広場のこと
すみれは朝早くの配給に参加していた。
今日は梅のエリアである。
日中の暑さが40℃越えが続き、屋外での作業警報がかかっている。
数年前から政府が出している熱波アラートである。
予報では正午の気温が46℃となるため、配給は朝8時過ぎから始まる予定だ。
すみれは朝6時過ぎに家を出たが、それでも気温は35℃を越えており、すぐに汗だくになった。
朝の梅のエリアに着くと、いっそう寂れてみすぼらしい光景が眼前にあった。
バラックが並ぶ路地に据えた臭いが立ち込める。
すでにどこかへ出かけたのか、住人の姿は見かけない。
無人に近いバラック群の間をすみれは通り抜ける。
テレビで見たことのある、紛争が起きた遠い国の荒れ果てた街並みを思い起こさせる光景。
すみれは歩きながら先日の夜、この辺りを男に追いかけられ走って逃げた事を思い出した。
すごく怖かった記憶。
助かったからよかったものの、もし捕まったらその後何が起きたか、考えるのも厭わしかった。
それにしてもあの夜の広場の様子は何だろう。
女性達がいて、男性がウロウロしていた。
何となく、すみれの中で察しはついていたが、確証はなかった。
何が行われているのか、より何故そんな事になっているのかがわからない。
もしかするとわからない、というよりわかりたくないのかも知れなかった。
それと、あの時助けてくれた老人に、改めてお礼を言いたいと思う。
出来れば今日会うであろう貝崎に、その老人を探せないか相談してみたい。
けれど、それには夜あの広場に行って起こった事を明かさなければならない。
思えば貝崎は夜の梅のエリアについては触れられたく無い様子だった。
そんな彼に、広場で遭遇した事について話が出来るだろうか。
どう話せばいいのだろう。
そんな事を考えながらすみれは歩き続けた。
広場に着くと、配給の設営が始まっているので、すみれも加わる。
あのRPという団体の姿は今日は見られないので、すみれは少しホッとする。
作業をしていると貝崎がすみれに気づき、手を上げて挨拶してくる。
すみれもニコッと頭を下げて挨拶した。
いつもの通りにフードカーが来て貝崎達が配給の品物を下ろす。
そして並べた机に次々に食料品などが積まれていく。
その頃には日差しがかなり強くなり、すでに配給を求めて並び始めていた老人も日光の圧力に打ちひしがれたように立ち尽くしている。
どんどん気温が上がっていく中、あまり待たせるわけにはいかないので配給は速やかに実施された。
これといったトラブルも無く配給が終わると、すみれはふう、と息を吐き出す。
「お疲れさん」
いつの間にか貝崎がそばに立ち、水の入ったペットボトルをすみれに渡してきた。
「ありがとうございます」
受け取ると、表面に水滴がびっしりとついた冷たいペットボトルの感触が手のひらから伝わってきて、心地よい。
その心地良さもそこそこにキャップを開けてごくごくと中身を流し込むと、体中に清涼感が広がった。
「やっぱりこないだの兄さんは来ないんだな」
貝崎が辺りをキョロキョロしながら言った。
「ええ」
「こんな事を聞くのはおせっかいかもしれないが、大丈夫なのかい?
その、兄さんとの関係が悪くなってないかって事なんだが」
貝崎は幾分気遣わしげにすみれを見た。
「大丈夫です、このボランティアを続けるっていう事は彼とも話し合いましたから」
「そうかい」
すみれは微笑んで貝崎を見上げる。
「心配してもらってありがとうございます」
こないだのRPとのいざこざで起こったことに、貝崎は少し責任を感じているらしい。
確かにあの騒動の時、すみれが負傷したせいでコウはすみれがリゾートでのボランティアを続けるのに反対するようになったのだ。
それに対してあくまでもボランティアを続けたいというすみれとの行き違いが今の2人の間をぎこちなくさせている。
今のところコウは何か他の事に集中しているようで、一緒に過ごす時間が減ってしまった。
すみれとしては喧嘩したわけでも無く、単に意見の食い違いで2人の関係は変わらない、と思っているので、時間が経てば今の隔たりも解消されると思っている。
「いや、それならいいんだ。まあ、良かったらこれからもよろしくな」
貝崎は頬をコリコリと掻いた。
「はい」
とすみれは答えてから意を決して貝崎に呼びかける。
「あの、貝崎さん」
「なんだい」
呼びかけておいてすみれは逡巡した。
この間のことを話したら貝崎はどういう態度をとるのか。
少し怖くもあったが、すみれは話し始める。
「私、その・・・実はこないだの夜なんですけど、この広場に来てみたんです」
「なんだって?」
途端に貝崎が驚いた様子ですみれを見つめた。
「先日のRPの騒ぎがあった時、ここの人に言われたじゃないですか。『ここの夜の様子を見てみろ』って。私その事がどうしても気になってたんです。
だからこないだ夕方の竹のエリアの配給が終わってから、この広場に来てみたんです」
貝崎は深いため息をついた。
「嬢ちゃん、何てことするんだ、危ねえじゃないか。」
思わず嬢ちゃん、なんて言葉を使うほど貝崎は動揺していた。
「それで、よく大丈夫だったな」
「いえ、男の人に追いかけられました」
「おい、そりゃあ・・・・」
貝崎は今度は呆れたような顔をする。
「ええ、運良くここの人に助けられて大丈夫でした」
「まったく・・・・無謀な事をするな。本当にそりゃあ運がよかったんだぜ、もう2度としたらダメだ」
「はい、懲りました」
すみれが肩をすくめると、貝崎はやれやれというふうに首を振った。
「それで、その時は必死でなんであんな風に追いかけられたりしたのかわかりませんでしたけど、今はわかります」
「そうか」
貝崎は静かな眼差しですみれを見つめる。
そこには諦観のような感情が感じられた。
「この広場で夜、ここのエリアの女性が身体を売る交渉をしてるんですよね」




