公爵令嬢 シャム
「ロップイヤー嬢。少しよろしいですか?」
ふわふわと柔らかなそうな質感の髪を持つ少女に声を掛けたのはただの忠告であった。
「あっ、はいっ!! なんですかシャムさん」
ロップイヤー嬢の言動に、行動に眉を顰める友人らに気付いて、一人で声を掛ければよかったと悔やむが、わたくしは常にだれかの……そう、王家の影も引き連れて行動するように気を付けている。
それがわたくしが王子妃に……もしかしたら王太子妃になる可能性のある存在としての義務であった。
『私たち貴族は民を守るために存在している。民を守り続けているからこそ贅沢を許されて美味しいものも食べられる。貴族の役目を忘れてはいけない。守られることも常に人に見張られることも貴族の義務だと思いなさい』
欲望に溺れた貴族の行く先は破滅しかない。
そんな風に育てられて、そのために様々なことを教わり続けた。すべては王を……民を……国を支えるために。
まあ、そんな自分故。王子の婚約者に選ばれたことに対しても名誉なことだと思っても嬉しいよりもすべきことが多いと責任感の方が強く感じられて、その重責に負けぬように研鑽を積む事を心掛けた。
が、すぐに挫折した。
「そんなのお前らがやればいいだろう」
わたくしの婚約者は王族としての義務も贅沢をしていい理由も理解せず、嫌なことから目を逸らし、好きなことに逃げ、自身が生活していくために用意されているお金がいくらでも湧いてくるとでも思っているのか贅沢をして遊びまわるポンコツダメ王子だったのだ。
「………………………」
本来ならばこの大馬鹿王子を縛り付けて、王族としての責務を徹底的に教え込むのが普通だろう。長い目で見ればその方が国のためになるのだろう。だけど、わたくしはその努力を放棄した。
公務の内容を見ていると一刻も早く進めないといけない事項が多い。
苦しんでいる民がいるのだ。その民を救うのにやる気のない王子を説得し、分からないことを教えて、逃げるのを追いかけて捕まえるために人員を動かす?
それこそ無駄だ。
わたくしが相手を煽ててやる気を出させる能力があるのならそれも可能だろう。煽てて、褒めて、甘えて……。
だけど、それをすると言うことは今も民を救おうと不眠不休で動いている者たちに悪い気がしたのだ。彼らはそんな馬鹿王子を煽てている間も動き回り、努力して、何が一番いい方法か模索している。そんな彼らの前に文句だけは一丁前の王子を連れて来て、王子が逃げるとその作業を中断させられる羽目になるのを良しとするか。
はっきり言うと無駄だと思えたのだ。
その時点でわたくしは王子妃に相応しくないと自分で自分のことを判断した。王子と心を寄り添えないし、王子の成長を促せない。
王子が家庭教師から逃げるのを最初は探しに向かったが、探している分の時間を教師に待たせて、時間を延長させて、その後の公務に影響を与えて、教師が責められるのを見るのが忍びなかったからその件に関して報告をして、王子が逃げ出さないように叱りつけるのは親の役目だと暗に側室に伝えてあったのだ。
ちなみに報告した矢先に公務はわたくしがすればいいのだから問題ないと側室が告げられた。側室にも期待できないと判断して、その件に関しては父を通して陛下にも報告が行っている。
で、全く役に立たないポンコツ王子もといチャトラ殿下の尻拭いをしろ(実際にはそんな言葉ではなかったが)と側室から命じられたので王子のすべき公務はすべてわたくしが学業と王子妃教育の合間に行い、寝る時間すら惜しんで行い続けた。
まあ、それでもわたくしが陛下に報告したからチャトラ殿下の使用できるお金が制限されて、その件でますます殿下に嫌われたが正直痛くも痒くもないので完全に無視した。
その反応も彼にとって不愉快なものだったのでますます溝が生まれたわけだが。
「シャム嬢は抱え込み過ぎです」
そんなわたくしを見かねたのかアビシニアン殿下が自分の公務と学業の合間を縫って、王族の許可が必要な案件の書類に目を通して手伝ってくれる。まあ、アビシニアン殿下が書類の内容が分からずに止まっている事もあったがその時はしっかり説明をした。
「教えるのは時間の無駄と言っていませんでしたか?」
アビシニアン殿下と信頼できる部下たちと執務をしながらの雑談。そこでアビシニアン殿下の素朴な疑問に書類に目を通して、赤字で修正をしている時に問い掛けられて、
