捜索
「長く話をしすぎたな。」
「いえ、ありがとうございます」
すみれは礼を言った。
今までこの国の社会構造のようななものについて深く考えた事なんて無かったように思う。
貝崎の意見が正しいかどうかはともかく、もしかしたら自分の預かり知らぬ世界があり、社会の階層の固定化みたいな流れがあるのかもしれない。
そして、貧しい人々が増えていることにはすみれも賛成だった。
そこまで考え、すみれは大切な事を聞くのを忘れているのに気づき、慌てる。
「あっ、あの」
「どうした?」
「わたし、こないだここで男の人に追いかけられた時、助けてくれた人がいるんですけど、今日はその人を見つけてお礼を言いたいんです。それで」
すみれはそこまで言って口籠る。
「なんだい?」
「ええと、すみません、その人を探すのにご協力いただけないかな、と思いまして」
自分勝手に夜の梅のエリアに行って危険な目に遭ったのに、ずいぶんわがままなお願いをしてしまっている、とすみれは顔から火が出るような思いだった。
しかし逆に貝崎はすみれのその姿勢に好感を持ったようで、
「そうか、義理堅いな。手伝おう」
と言い、微笑んですみれを見た。
その様子にすみれはホッとして頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「いや、そういうのは大事だぜ。で、どこら辺でその助けてくれた人と会ったんだい?」
そう貝崎が応じるとすみれはう〜んと考える。
「それが夢中で走ってたので、あまり覚えてないんです、覚えてるのは角を曲がってすぐのバラックの陰に隠れてたらその人に声をかけられました。あ、その隠れたバラックがその人の家だって言ってました」
「そうか。端のバラックって事だな。それなら探す範囲は狭くなるかもしれん」
貝崎は明るい顔になる。そして思いついたように、
「わかった。橋方に付き添わせよう。あの男は俺よりこのエリアに詳しい。助けてくれた男の様子を伝えれば、もっと手間が省けるだろう」
と提案してくれた。
すみれの脳裏に橋方の顔が浮かぶ。
「本当にありがとうございます。すみません、ご面倒をおかけします」
「なに、いいさ。でももう、無理はするんじゃないぜ」
貝崎はそう言って片目をつぶる。
「はい」
すみれがしおらしく頭を下げると貝崎はニコッと笑い、その場を立ち去った。
程なくして貝崎は橋方を連れてくる。
橋方が目を細めてすみれに笑いかけたので、すみれも会釈する。
「事情は橋方にあらかた伝えた。あとは彼と一緒に探すといい」
「ありがとうございます」
「それじゃな、月山さん」
貝崎は手を挙げて去って行った。
「月山さん、今回はずいぶん無理をしたようですね」
事情を聞いた橋方がやんわりと嗜める。
すみれは居心地悪そうに身をすくめた。
「すみません、どうしてもここの夜の様子を見てみたくて」
「ここはかなり物騒なところですよ、気をつけないと」
「すみません」
すみれは再度謝る。
重ね重ね謝ることで、すみれは自分がどれくらい危ない事をしたかを実感する。
「貝崎からおおよその話は聞きました。その夜助けてくれた人に、お礼を言いたいんですね」
「はい」
「けれど、おそらくその人は別にそんな事を気にしないと思いますよ」
「たぶん、そうだと思います。でも、あの時本当に怖かったんです。でも無事に戻ってこれたのがとてもありがたかったので、どうしてもお礼が言いたくて」
「そうですか。わかりました」
橋方は頷くとすみれに尋ねた。
「では、覚えてる限りで良いので、その助けてくれた人の格好とか顔立ちを聞かせてください」
「はい、ええと緑のカーゴパンツに長靴だったと思います。顔はとても日に焼けていて、目元はとても穏やかな感じでした。」
すみれはそんなうろ覚えの様子でいいのか申し訳なく思うが、橋方は意に介してしない様子で少し考えるとすみれに言った。
「ではその人に案内されて、どこに出れたか教えてください」
「あ、はい」
どこに出たかは何となく覚えている。
「こっちです」
すみれは先に立って歩き出した。
「ここに出たと思います」
先日の夜、案内された通りの道順は辿れないものの、広い通りに出れた安心感は身体が覚えている。
今も人や車の行きかいも頻繁で、マンションなどの建物に挟まれたリゾートとは違い、空が広く感じられる。
