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軌跡


「何だよ、あいつら」

ジュンさんがまだ怒った顔で不満を漏らす。

「ひどいよなあ」

イチローさんが悲しそうにクロを見る。

タケさんがクロのところに駆け寄って、

「大丈夫かい、クロ。痛かったよなあ」

とクロの頭を撫でる。蹴られた箇所を心配そうに見て、労わるように触った。

クロは嬉しそうに尻尾を振ると、タケさんの手をペロペロ舐めた。


「あの人達を見かけた事はありますか?」

橋方さんが尋ねると、イチローさんが頷いた。

「時々見かけるよ、だいたいあの2人が一緒みたい」

「いつからいるんでしょう」

タケさんがクロを撫でながら答える。

「3ヶ月くらい前にはいたと思うよ」

「そうですか」


「ああいう奴らが増えたらここもますます物騒になって、居心地が悪くなるよなあ」

イチローさんが呟く。

タケさんやジュンさんも肩を落とす。


ジュンさんが思いついたように、

「そういや、橋方さん、アイツの事ふらーさんて呼んでたよね、あれは何なの?」

と橋方さんに聞いた。

「あ、私も気になってました」

すみれも思わず口を出す。


橋方さんは、ああ、というように頷いた。

「あれは沖縄の方言なんです」

「沖縄の?」

ジュンさんが訝しげに首を傾げた。

「ええ、沖縄の方言でバカとかアホとかいう意味なんですよ」

「そりゃあいいね、あいつら分からなくてキョトンとしてた」

ジュンさんがゲラゲラ笑い、イチローさんやタケさんも吹き出していた。

「どうして沖縄の方言を知ってたんですか?」

すみれが気になって聞いてみる。

すると橋方さんは笑顔で、

「自分が自衛隊にいたときに沖縄に配属されてたんです。それで沖縄の方言を少し覚えたんですよ」


「へえ、橋方さん自衛隊にいたんだあ」

イチローさんが感心した顔をした。

「少しの間ですよ」

「でもそういえば身体つきもがっしりしてるし、あいつらの脅しとか全然気にしてなかったものね」

タケさんが納得顔で頷いた。

「俺はああいう威圧的な感じダメだよ。昔のこと思い出しちゃう」

ジュンさんが口をへの字にして言った。

「ああ、ジュンさんは昔大変だったものね」

イチローさんがうんうんと深く頷く。

「あの、以前は大変だったんですか?」

すみれは詮索するのはいけないかもしれない、と思いつつもジュンさん達の事をもう少し知りたいと考えてあえて問いかけてみる。

あまり思い出したくない過去の事のようだから教えてくれないかもしれない、と思ったがジュンさんはさらりと口にした。

「うん、これでも昔は営業マンだったんだよ。でも会社のノルマと、上司のパワハラが酷くてね、身体も心もおかしくなって辞めたんだ。それからはもう会社とかそういうのダメでね。それでここにいるってワケさ」


「酷い目に遭ったんだよな、ジュンさん。殴られたり灰皿とか投げられたり、土下座までさせられたってね」

イチローさんがポツリと口にする。

その顔は痛ましさに歪んでいた。

「え、そんな事ってあるんですか⁈」

すみれは思わず驚いて問い返した。

仕事で殴られたり灰皿を投げるなんて全く想像出来ない。

何故土下座をさせられたのか、すみれには全く理解出来なかった。

今の世の中からは考えられない事だ。

「昔はよくあった話だよ、いじめみたいなもんさ」

ジュンさんはため息をついて顔をしかめると、頷いた。

どうやら少しその当時の事を思い出してしまったようだ。

「そういうイチローさんだって似たようなもんだろ」

ジュンさんがイチローさんの方を見る。


イチローさんは肩をすくめた。

「そうだねえ。でもずっと前の話だよ。」

「何かあったんですか?」

すみれはイチローさんにも問いかける。

「自分は飲食の方だったんだ。いちおう正社員だったんだよ。

でも人手不足だったのか、人件費の節約のせいなのか、残業が酷くてね。

本当に、月に100時間以上は残業していたよ、みんな。

けれど、残業分は支払われなかった。退勤の時間になったらみんなタイムカードを入力して、それで働いていたのさ。

それでも我慢して働いていたんだけど、同僚が体を壊してねえ。

あんまりだと思って会社に訴えたんだ。

そしたらみんな頑張って働いてる、お前だけそういう甘っちょろい事を言うなって責められたよ。

それからだよ。

いろんな嫌がらせを受けた。

ちょっとしたミスをすると防犯カメラの映らないところに呼ばれて殴られたり、急にシフトを減らされたり、何も連絡なく変更されてたりね。

かと思えば休日に呼び出しを食らって働かされたりもしたんだ」

イチローさんは寂しそうな目をした。


「そのうち自分も体を壊してね、そのころ結婚していて子供も小さかったんだけど、妻にはひどくなじられたんだ。

自分が余計なことをしなければ会社からあんな扱いはされて無いって散々責められたよ。

結局、出て行ってしまった。

それからはもう、何も信じられ無くなって、人と関わるのも、自分が何かに属するのも嫌になって、今こうなっているわけさ。」


「それってでも、イチローさんが悪いわけではないですよね」

すみれは思わず抗議せずにはいられなかった。

イチローさんは何も悪くない。

ただ、会社がひどい待遇をしたので正当な要求を訴えただけだ。

なのに、その主張は認められず会社はイチローさんにひどい扱いをした。

家族まで、イチローさんを理解しようとはしなかった。

そんな悲しい話があるだろうか。

自分もきっと何も信じられなくなって心を閉ざしてしまうに違いない。

すみれはジュンさんやイチローさんが辿ってきたこれまでについて胸が締め付けられるような感じがした。


「自分はきっと、運が悪かったんだと思うよ。

今も、ずっとあの会社に入らなかったら、とか、会社にああいう要求をしなかったら、とか、家族に黙っていれば良かった、とか考える。

時々あの頃の夢を見て夜中に目が覚めるんだ。そうするともう、あれこれ考えちゃって眠れない。

そんな風に毎日が過ぎていって嫌になってくるよ」

イチローさんは小さい声で笑った。


するとそれまで黙っていたタケさんが口を開いた。

「自分はその…」

どうやらみんなが過去の事を話しているので自分も何か言わないといけないように思ったらしい。

ただタケさんは躊躇うような気配を見せていた。

「タケさん、別に気を使う必要ないよ」

イチローさんが察して優しく話しかける。

ジュンさんも頷いた。

「何となく昔話をする流れになっちゃったけど、ただ話したかったから話しただけ。タケさん、気にしなくていいよ」

「何かありがとうね」

タケさんは曖昧に笑って頷いた。



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