再開Ⅰ
すみれは今日、松のエリアに足を運ぶ。
ほんの少し涼しさを感じる風の中を、軽やかな足取りで道を急ぐ。
ようやく、荒栄さん達のパン屋が再開する事になったのだ。
荒らされた店の片付けが終わった後は、再び什器や備品を備え付け、棚割りを考え、物の配置を元通りにした。
その作業にも加わってみて店を始めるのは本当に大変なんだとすみれは知った。
そしてそんな努力を踏みにじるような事をした犯人を、改めて許せないと感じる。
荒栄さん達は毎日忙しく働いていた。
お年寄りなのになんでこんなにキビキビと働けるんだろう、と不思議に思うくらい精力的だった。
その理由に、すみれは思い当たっている。
あの小さな女の子、えなちゃんがみんなを元気づけたのだと。
えなちゃんはこのパン屋のパンが大好きだと言ってくれたのだ。
すみれは思い出す。
パンが食べれなくて悲しげな顔をしたり、気落ちする荒栄さんを心配そうに見上げるえなちゃんを。
そしてパン屋のために素敵な絵を描いてくれたのだ。
絵を差し出す時の緊張したえなちゃんの様子を思い出すと、すみれは自然と微笑んでしまう。
その絵は今、綺麗な額縁に入れて、カウンターの正面に飾ってある。
荒栄さんが仕事の合間にその絵を目を細めて見ているのをすみれは何度か目撃した。
荒栄さんがまた活気を取り戻してくれたのにホッとして、えなちゃんに感謝するすみれだった。
パン屋の前まで来ると、すでに何人かのお客さんと思われる人々が店の前で待っていて、やっぱり再開を待ってくれた人達がいたんだ、とすみれは嬉しい気持ちになる。
「おはようごさいまーす」
と声をかけて店に入ると、
「すみれちゃん、おはよう!」
すぐに荒栄さんが気づいて近寄ってくる。
すみれは荒栄さんに笑いかけた。
「やっと再開ですね!」
「ええ!嬉しいわ!私、昨日はずっと眠れなかった」
荒栄さんもニコニコする。
そしてすみれに向かって姿勢を正すと、お辞儀をした。
「すみれちゃん、ここまで手伝ってくれてありがとう、本当に助かったわ」
すみれは慌てて手を振った。
「とんでもないです、私、ちょっとお手伝いをさせてもらっただけですから」
「いいえ、すみれちゃんみたいに若い人が手伝ってくれて私達、どんなに元気付けられたか。みんなそう思っているわ。本当にありがとう」
荒栄さんはそう言ってまた頭を下げた。
「いいえ、私も荒栄さん達があんなに頑張っている姿にいつもすごいな、と思ってて、私もなんか頑張らなきゃって、かえって力をいただきました」
すみれも荒栄さんに頭を下げた。
「あらやだ、そんな事思ってくれてたの?ありがとね」
荒栄さんはクスクス笑った。
「さあて、そろそろ開店の時間だわ、また心機一転頑張って行かないと」
「はい!」
すみれは店を見回す。
以前のように南欧の田舎家屋風な内装はそのままだ。
何種類ものパンが積み重なっているカゴが綺麗な配置で展開されている。
柔らかな照明に照らされたパンはどれもみな美味しそうだ。
カウンターには数名の老齢の女性達がいて忙しなく準備をしている。
荒栄さんが正面の入り口の方に立って店の外に顔を向ける。
先程より開店を待っている人が増えたようだ。
荒栄さんは何かを堪えるかのようにグッと拳を握る。
そして店のスタッフに向き直ると話し始めた。
「みんなのおかげで、また店を再開する事が出来ました。本当にありがとう。私も、みんなも店を壊された時はもうやっていけないと思ったけど、私達のパンを食べたいって言ってくれる人がいました」
店のスタッフの老齢女性が頷く。
「私はこのリゾートと呼ばれるところに住んで何年か経つけど、ただ毎日何もせず生きているだけでした。
けれど、やっとやりがいのある事を見つける事ができたんです。
それがこのパン屋です。
このパン屋に携わる事で世間にまた居場所が出来たように感じたし、私もまだ何か人の役に立てられるんだって
思えました。」
荒栄さんはそう言うと店の外を見て、
「そして今こうやって私達が店を開くのを待ってくれる人がいる。
何か求められている感じがして、とても嬉しく感じています」
荒栄さんの言葉がすみれには切実に聞こえる。
すみれは世間の中の自分の居場所、というものを考えた事は無い。
若い自分にとっては世間に自分の居場所が確保されているのは当然だし、人の役に立つというのはもっと能動的に働く意志であって、荒栄さんが今言葉にしたような、受動的で遠慮がちに聞こえるようなものではなかった。
年配の人がそんなに世間に認められたい、人の役に立ちたいという切実な想いを持っていることにすみれは驚きと、幾許かの切なさを感じた。
荒栄さんの話は続く。
「だからまた頑張ろう。頑張ってたくさんの人に私達を認めてもらうようにしよう。私達のパンを食べてもらおう」
スタッフの老齢女性の中には目元を拭う人も出ていた。
すみれも少し感情が込み上げてもらい泣きしそうになる。
「さあさあ、私達、またこれからよ。頑張っていきましょう!」
荒栄さんはみんなに大きな声をかけると、店の扉を開けた。
「お待たせしました!開店します!」
荒栄さんが外に向かって声をかけると、すぐにお客さんが入ってくる。
そして店内を見渡すと、たくさんのパンが重なり合って置かれているのを見て皆一様に口元を緩めていた。
内装をぐるっと見てわぁ、前と同じ雰囲気だね、とか良い匂い、などと呟く人もいてすみれは嬉しくなった。
今回の再開では新しく作った商品も置いてある。
パンだけでなく、パイやスコーンも作ったらしい。
数量限定とのことだが、すみれが試食させてもらうとこれまたとても美味しかった。
パイはアップルパイで、サクサクの生地に甘酸っぱいりんごが挟まれている。
スコーンは少ししっとり目で食べやすく、優しい甘さがどんなジャムにも合いそうだ。
入ってきたお客さん達も以前はなかったパイとスコーンに目を向けて興味津々な様子だった。
さっそく購入されていく。
どんどん来店者が来て、荒栄さんをはじめ他のスタッフの老齢女性達は再開しても変わらずお客さんが来てくれる事にホッとした様子だった。
すみれは荒栄さん達と一緒にパンの補充やレジを手伝う。
あっという間にパンが売れて行き、一息つく暇も無いほどだ。
開店の混雑がひと段落したころ、
「こんにちは」
と南出さんが入ってきた。
その後に城戸さんが続いてにこやかに会釈をしてくる。すみれにも気づくと、ニコッと小さく笑った。
そして、
「お邪魔するよ」
と貝崎さんの大きい身体ものっそりと姿を見せた。
「あら、三人で来るなんて珍しいわね」
荒栄さんが笑顔で出迎えた。