「やる気のない人に教えるのは時間も無駄だと言っただけです。やる気がある方なら教えれば教えるだけやりがいをこちらも感じますし、やる気が絡まっている方でもきちんと正しいやり方を教えて身に着けてくれると嬉しいものですよ」
ゼロから学ぶ姿勢になるなら歓迎する。だけど、ゼロにいくら教えても全くやる気のないなら教える気すらなくなる。
それをやる気出させるのが貴族の義務かもしれないが、最初にその環境を持っていない者に教えるならともかく最初から持っている環境にあるのにそれを放棄している人にまで教える気になれない。
(つくづくわたくしは王族に不向きですね)
王子妃教育を受けているのが申し訳ない気がするほどだ。
まあ、そんな日々を過ごしている間に、殿下はすっかり公務をサボる癖のあるダメ王子になっていき、学園の授業もサボっていると報告を受けた。
それに関してもわたくしは何もしなかった。チャトラ殿下をわざわざ探しに行く間すべきことが止まるのも困ったし、どこにいるかも見当つかないのに労力を使う気がしなかった。
公務を受け持っていたアビシニアン殿下は留学をして、留学先で今まで国交のなかった国の重鎮のご子息と友好を深めていき、子息らを通して国交が出来そうな流れを作り出している中。チャトラ殿下が冬の民と親密な関係だと噂を耳にした。
それでわざわざ会いに行き、話を聞いたけど、頭が痛くなってくる。
詳しい話を聞いていないが、彼女の人となりを見て、あの馬鹿王子が騙しているのは一目瞭然だ。
あの馬鹿はわたくしという婚約者がいることを伝えていなかったようですし、冬の民の思考回路も学んだはずなのに理解していない。
「兄上が冬の民と親密。ですか……」
「ええ」
「冬の民と言えば、確か魔力を持つ民の一つで、伴侶に魔力を譲渡出来ると聞いたことあります」
民族学で当たり前のように学んだ内容をアビシニアン殿下が思い出したように口にする。
「それだけですか?」
学んだ事はと問い掛けると、
「いえ……英雄の末路は極端に二つ。冬の民の妻と仲睦まじく暮らすか……捧げられた愛を裏切って死ぬかでしたね」
魔力を持つ民ならば魔族という呼び名でいいだろうと思われるが、冬の民と呼ばれる理由はその裏切った男の末路が理由だ。
「あの……それって、チャトラ殿下が婿入りってことになりますよね……」
書類をまとめていた部下が不思議そうに首を傾げる。ちなみに手は止まっていない。
「ええ。――そうね。そうなるわね」
冬の民は女性がほとんどで男性の産まれる確率は低い。婿入りが求められる。そして、王になるつもりなら婿入りも出来ないし、現法だと男子のみ王になれる。
万が一の確率に懸けて、嫁いでもらっても側室は持つ必要性が出る。法律を変えれば何とかなるかもしれないが、あの殿下がそこまで皆を納得できるほどの理由を述べて賛同を得られるか。
(無理でしょうね………)
実績が無さ過ぎる。信頼も。
「おいっ!! シャム。お前、この書類もやっておけと言っただろうがっ!! 何で俺を呼びに来るんだっ!! 俺はロップイヤーと一緒に居たんだぞっ!!」
勢いよく扉を開いたと思ったら開口一番そんな苦情。
「チャトラ殿下」
「なんでお前がいるんだっ⁉ アビシニアン!! お前は留学中で………」
「留学中でも公務はある。それにその気になればいつでも帰ってこれる」
隣国だし、転移魔法の道具もある。
「ぐっ!!」
言い返せずに言葉が詰まっている時点で他の重鎮を説得できると思えない。
「殿下………ロップイヤー嬢のことですが」
冬の民のことを知っているだろうか。確か共に学んだ………。
(あっ、学んでない。その時間をサボっていた)
では、チャトラ殿下は……。
「お前っ!! ロップイヤーに手を出すつもりかっ!! 自分こそアビシニアンと一緒に居た阿婆擦れが!!」
阿婆擦れ……。
辺りを見渡して、書類仕事に邁進している部下たちに視線を向ける。どうやら彼らが目に入っていないようだ。
「ロップイヤー嬢……冬の民のことは……」
「はっ。愚問だな!! 魔力を譲渡することが出来る英雄を生み出す一族だろう。だが、それがなんだ。お前と違ってロップイヤーは可愛げがあり、癒してくれる。ああ、そうか。王太子妃の座を奪われると焦っているのか。醜いものだな」
どんな解釈をしたらそうなるのかというような発言をして笑っている様を見て、呆れて何も言えない。
「兄上。俺は先日**国との国交を樹立しましたけど、兄上は何をしましたか?」
「何っ⁉」
にこやかに書類の確認をしていた視線を上にあげて兄を見つめるアビシニアン殿下。
「アビー……」
