかせる凍。ありとあらゆるものを切り裂く刀。……覚えているなら大丈夫ですね」
何のことだ? 凍てつかさせるトウ? 切り裂くトウ?
ははん。そう言って脅しているんだな。全く相変わらずかわいげのない女だ。まあ、あんな女でも利用できるからな。ロップイヤーを正室にしたら側室として利用させてもらえばいいか。
政治にしか役に立たない女でも使い道はあるからな。
ああ、そうだ。あいつがロップイヤーを……貴重な冬の民を冷遇したと噂を流せばいくら公爵家の令嬢でも嫁の行き手もないだろう。その時は拾ってやれば今までのことを謝罪して俺に忠誠を尽くすだろう。
良い考えだ。早速あいつの噂を広めるか。
すべてうまく行く。
そう思った。
「どうしてですっ⁉ どうしてアビシニアンが王太子などとっ」
ある日。父に呼ばれて王太子の件と聞かされたのでやっと自分を選んだかと喜び勇んで向かったのに父に言われたのはアビシニアンを王太子にするという話だった。
納得いかない。いくはずがない。
「冬の民と結ばれたものは英雄になれる!! 俺は英雄と同じ力を手に入れたんですよっ!!」
納得いかない。アビシニアンなど留学という名目でずっと外国に遊びに行っていたではないか。その間にも評判を落とすようにいろいろ小細工をしてきた。そんな奴が選ばれるはずがない。
だが、それに関して留学先で今まで国交のなかった国の関係者と親しくなって国交を結ぶことを成功させたという話をされたが、そんなの只の偶然。運が良かっただけだと悪態を吐こうとしたが流石にやめておく。
それよりも、
「お前は冬の民の元に婿入りだろう」
いきなり言われた意味が分からない言葉。なんで婿入り。俺は英雄になるんだぞ。国に必要な人材になったんだ。
そこから言われるのが、冬の民は男が生まれるのは稀で、婿入りが決まっていると帝王学の教師に教えられた。そんなの知らん!! 教わっていない。
反論しようとした矢先に、
『英雄の晩年まで覚えてきちんと気を付けてください』
欠伸を噛み殺しながら聞いた教師や大臣の言葉を思い出す。それはもしかしてこういうことだったのか……。
思わずシャムとアビシニアンを睨む。知っているのなら教えてくれればよかったのに。
だけど、二人はしれっと目を合わさずにいるのがますます不愉快で、こちらの意見も聞かずにあっという間に冬の民の故郷に行く用意をさせられる。
冗談じゃない。なんでそんなことになるんだと文句を言おうと思って、そのまま王太子妃になるのが決まっているシャムが勉強している部屋にノックもせずに入っていく。
「なんで黙っていた。お前がきちんと説明すれば」
「覚えている。知っていると言ったのは殿下……いえ、チャトラさまですよ。何をいまさら」
相変わらずムカつく微笑みだ。
「それでも言うのが婚約者の役割だろう!!」
「……婚約者? 貶めるような行いをする方を婚約者として支えるのは流石に……ああ、ですが」
頭が痛いですとばかりに頬に手を当てるシャムの行いにイライラしていると。
「凍の民………かの一族で一番有名な偉人は、おとぎ話で有名な【雪の女王】なので」
トウの民。何のことだ。おとぎ話など読むわけないだろう馬鹿にしているのか。
こんな冷酷な女に期待したのが間違いだった。
「お前の方が冬の言葉が合いそうだ。凍てついた氷のような女がっ」
「あら。――褒めていただいて感謝します。そうですね。わたくしはアビシニアン殿下のおかげで、灯の民にも董の民にもなれそうですね」
「言葉遊びに付き合っている暇はないっ!!」
役に立たない女だ。少しは役立ててやろうと思ったのに。
「チャトラ。あの、婿に来てくれてありがとう」
嬉しそうにへらへら笑うロップイヤーが先日まで自分を王にしてくれる女だと思ったのにそうではないと思った瞬間つまらない女に引っ掛かったと思えた。
