冬の民 ロップイヤー
「ロップイヤー嬢。少しよろしいですか?」
呼びかけてくるのは確かシャム・シルヴィア公爵令嬢だった。
「あっ、はい!! なんですかシャムさん」
返事をするとシャムさんの後ろにいた女子生徒が眉を顰める。
「最近。チャトラ殿下と親しくされていると聞きましたが」
シャムさんに聞かれて、
「はいっ!! チャトラが私といると心安らぐと!!」
正直に告げると、シャムさんは何故か溜息を吐き、
「ロップイヤー嬢。冬の民である貴女が王都に来て、王都のことを学ぼうとする姿勢をわたくしは尊敬しています。だからこそ忠告します」
都会の貴族令嬢は優雅だなとつい見とれてしまう。
「婚約者のいる男性と親しくなるものではありませんよ」
告げられて、
「えっ? 婚約者のいる男性……?」
誰のことだろう。話の流れからしてチャトラよね。
「あの方は………都合の悪いことは黙っているのね。はぁ。………悪いことは言わないわ。殿下から距離を置きなさい」
傷付くのは貴女ですよ。シャムさんはただそれだけ告げる。
(傷付く? 何のことだろう)
(ああ、そういえば、長老のばあさまが言っていたな。婚約者のいる男性が近づいてくるのには注意しろと)
そのことだろうか。
「あのどういう……」
確認しないとと慌てて声を掛けるが、
「シャムさま。次の仕事が」
私の声が小さくて届かなかったのだろう。どこからともかく一人の男性が現れてシャムさんに声掛けてかき消されてしまった。
「殿下は?」
「いつも通りです」
シャムさんの問い掛けに男性が告げると眉間に皴を寄せて、その皴を伸ばすように揉むように指を動かして、
「了解しました。ったく、あのアホンダラ馬鹿王子がっ!!」
なんかこう反応が言語を理解するのを拒否する内容が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。まさか、ここまで淑女の鑑のシャムさんから変な言葉が出るなんて……。
としばらくフリーズしている間にシャムさんはいなくなっていた。とりあえずシャムさんの忠告だけは覚えてはいたが。
「シャムがそんな風に脅したのかっ⁉」
チャトラには傷付くってどういうことだろうと聞いてみたらチャトラが憤慨したように叫んでいる。
「脅した? いえ、忠告されました」
「それは忠告ではない脅しだ!! ああ、あの女!! 公爵令嬢という身分を振りかざしてロップイヤーを傷付けようとするなんて……」
すまないと抱き付かれて謝罪される。そのぬくもりが気持ちよくて嬉しく思うが、
「でも、婚約者」
「親が決めた関係だ。僕はロップイヤーを愛してる!!」
言いかけた言葉を遮られてはっきりと言われる。
「………嬉しい」
ここで詳しい話を聞かないといけないと思ったけど、正面切っての愛の言葉に喜びの方が勝ってしまう。私たち冬の民である自分にそこまで言ってくれるなんて、
(あっ、そういえば)
故郷を出る時にみんなから忠告されていたのを思い出す。
「チャトラは私が冬の民だというのを知ってますよね」
「あっ、ああ。もちろんさ!! だけど、それが何だというのだ。民族で人との関わりを決めるのではなくてここに居るのはただのチャトラとロップイヤーだ。そこに民族も身分も関係ない」
力強く断言されて嬉しい。故郷のみんなの言っていた民族同士の考えの大きな隔たりで人間関係は揉めやすいから注意しろと言われていたから気を付けていたけど、チャトラがそこまで言ってくれるのなら大丈夫だよね。
冬の民は愛に一途。
「ならば、婚約者というのはどうするの?」
いくら世間知らずでも婚約者がいる相手を故郷に連れ帰ってしまってはいけないと分別はある。
ましてや、チャトラは王子だし、いろいろ柵もあるだろう。
「ああ。それは考えてある」
考え?
