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回診Ⅱ


テントに入ってみると、そこは6畳ほどの広さで簡易ベッドや椅子、折りたたみテーブルが置いてあり、1人の老齢男性、首から聴診器を下げた医師とみられる中年男性、一人の中年の女性がいた。


どうやら診療中らしいのですみれは慌てて頭を下げて静かに立っていると、恐らく看護師であろう中年女性が頷いてそばにある椅子を示してくれたので、恐縮しながら座る。


血圧を測っているのだろう、医師がテーブルの上でゴムの球を握って老齢男性の腕に聴診器を当てている。

そばの血圧計の目盛がどんどん上がっているのが見えた。

しばらくしてシューと音がして測定が終わり、男性の腕から巻かれたバンドが取り外された。


「やはり血圧高いね」

医師がカルテらしき書類に記録を取りながら言った。

「そうなのかい」

老齢の男性は淡々と応える。

「うん、ちょっと高すぎるよ。食べるもの気をつけなきゃ」

「食べるものっつったって選びようがないからなあ」

「できるだけ塩分は避けて。それにお金が入ってもお酒飲まないようにね。あとストレッチって言ってもあまりやらないだろうから、ほら、手」

そう言って医師は手を握ったり開いたりする。

「こうやって手を握って開いてを時々するといいよ。朝なんかいいね、あと出来たら足の方も指を開いたり閉じたり同じようにすると血流良くなるからね」

「それなら出来るかなあ」

「他に調子の悪いところはないかい」

「ちょっと咳が出て鼻水が出るんだ、あと腰が痛い」

「さっきあまり熱はなかったから風邪かもしれないね。腰は・・・慢性的なものだねえ」

医師はカルテを見ると、

「前診たときも言ってたものね。風邪の薬と、痛み止めを持っていって。腰はこれ以上痛むようだと病院だね」

「病院はいいよ、まだ大丈夫」

「ちゃんと相談しなさいよ、我慢はだめだよ」

「大丈夫、大丈夫」

男性はあまり聞いていないような様子で言葉を発した。

本当に大丈夫なんだろうか。すみれは心配するが何も言えないので黙っている。

けれども医師はそういう態度には慣れた様子で、

「自分の身体だからね、まずは自分で管理するようにしないと。とりあえずお酒は控えて。さっき言った体操もやるんだよ。腰は痛かったらうちのカウンセラーに相談すること。いい?」

「うん、うん、いつもありがとう。安心するよ」

男性はそう言って何度も頷いた。

「じゃあ、くれぐれも気をつけて。さあ、今日はこれでおしまい」

医師は手を叩いた。

「ありがとう」

男性はもう一度言って、席を立ち上がった。


男性がテントを出て行くと、医師はすみれの方を向いた。

「あなたかい、見学したいっていうのは」

「は、はい」

すみれは緊張しながら頷いて席を立った。

「月山すみれと申します。今日は急なお願いを聞いて下さり、ありがとうございます」

自己紹介をして、頭を下げる。

「自分は医師の岡所です。それにしてもよく見学したいって思ったね」

医師は唇を窄めて微笑んだ。

おそらく40代後半の男性だ。

無精ひげを伸ばし、髪型は頭の側面や後ろを刈り上げ、てっぺんは長めに残している。

ワイルドな風貌だが、とても優しい眼差しをしている。がっちりした体型は安心感を与える雰囲気があった。

「あの、この春からここの配給のお手伝いをさせてもらっていて、お年寄りの方々と関わらせていただくうちに、いろんな問題を目にしたんです。それでもっと経験を深めたい、と思って勝手ながら見学をお願いしました」