無理やり連れてこられた冬の民の住処は万年雪に覆われて、寒くて、娯楽もない。
たまに男たちを見ると皆小さな女の子を大勢連れているのでこいつらも婿入りした男かと思うと鼻で嗤ってしまう。
女にへこへこして人生を捨てた落伍者が。
「ああ。君がロップイヤーの婿だね」
「今日からよろしく。分からないことがあったら何でも聞いて」
「お前らとよろしくするつもりない!!」
そんな輩に自分も一緒にされてたまるかと仲良く交流しようとする男たちの手を払い除ける。
「俺は王族だ。お前らと身分が違うんだ」
「こっ、ここは……王族も何もなくて……」
「煩い!!」
俺の怒鳴り声に男の傍にいた女の子が泣きだすが知ったことか。
さっさとこんなところから逃げてやる。
「――なら、もう声を掛けないが……愛を裏切らない方がいいから……」
「忠告しても無駄だ。どうせこいつは……」
落伍者がまだ何か言おうとしているが完全に無視して去って行く。
機会を窺い。冬の民が近隣の町に買い出しに行く仕事は必ず男が行くと聞いたのでそれをやると引き受ける。馬鹿だなロップイヤーもだけど、馬鹿が多いんだな冬の民って。
逃げるに決まっているだろう。
そんな絶好な機会を作ってくれるなんて。
最初は疑われないように一緒に買い出しに来た男たちの言うことを聞いておく、だけど、隙を見て逸れたように装っていけば……。
「――逃げるの?」
無事に逸れた振りを装って、半日たった時だった。
買い出しに来ていた町から冬の民の住処と真逆の方に歩き出したはずで、冬の民の住処から数日は掛かる場所で村から出ていないはずのロップイヤーが、目の前に立っていた。
「はっ、なっ、なんで……」
今までの素朴な……田舎丸出しの顔が母の好きだったビスクドールのように表情が抜け落ちて見つめている。
「ねえ。逃げるの。私のこと愛していると言ったのに」
愛している。ああ、そう言った。だけど、英雄の力をくれるからで……王にしない女を好きでいられるわけないだろう。
声に出してはいなかったが、それが伝わったように悲しげに目を細めて。
「じゃあ、仕方ないわね。――愛があれば何をしても許される。そう言ってくれたわね」
許してくれるでしょう。
ロップイヤーがくれた指輪から冷気が漂ってきたと思った瞬間。身体がゆっくりと凍り付く。必死に逃げようと氷を払っても払っても氷は消えず、どんどん動きを拘束していく。
「愛しているわ。もう私のもの」
ロップイヤーの声が聞こえる。
ロップイヤーの声に重なるように走馬灯というような様々な景色が見え始める。
シャムとアビシニアンと並んで教師から授業を受けている光景。
『冬の民で一番有名なのは【雪の女王】彼女は愛していると告げた青年が自分の家にあった貴重な宝石を奪うために偽りで愛の言葉をささやいたと知った矢先青年を氷漬けにして永遠に自分のものにしました。冬の民の力を得た英雄は二極化していて、冬の民を愛し続けて多くの子供を得て、老衰で亡くなるパターンと愛を裏切って、氷漬けにされる英雄のパターン。冬の民の愛を得ると言うことは一生愛し続ける覚悟が必要です』
何で今そんなことを思いだすんだよ……。
『冬の民。かつては冬の民と呼ばれていたのは、裏切った男を凍てつかせる凍の民。裏切った男を切り裂く刀の民。という話と共に、男性の愛によって氷が溶けて春になる。董の民。雪の中すら灯し続ける灯の民という様々な意味があったからだと。だけど、一番の本質は冬を印象付けると言うことで……』
「ふふっ。大丈夫よ。凍り付いても指輪の力があれば私と貴方に愛の結晶は出来るから」
『凍り付かされた男の生命力を愛の証から奪って、冬の民は次代を作ったという話もあって、雪女に魅入られた男の末路という昔話もあったほどで……』
知る機会があったのに知らなかった男の末路。