「シャムよりも冬の民との友好を深めるために僕とロップイヤーの婚姻の方が国益になると見せつければいいんだ」
「国益?」
チャトラの告げる国益がチャトラのしがらみをすべて引き換えてもいいくらいすごいことなんだろう。ならば、その期待に応えないと。
「じゃあ、私に出来ることがあったら手伝うね!!」
「ああ!! なんて健気なんだ!! あんな女と大違いだ!!」
感極まったかのように力を入れられ抱きしめられるが、その力加減が嬉しくて微笑んでしまう。
「じゃあ、婚約を解消してもらいましょう」
「あっ、ああっ、そうだなっ!!」
すぐに用意するとチャトラが抱き付いていた身体を離していく。それを寂しく思って上目遣いで見つめると、
「愛してるよ。ロップイヤー」
「――私も愛してます」
愛を誓うと私とチャトラの間にガラスのように繊細な宝石の指輪が左手の薬指に填められる。冬の民が真実の愛を誓った相手にささげる力の結晶。
「チャトラに私の魔力が少し使えるようになりました。伴侶の証です」
「伴侶……ありがとう、ロップイヤー。これを励みにがんばるよ」
チャトラが喜んでくれるのを見ると嬉しくなる。
ああ、早く一緒になりたいな。
しばらく抱き合っていたら何者かが近づいてくる音が聞こえて、チャトラは私から手を離して、距離を置く。
「殿下。ここにおられたのですのですねっ!!」
「煩いっ!! 僕だって、たまには独りになりたい時間があるんだっ!! ………で、何の用だ?」
チャトラがイライラしたように声を掛けてきた従者らしき人に文句を言うと、
「公務が溜まっております」
「そんなのシャムにやらせればいいだろう。あいつはそのためにいるんだからな!!」
くだらないことに邪魔をするなと、何かを言い返そうとする従者を追い払って、すぐに私の手を掴んでくれる。
「やっといなくなったな」
清々したと告げるが本当によかったのだろうか。
「よかったの?」
「ああ、あんなこと僕がしなくても他に出来る奴がすればいいことだ」
そんな風に笑ってくれるチャトラはとても素敵だった。本当にいいのだろうかと首を傾げるが、もしかして婿入りのことを考えて、あえて手を出さないのかもしれない。
そこまで覚悟をしているチャトラの心意気に感動して、その覚悟を無駄にしないと私もここで誓った。
「………ロップイヤー嬢。その指輪は冬の結晶ですか?」
忙しいからとチャトラに会えない日々が続き、寂しく思っていたらシャムさんに話し掛けられる。
「はいっ!! シャムさんも知っているんですね!!」
嬉しくて見せびらかすとシャムさんは眉を顰めて、
「………………………ええ。知ってます。相手は殿下ですか?」
殿下。そうだチャトラは殿下と呼ばれていたな最近名前呼びだったからすっかり忘れていた。
「はいっ。チャトラです」
胸を張って告げる。そうだ。この人は元婚約者だ。だって、チャトラは私と結婚してくれると約束してくれたし。
チャトラはそれほどの覚悟を決めてくれたのだ。
「殿下は冬の民の決まりのことは?」
「知っていると言いましたよ。でも、冬の民としてではなく私個人を接したいと」
「そう…………」
あらっ、シャムさん難しい顔になっている。
「…………………………あの馬鹿王子。ことの重要さを知らないのっ!!」
小さく何か言っているけど聞き取れなかった。
「ロップイヤー嬢。貴方のお気持ちは理解しました」
こほんと顔を赤らめて誤魔化すように咳をして、
「――これはわたくしの独り言と思って聞いてください」
となんで独り言と言って話をするのだろうかと意味が理解できなくて首を傾げる。
「殿下……チャトラ殿下は側室のお子で、2歳下の今現在留学中の王妃さまのお子である弟君がいます」
「はっ、はぁ?」
何が言いたいのだろう。