「まだ王太子の座は決まっていないのにその発言はいかがなものか」
アビシニアン殿下の挑発するような発言と不敵な笑み。
怒りを顕わにしたチャトラ殿下は苛立ったように扉を勢いよく開けて出ていく。
「嵐のような方ですね」
「全くだ。少しは自分の公務をしに来てくれたと期待した方が馬鹿だったよ」
この部屋にある書類は本来ならチャトラ殿下の公務だ。それを手伝っている自覚もないのも困りものだ。
「でも、あのままでよろしいのですか」
こちらを案じるような部下の発言に、
「父上……陛下もご存じだ。兄上が自分とロップイヤー令嬢との関係を物語のように美しいものとして噂を流していることも。――シャム嬢を〈悪役令嬢〉として自分らを裂こうとしている存在として醜聞を広げようとしていることも」
「お父様は噂の出所を掴んでついでに政敵を叩きのめすつもりでしたわ。そういえば」
ちなみに婚約解消の話は進んでいる。側室が反対して思うように進まないのが現状だが、
「わたくしの有責として婚約破棄にしようと策略しているようですわね」
困ったものだと告げているが、民の生活が荒れないかの心配なだけで、わたくし自身は響かない。
(実際、やっていることは悪でしょうし)
婚約者との交流を深めようとせずに婚約者を破滅に導こうとしているのだから。
チャトラ殿下が真面目に取り組んでくださるかと期待はしたが、そんな風に導かないで完全放置していたから性根は直らなかった。
それどころか冬の民の愛の証を受け取った事実にもう手遅れだと判断する。
(愛に殉じていれば尊敬しますけどね)
ロップイヤー嬢はチャトラ殿下が冬の民のことを理解しての愛の言葉だと認識している。
(黙っているのも後味が悪いわね)
善意ではない。こっちの気分の問題だ。
「と言うことで真実をお伝えしようと思っていますが」
「構わないよ。なんなら俺の名前を使ってもいいけど」
「それ………俺たち聞いちゃいけないことなのでは……」
アビシニアン殿下と密談………周りは書類仕事を手伝ってくれる側近が居るので正式な密談になっていないが……まあ、悪事を目論んでいるのに巻き込んでしまったのは申し訳ないが、
「王家の影がいるから陛下公認の密談ですね」
わたくしの言葉に怯えたように身を強張らせる側近。
「ああ。ずっと前から皆に付けられているだろうな」
再び強張らせて書類を落としてしまう側近らに申し訳ないが、陛下の許しも得ている密談だ。
「それは密談と言えるんですか?」
「いえるわよ。当のご本人が知らないのだから」
本当は真っ先に気付かないといけないのに。まあ、教えないわたくしが悪いのだけど。
「馬鹿なことを考えている人には早々に退散してもらって、不良物件を押し付けることをロップイヤー嬢に伝えておかないと」
いくら何でも自分の行いの酷さは理解している。不良物件だと伝えておかないと後でどんな騒ぎになるのか分からないだろうし。
「これで後顧の憂いもなくなりますね」
「んっ?」
「アビシニアン殿下の婚約者ですよ。誰を選んでも揉める未来しか見えないと保留していたでしょう」
隣国の王族と同盟強化の結婚でも貴族令嬢でも後継者争いが悪化する恐れがあったのだ。わたくしがチャトラ殿下の婚約者になったから一応水面下の争いで落ち着いているように見えるが、アビシニアン殿下の婚約者が現れたら血が流れてもおかしくない。
「あっ……ああ。そうだね……一応希望は伝えてあるよ」
珍しくアビシニアン殿下の視線が泳いでる。よほど難しい相手なのかしら。
「何かあったらお伝えください。手伝いますので」
それくらい恩を返さないと。
「よし、言質取った」
「脈なしかと思ったら、まさか墓穴を掘るとは」
アビシニアン殿下と側近の会話が理解できなかった。
「あの? アビシニアン殿下?」
「なんでもないよ。ロップイヤー令嬢に打ち明ける場所は俺が用意していいかな?」
アビシニアン殿下に告げられて了承する。王城で王族以外使用が禁じられている場所だから自分が動いた方が早いとか。
「悪役令嬢……」
「シャム嬢?」
「いえ、何でもありませんよ」
ロップイヤー嬢は悪役じゃないと以前言ってくれたが、自分が悪だという自覚は誰よりもある。彼女の真っすぐな眼差しを失うのは悲しいが、チャトラ殿下の言葉をきちんと確認しなかったことを悔やんでくれるといい。そんな事を思いつつ、計画を進めたのだった。
分かっていないと気付いても居なくなった方が都合がいいから何も教えなかった人。