そして辺りを見渡してみると交番も近くにあったのだった。
その時はよほど気が動転していたのだろう、逃げることばかりで警察に連絡したり近くの交番、コンビニに助けを求めるような事をする余裕はなかった。
それにしても今日になって再度歩いてみると、改めて危ない事をしていたのだと認識する。
ここに来るまでいろんなバラックが並んでいたり人気のない路地、茂みなど殺風景な場所が多く、あの男性の案内が無ければ抜け出せなかった。
本当に感謝だ、とすみれは思った。
すみれがそんな事を考えながら改めてキョロキョロと周りを見ていると、
「なるほど、その人はいい道筋を案内してくれたようですね」
橋方も辺りを見て言った。
「ええ、夜のことでどこをどう通ったかは全然覚えてないんですが、この通りまで出れて無事に駅まで行くことができました」
「その男性が案内をしてからここに出るまでどれくらいかかったか、わかりそうですか?」
「ええと・・・・・5分以上は歩いたかもしれません、ちょっとわからなくてすみません」
「いえ、いいですよ、あの広場から少し離れてだと・・・」
橋方は少し考えると、
「行きましょう。思い当たる所がいくつかありますので」
と言ってすみれを誘った。
橋方はすぐに木々に囲まれた道に入り、路地やバラックの傍を通り始める。
いろんな手作りの小屋やテント、板で囲ったスペースなどが目に入る。
ずらっと立ち並ぶそれらの家々は圧巻でさえあった。
こんなにたくさんの老人が家も無く、屋外で住んでいる。
改めてすみれはこのリゾートに集まる老人が増えていることを実感する。
そしてそれはつまり、経済的な余裕が無く、生活に困っていたり行き場を失ってしまっている老人が続々と増えていることを意味する。
すみれは心が痛くなるような気持ちになった。
それを感じたのか橋方が言う。
「何年か前まではこの場所にはこういうあばら家もありませんでしたが、どんどん増えたんです。
今ではここも立派なリゾートの一部になっています」
「そうなんですね」
「この辺はもう老人のスラムと言っても良いかもしれません。
ですから、いろんな老人が住みつきます。
中にはガラの悪い者もいて、最近とみに多くなってきたようです。
夜では無くてもこのエリアを歩くときは注意してください」
「わかりました、あの」
「何です?」
すみれはふと橋方がどれくらい前からリゾートにいるのか気になり、聞いてみた。
「橋方さんは、いつからここにいるんですか?」
「ああ、そうですね、ここに来て10年くらい経ちます」
橋方は穏やかに答える。
「かなり前から住んでるんですね」
「はい」
「あの、橋方さんてここに来る前は何をされてたんですか?」
すみれはリゾートの住人にはいろんな経緯があって、過去の事を尋ねるのは失礼かと思っていたが、橋方の柔らかい様子がつい言葉を滑らせる。
すみれはうっかりしたと思い、橋方の表情を窺うが、彼の穏やかな様子は変わらなかった。
「以前は自衛隊にいた事があります」
「え、そうなんですか⁈」
すみれが驚いていると、橋方は頷く。
その顔にはどんな表情も浮かんでいなかった。
「昔の事です。いろいろ合わなくて、除隊したんですよ」
確かに橋方の身体つきはがっしりしており、動作もキビキビしていて、そう言われても違和感は無い。
ただそれ以上の事はすみれには聞くことは出来なかった。
「さあ、ここら辺を探してみましょう」
橋方がそう言って歩を止める。
そこはバラックが立ち並ぶ路地で、近くにマンションらしき建物もある。
すみれは何となく見覚えがあるような感じがした。
「この辺りは見覚えあると思います」
「そうですか、良かった。ではこの辺りの端の家を見てみましょう」
「はい」
時刻はお昼を回ったところで、気温がぐんぐん上昇している。
日差しが肌を刺すように感じられた。
すみれはこの炎天下に協力してくれる橋方に、感謝と申し訳無さを思いながら、早めにあの男性が見つかるように祈るような気持ちで周りを見回す。
暑いせいか、辺りの住人はあまり外に出ず、日陰にいるようだ。
すると、バラックの一角で何やら作業をしている男性の後ろ姿が目に入る。
緑のカーゴパンツに長靴。
髪はボサボサだ。
もしやと思い、足を速めて近づくとやはりあの夜の男性だ。
「あの」
すみれが早速声をかけると、男が振り向いた。
「うん?」