「チャトラ殿下には本当ならお兄さまがおられて、その方が王太子になられる予定でしたが、幼い時に亡くなられて、それが原因で気鬱になって跡取りを王妃が生むことが出来ないと側室を持つことにしました」
側室という話を聞いて変な気持ちになる。あえて言葉にするのならむかむかした。いや、いまもしてる。
国の都合で何でそんなものを持たないといけないのかと怒りが込み上げてくる。
「チャトラ殿下が生まれたことが好転するきっかけになったのか王妃様が次の子を出産してその時点で王太子の座はどちらになるか分からなかったのですが、わたくしと婚約したチャトラ殿下が一歩リードしていましたが……」
そこまで告げて、指輪に視線を向ける。
「ロップイヤー嬢は殿下が殿下じゃなくても愛しているのですね」
王位継承がどうなっても愛を続けられるかと聞かれたのは理解できたので胸を張って応えられる。
「当然です!! 王子じゃなくてチャトラを愛してるのですから!!」
王子じゃないチャトラに価値が無いなんて言うわけない。
第一、王子であっても構わないが、それより重要なのは婿入りしてくれるかだ。
「冬の民ならそう言うと思いました」
そこまで告げて、溜息を吐く。本当に苦労しているという感じで眉間に皴を寄せて、
「あのバ……ポンコ……チャトラ殿下が本当に理解しているといいですが……」
「シャムさんはチャトラを案じてくださっているんですね」
チャトラはシャムさんを快く思っている感じじゃなかったけど、シャムさんの話は分かりやすくて理解しやすい。
そして、側室などというものを持つことに怒りが湧いたが、冷静になれば怒りを覚えるのは間違いだ。冬の民の常識とその他の民の常識は異なることを外の世界を出て気づけたし、側室というものがあったからチャトラが生まれたのだ。
「冬の民は伴侶を大事にする一族です。チャトラが今まで不遇だった分まで守りますね!!」
チャトラは王子という立場を捨てて婿になってくれるのだから。
ああ、冷静に話を飲み込むとチャトラが婿入りしても大丈夫だと太鼓判を押してくれているのだとやっと気づいた。
「――ああ、やっぱり、あのポンコツ理解していませんね」
訳知り顔で告げてくるシャムさんの言っている意味が分からずに首を傾げるがシャムさんは教えてくれない。
「――ちなみにわたくしの方からはすでに婚約解消の申し出を出しておりますので」
「そうなんですかっ!!」
「ええ。――どうやらわたくしは想い合っている恋人同士を引き裂く〈悪役令嬢〉らしいですが、そんな典型的な物語のような〈悪役令嬢〉の役目ごめんです。さっさと解消をしたいのですが………どこぞの方がそれを了承してくださらないので困っているんですよ」
と溜息交じりの愚痴を漏らす。
「そうなんですか? シャムさんはいろいろ親切に教えてくださっているのに」
親切な方だと思ったのに酷いあだ名をつける人が居るものだ。それに関して少し怒りが湧いてくるが、シャムさんはそんな私を子供を見るような目を向けて、
「ふふっ。本当に誰なんでしょうね。そんな噂を流すのは」
どこか愉快そうに笑うだけだった。
「またか弱いロップイヤーを脅すなどとっ!!」
チャトラが憤慨している。
「待ってろ。すぐにあの女のせいでまだ婚約が無効化出来ないが必ずあの女を何とかしてみせるから」
胸を叩き宣言してくれるが、
「えっ? シャムさんは解消を申し出てるって……」
「そんなの嘘に決まっているだろうっ!!」
騙されているんだ。あの女にと。肩を掴んで告げてくるがその顔は険しくて……怖かった。
「あんな女のせいで……そうだ。あいつとあの女がいるから………」
ぶつぶつぶつと呪詛のよう何か呟く。
「ああ。そうだ。絶対……あいつに……アビシニアンに負けてなるものか………」
アビシニアン?
