それぞれの世界
「そうだ、嬢ちゃんの言う通りだよ」
貝崎は言った。
「何でそんな」
「何でもと言われてもなあ・・・・。生活に困ってるんだろうよ。
後は、そういう商売で生きてきた者にはそれしか出来ない、というのもあるだろうな」
貝崎が放った言葉にすみれは返す言葉を失う。
老齢になってさえ身を売る、という身の上がどれほどの境遇なのか想像もつかない。
さらにそれしか生活する手段を知らない、という事に衝撃を受ける。
完全に、生きる世界が違っていた。
貝崎がすみれの受けたショックを和らげようと穏やかな視線を向ける。
「あまり気にする事はない。そういう世界もあるのさ」
「そう・・なんですか」
「そうだ」
今まで梅のエリアで見かけた、小綺麗というか派手な感じの服装をしていた老齢の女性達は、恐らく夜の広場に立っていたのだろう。
そしてあれだけRPがここに来るのを迷惑がっていたのもわかる。
もしあのRPがこの事を知ったらどんな非難を受けるかわかったものではない。
貝崎に食いつくように抗議していた彼女達の姿が思い出された。
貝崎が話を続ける。
「いつからこの広場で身を売る老齢の女性が現れたのかはわからん。
が、俺が梅のエリアに住み始めた時にはすでに夜、立っている女性達がいた。
以前はもっぱらこの梅のエリアの住人が中心に立っていたようだが、最近は竹や松の住人もいるようだ」
すみれは思い起こす。
「そう言えばかなり人数がいたみたいです」
「だろうな」
「あの、貝崎さんは何か言ったりしなかったんですか?他の事でお金を稼ぐ事だって出来ると思います」
思わずすみれは抗議をするような物言いで貝崎に尋ねる。
貝崎は口の端を歪めた。
「もちろん俺もこのエリアのまとめ役になった時、何人かに事情を聞いてみたさ。
そしたらな、それぞれの理由があった。だからそれからはもう辞めろとか違う仕事を探せとか、安易な事は言えなかったよ」
貝崎の顔に苦しげな表情が刻まれる。
「そんな・・・・・・」
すみれが落ち込む様子を見て貝崎は深いため息をつく。
「いいかい、月山さんは知らないかも知れないが、女性が身体を売るために街角に立つような場所は、このリゾートだけじゃ無いんだぜ。
今じゃそんな場所はこの国の至る所にあるんだ。それこそ俺の若い頃なんかとは比べ物にならないぐらいにな」
すみれは目を見開いた。
「そんな多いんですか」
「ああ、多いな。専門に立っているのもいれば、仕事に就いてても稼ぎが少ないから立っているのもいるし、子供の養育費を稼ぐために母親だって立っているだろうさ」
すみれは絶句して俯いてしまう。
「どうしてそんな風になったんでしょう・・・・」
「どうしても何も、景気はずっと上がらねえし、物の値段も上がり続ければ税金もイヤって言うほど取られていく。貧しい人間が増え続けてるんだよ。
反対に金持ちはどんどん金持ちになって、格差は開く一方だがな」
貝崎はいかにも面白く無い、という風に鼻を鳴らす。
「もうこの国全体が貧乏になってるんだよ。そして金持は貴族化していってる」
「え、貴族化ですか?」
いきなり出てきた単語にすみれは思わず問い返す。
ピンとこなかった。
貴族、という言葉は歴史の教科書に出てくる言葉で、今の時代にそぐわない気がする。
「そんな事はないんじゃないですか」
さすがに貴族階級みたいなものは無いだろうと思い、すみれが異議を唱えると、貝崎は肩をすくめる。
「果たしてそうかな?俺は思うんだが国会議員や閣僚になる立場の人間はほとんどが世襲だろう?