すみれは前もって考えていた、見学の理由を尋ねられた時の答えを緊張しながら岡所に述べた。

春から始めてまだ半年くらいしか経っていないのに、本当にいろんな出来事に直面したな、と思う。

普通に過ごしていたら想像もしなかったような出来事がこのリゾートでは起きていたし、そしてそのほとんどは痛ましい気持ちになる事ばかりだった。

これからもそういう出来事がたくさん起きるだろうけれど、出来る限り目を背けずにいたい。

岡所が頷いた。

「そう、感心だね。それじゃあたくさん見てってください。でも静かにね」

「はい、ありがとうございます」

すみれは感謝してまた席に座った。


「次の方〜」

看護師の女性が声を上げる。

間をおかずに老人男性が入ってきた。

途端にテント内に異臭が広がった。

垢と汗と尿の臭いが入り混じったようなきつい臭いだ。

かなり臭う。

すみれは顔が歪みそうになるのを我慢する。

男性に対して申し訳ないな、という気持ちになりながらもすみれはマスクをしてて良かったとホッとした。

そして先程入り口で会った女性が〝マスクしてないと大変“て言っていたのはこの事も含まれてたのかな、と思い出す。

男性はうす汚れた青色の半袖に、灰色のこれも汚れてテカテカになったズボンを履いていた。

髪はざんばらで伸び放題。

半袖から伸びた腕は湿疹と瘡蓋に覆われている。

その腕の惨状と臭いが目に染みてすみれは目を瞬かせた。

これは中々ひどい症状の人だ、と思っていると岡所は別段何にも感じてない様子だ。

看護師の女性もまったく動じていない。

 

老人男性が椅子に腰掛けると先に口を開く。

くぐもったような声が漏れる。

「身体が痒くてね、あと痛みも」

「うん、皮膚は僕じゃないな。隣のテントだよ。他で調子の悪いところはないかい?」

「ああ、そうか、咳が頻繁に出るね」

「咳はいつ頃から?」

「もう5年くらい」

「病院には?」

「行けなかった」

「わかったよ。胸の音聞いてみよう、シャツ脱げるかい」

「ああ」

老人男性はシャツを捲り上げる。

青色のシャツの下から白い肌着が覗いたが、肌着も黄ばんで変色している。

衛生的とは到底言えない状態だった。

捲り上げると男性の上半身が露出する。

すみれからは男性の背中も見える位置だが、赤い湿疹がその背中いっぱいに広がっているのが見えて、思わず目を背けた。


岡所は静かに男性に聴診器をあてて心音を聞いている。

しばらくして聴診器を外すと、

「うーん、雑音があるね。一回エコー撮った方が良さそうだ、レントゲンも。うん、もう服着ていいよ」

「そう」

男性は淡々と答え、汚れた肌着をズボンに突っ込む。

「病院紹介するので、そこで診察を受けてもらえるかい」

「こんななりで病院なんか行けないよ」

男性は自分の身体を見回した。いちおう自分がどういう状態になっているかは自覚しているようだった。

「それは大丈夫だから。ちゃんと行きなさいよ」

岡所は嗜める。

「わかった」

「あと、咳止めを渡すからそれを飲んでみて。効いても効かなくても病院に行くこと。今日は以上だよ、隣のテントは皮膚の方診てるからそっちも行くようにね」

「わかった」

男性は答え、立ち上がるとテントを出ていった。


「大丈夫かい」

岡所がすみれの方を向く。

「ええ、大丈夫です」

すみれは息が詰まりそうになるのを我慢しながらも答える。

臭いは男性が去った後も残っていて、具合が悪くなりそうだった。

「ここに来る人たちはだいたいあんな感じだよ、衛生的に暮らせる人の方が少ないからね。身体の事を考えられる状況じゃないし、病院に行って診てもらおうと思う人も少ない。お金が無いからね。

それに、そもそも診てもらえるとも思っていないんだよ」

「そうなんですね」

「身体を壊しても治療することが出来ず、そのままにするしかないんだ。そして我慢した結果、手遅れになってしまう。だから予防するアドバイスは重要になってくるね。」

「・・・・・・」

すみれは言葉を失う。

ここの人々は身体に異変があっても病院に行けず、我慢するしかないのだ。

頭痛がしてもそのままだし、

虫歯が出来て痛くても食べ続けるし、

目が見えないと思っても手探りで過ごすし、

足を骨折しても歩き続ける。

それが病院に行けない、という事なのだ。

身体を壊すことは許されない、綱渡りのような毎日。

そうやってここの老人達のほとんどは暮らしている。

すみれはまたひとつ老人達の厳しい生活を知った。


「はい、次の方~」

看護師の女性が、また次の人を呼んだ。


静かにテントの入口が開くと、人が入ってきた。

その人を見てすみれは息を飲んだ。



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