いきなり知らない名前が出て戸惑うが、それよりも鬼気迫る感じのチャトラの方が心配だ。いったいどうしたって言うのだろうか。
「ロップイヤー。君だけが頼りなんだ。君との関係を認めさせれば……あの二人の思い通りにならない」
ぶつぶつと何かを呟き続ける。
「ああ、そうだ。丁度いい。あの二人には…………」
後半部分が聞き取れないほど小さな声だった。でも、血走ったような目をしているチャトラは本当に私の好きになったチャトラなのか。
何か間違えた気がする。あんなに故郷の長老に忠告されたのに。
そして、その数日後。
「ロップイヤー令嬢ですね。こちらに」
第二王子アビシニアンと署名された招待状を受け取り、まさか王城に呼ばれるとは思わなかった。
「申し訳ありませんが、ここで静かにお待ちください」
と案内されたのは小さな小部屋。その部屋に置かれてある椅子に腰かけて身の置き場に困って待っていると、
『どうしてですっ!! どうしてアビシニアンが王太子などとっ!!』
何処からかチャトラの声が聞こえたので辺りを見渡すと、目の前に鏡(?)があるのに気付いた。
たぶん、鏡なのだろう……壁に取り付けてあるそれは私の姿を映していないでなぜかチャトラの姿が見える。
『冬の民と結ばれるものは英雄になれる!! 俺は英雄と同じ力を手に入れたんですよっ!!』
鏡の中でチャトラが喚いている。
『なのにどうして……』
責め立てる先が見えないかとじっと鏡に近付くと鏡の角度で別の人物が見える。
『――それ以外は何をした?』
問い掛けるのはチャトラに似ている髭の生えた壮年の男性。
『えっ……』
『公務はシャム嬢に任せきり、書類仕事すら面倒だと部下に回し、シャム嬢が印を押す始末。王族の許可が必要な公務は留学先からたまに帰ってきたアビシニアンが手伝う始末。最初の頃は二人とも諫言していたが、聞く耳の持たないお前に回す方が骨が折れるとわざわざ尻拭いのためにまめに帰ってくるアビシニアンと学業と王子妃教育で寝る時間を惜しんでいるのにそこでお前の部下のために奔走しているシャム嬢。そんな二人がいて、お前は何をしていた?』
たぶん王さまだよね。公務……チャトラの仕事を二人に押し付けてきたと言うことだよね。
(いつでも婿に行けるように手を出さなかったのかと思っていたわ)
そうじゃなかった事実に動揺している。じゃあ、さぼっていたと言うことで……。
『ですがっ⁉』
『だが、お前が冬の民であるロップイヤー令嬢との間に愛を誓いあっている証を見せられて納得した』
『そっ、そうですっ!! 俺とロップイヤーはっ!!』
必死に何かを言おうとするが、チャトラの言っている言葉の意味が理解できない。
「何言っているの?」
声が漏れる。
『お前は』
「チャトラは」
『冬の民の元に婿入りだろう』
「冬の民に婿入りでしょう」
鏡の中の王さまの声と私の声が重なった。
『な……なんですか、それっ⁉ 俺は王太子に………』
『――冬の民のことは教師陣から学んだのではなかったのか?』
『貴重な魔力を持つ、英雄を育てる民でしょう!! それくらいは知って……』
『――女性が生まれる確率が高く、稀にしか男性が生まれません。よって、冬の民と婚姻する時は婿入りが決まっています。わたくしと共に帝王学で学んでいましたよ』
ずっと黙っていたのでいるのに気づかなかったシャムさんが鏡の端に映っている。
『殿下はおっしゃいましたよね。冬の民のことを知っている。自分は冬の民ではなく、ロップイヤー嬢を好きになったのだと』
『そっ……』
『ロップイヤー嬢を選んだ時点で殿下は婿入りが決まっていましたよ』
淡々とした声。
『なっ、ならば、俺は………』
『冬の民との友好を深めてください。兄上』
たぶん、弟なんだろう。もう一人の声。
「――お茶をお持ちしました」
急に明るくなり、メイドがお茶とお菓子を持ってくる。
明るくなると同時に鏡に先ほどの光景が映らなくなり、メイドがそっと金属の筒に触れると蓋が締まり、音が届かなくなる。
「今のは……」
「”わたくしはいい人ではないので”と伝言を預かっております」
その言葉で、誰が私をここに呼んだのか気付いた。
でも、呼び出したのは第二王子の名前だから彼も協力しているのだろう。
愛を誓ってくれたチャトラ。でも、チャトラは冬の民の知識を得ずに誓った。
「………チャトラは」
「ご自由にどうぞ。とのことです」
メイドの言葉に、
「なら、冬の民としてきちんと婿を貰って行きます。そう伝えてください」
伝言を頼むと頭を下げて畏まりましたと告げてくれるメイド。
「チャトラ。愛してくれるのよね」
偽りは許さないわよ。
もう映っていない鏡に向かって微笑む。それは冬の民らしい、凍てつく冷たさを持つ笑みだった。
分かっているという言葉を鵜呑みにして確認を怠った。素朴な少女。