そもそもが国会議員になれるのは金持ちで、親の地盤を受け継いでいるようなヤツばかりだし、顔ぶれはほぼ固定化しているじゃないか。
こんな人間達を貴族って言うんじゃないのか?」
すみれは黙り込む。
「金持ちや血筋の良いヤツはそういう者同士でつるむもんだ。結局貧乏な奴は浮かび上がれず貧乏なままなんだよ」
すみれはそこで反論を試みる。
「そうでしょうか?お金持ちの人同士ばかりで固まることはないと思います。それに、貧乏な境遇が続くわけでもないんじゃないですか」
貝崎の言う金持ちのレベルはわからないが、経済的に裕福な人々と、お金に余裕の無い人も同じ国にいるのだからそれなりに接点や交流はあるだろう。
それに経済的に余裕が無くてもそこから収入を上げていく方策はいくらでもあるだろうし、いくらなんでも貴賤の固定化みたいなものは無いと思いたかった。
尚も言い募ろうとするすみれに、貝崎は続ける。
「まあ聞きな。ここに金持ちとあまりお金に余裕のない一般人の家庭があるとする。
そいつらが普通に外食をする。
金持ちは費用が恐らくだが10万円くらいする高級なレストランに行くだろう。それ以上の所かも知れない。
一般人はせいぜい1万円の店に行くのがやっとだ。
そいつらが旅行に行くとする。
金持ちは移動距離が長い、外国に行くだろう。物価が高くても関係ない。
一般人は移動距離の短い、他県あたりだ。もしかしたら旅行にも行けず、近所の公園かも知れない。
もちろん海外は無いだろう。
そいつらの子供が学校に通う。
金持ちの子は有名大学の付属の幼稚舎から始まる。もしくは私立の毛並みのいい学校に行くだろうな。
もれなく塾も優秀な家庭教師もついてくる。
一般人の子は普通の学校だ。おそらく公立だろうな。
塾は行けないかもしれん。もちろん家庭教師は無しだ。
そいつらの子供が大学を経て就職をする。
金持ちの子供は、有名大学の幼稚舎から始まり、エスカレーター式にその大学を出る。
きっと途中には留学だってするだろう。そうすると外国語に堪能になるだろうな。
もちろん超一流の企業に入るだろう。
親は方々にツテがあるだろうしな。
親や親族の会社に入るかもしれん。
もしかすると親の後を継ぐために親の手伝いをするかもな。たとえば議員の秘書とか。
一般人の子供は、塾などに行かなくても頑張って大体はそこそこの大学を出るかもしれん。
もちろん留学はできんだろう。
一流の企業に入るのはかなり難しい。
金持ちの子が優先的に入っているからな。
親の後を継ぐといってもそれは零細企業や小さな店だ。継ごうとするのはあまり無いだろう」
そこまで言うと貝崎はどうだ?というようにすみれを見る。
すみれは大体の事は合っている、と思い頷いた。
それを確認して貝崎は続ける。
「そこでだ。
そいつらが結婚を考えるとする。
金持ちは、いい店で食事をし、外国に旅行に行く。私立の学校に通い、留学ををし、良い企業に入り、親の地縁を利用して後を継いで生きていく。
その範囲で知り合ったり、出会ったり紹介されるのは、もちろん同じような環境で育った異性だろう。
そしてその異性と結婚するんだろうな。
一般人もそうだ。
それなりの店で食事、近場で旅行、公立の学校、そこそこの企業。
その範囲で知り合い、出会うのは同じような経済環境の異性だ。金銭感覚も、価値観も似ているからくっつきやすい。
それで、今の話のどこに金持ちと一般人の接点がある?
結局同じレベルの層はくっつくんじゃないか?
金持ちは金持ちでつながり、貧乏人は貧乏人同士でくっつく。上に上がる機会は極めて少ないと言っていい」
貝崎はいったん話を止める。
そしてすみれの顔を窺うように見つめる。
「済まないな、話が長くなって。
だが俺の言っていることはわかるかい?」
すみれは黙って頷いた。
「人は安定を求めるものだ。だからそれが階級の固定化や継続化の、原因なんだろう。
そしてこれからもずっとこの状況は続くし、変わりようもないだろうよ」




