癒し
「なつ、っていうのよ」
阿子さんが紹介した。
茶トラの猫がすみれの膝の上でくつろいでいる。
毛並みもつやつやして歯も白い。
まだ子猫を卒業して日にちも立っていなさそうだ。
ドアから入ってきたなつは、いきなりすみれの所に来ると身体をこすりつけて甘えてきた。
頭を撫でてあげると自ら頭を手に押し付けて、しきりに撫でてもらいたがる。
すみれの中で猫というものは見知らぬ人に対して決して近寄って来ないもの、というイメージがあったが、なつはそのイメージを一挙に覆すくらい人懐っこかった。
その衝撃的な人懐っこさにすみれは夢中になる。
「ね、とってもフレンドリーでしょ?びっくりするくらい」
阿子さんがいたずらっぽく笑った。
「は、はい!こんなに人懐っこい猫は、私初めてです!」
すみれは感動しながら猫を撫で続ける。
なつ、は気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロ喉を鳴らし始めた。
そしてついにはすみれの膝の上でお腹を曝け出して、撫でてくれ、とでも言うように寝っ転がった。
いわゆるヘソ天という姿勢。
すみれが、お腹なんか撫でたら引っかかれるのではないか!と躊躇していると、
「いいのよ、お腹も撫でてやって。すごく喜ぶから」
里平さんが笑って言った。
「は、はい!」
すみれが恐る恐る、なつのお腹を撫でてみるとなつは手足をピン、と伸ばしてリラックスしている。
その表情はとても気持ちよさそうだ。
「わ、私、猫のお腹初めて撫でました!」
すみれが興奮した面持ちで報告する。
「ふふ、良かった」
阿子さんが微笑んだ。
「人懐っこすぎてまるで犬みたいでしょ、初めて会った時からこんな感じだったのよ」
阿子さんがなつ、との馴れ初めを話し始めた。
「どこで出会ったんですか?」
「近くの公園を歩いていたら茂みの中からふらりと現れたのよ。首輪も付けてないし、人を怖がりもしないしで生まれて間もない野良猫なんじゃないかって思ったわ。そしてこんなだからすぐに仲良くなって家まで付いてくるし困ったけれど、私達三人でなら一緒に暮らせそうだと思って連れてきたの」
阿子さんが説明する。
「それにしてもこんなに人懐っこくて、この子は猫なのかな?って時々思うわ」
「そうですね」
「犬の生まれ変わりかもね」
里平さんが笑う。
「それで家に連れて帰って名前をつけたんだけど、夏に出会ったからと、あんまり人懐っこいので、なつ、にしたのよ」
「ピッタリの名前ですね」
「そうでしょ。なつ」
「みゃあん」
阿子さんが呼びかけるとすみれの膝の上から首をもたげてなつは返事をした。
その愛くるしさにすみれはまた夢中になってなつを撫で始める。
目を細めるなつ。
「そうだ、なつちゃんご飯の時間かな。用意しなくちゃ」
おもむろに阿竹さんが立ち上がると、部屋を出ていった。
「なつの世話をするようになってからあゆみちゃんが以前より元気になった感じがするわ」
里平さんが阿竹さんが立ち去った後をみつめて言う。
「うん、そうね。なつが家に来てくれて良かった」
「それは良かったですね」
「なつがいると毎日の生活に癒しや張りが出てくるみたい。私達も元気になったしね」
「そうね」
阿子さんが言うと里平さんが頷いた。
なつがあくびをした。
「さて、テレビでもつけますか」
阿子さんがそう言ってテレビをつけると、ニュースが流れている。
こないだある省庁に火炎瓶が多数投げつけられ、建物が損傷し多数の逮捕者が出たニュースだ。
逮捕者のほとんどが老人だという。
幸いな事に死傷者は出ていない模様だ。
リポーターが事件のあった省庁前から中継をしている。
「老人達はこの場所で抗議の表明を行い、火炎瓶を投擲したようです。ますます増加の一途をたどる氷河期世代生まれの老人による過激な抗議運動、今後の動きが憂慮されます」
それからカメラが方向を変えると、省庁前の道路に抗議を行う団体が映った。
「最近の老人の過激な行動に、反発する団体も現れました。この団体は老人達に対する抗議や老人の処遇について極めて排他的な見解を標榜しています」
画面にはRPの団体が映った。
すみれは動悸が早くなるのを感じる。
「氷河期世代老人のテロを許すな!」
「老人の横暴をやめさせろ!」
などというプラカードを持った人々が叫んでいる。
「いやだなあ、こんな事されたら私達もっと肩身が狭くなるわ。ほんと、やめてほしい」
阿子さんが迷惑そうな顔をして画面を見る。
「リゾートの周りでも見かけるようになったわよ」
「え、そうなの⁈」
里平さんが目撃した事を明かすと阿竹さんは驚きの声を上げた。
すみれも同意する。
「私、今日ここに来る前に近くの道路で見ました」
「そうなの、怖いわねえ」
「もうそんな近くまでまで来てるの⁈外に出れないじゃない」
2人とも顔をしかめる。
すみれは梅のエリアで遭遇した住人達とRPのいざこざは話さない方がいいな、と思う。
これからどんどん老人達に対する風当たりが厳しくなり、抗議の波がリゾートへ押し寄せるのだろうか。
いろんな嫌がらせや誹謗や中傷に直面する事になったら老人達はどうなるんだろう。
すみれは気持ちが暗くなるのを感じる。
「私達、配給もらってるし、リゾートに住まわせてもらってるけど、このままここにいてもいいのかしらねえ」
「そうよね、ここではいちおうみんなで助け合って暮らしてるけど、リゾートにいていいのかな、追い出されたりしないかなあ」
心配そうな顔をする里平さんと阿子さん。
その顔を見てるととても切なくなる。
「私達、どうしたらいいのかなあ」
阿子さんが呟いた。
「若い頃も今も世間のお荷物でさ、お前達はいらないみたいな扱いをずっとされてたような気がするの。
もうこのまま死ぬんだろうなって考えると、いたたまれなくなる。だから自殺しちゃう人や抗議する人の気持ちも多少わかるけど、過激だったり乱暴なのはダメよねえ」
すみれは2人を慰めたいと思ったが、何も気の利いた言葉を思いつかず、もどかしい。
と、指にザラザラした感触が押し当てられる。
見るとなつが指をしきりに舐めていた。
すみれは思わずにっこりしてなつの柔らかい身体を撫でてあげる。
ゴロゴロ喉を鳴らしてなつが鳴く。
「みゃあん」
なつは立ち上がると不安そうに顔を見合わせる里平さんと阿子さんにてくてくと近づく。
すみれの膝上にぬくもりが残る。
なつはまた「みゃん」と鳴くと2人に身体を寄せて甘え始めた。
「あらあら」
「よしよし、なつは可愛いね」
2人は途端にニッコリ笑うと、なつを構い始めた。
なつは嬉しそうに身体を擦り付けて甘える。
「動物は先の事なんか考えなくていいね。今を一生懸命生きてる」
阿子さんが言うと、
「そうね、先の事なんてわからないものね、不安になってたってしょうがないね」
里平さんが相槌を打つ。
その通りだなあ、とすみれも心の中で頷く。
そういえば人間以外の生き物は皆、今いるところで精一杯生きてて、他と比較なんかしない。
時にはそういうふうに生きてく事も大切なんだろうと思った。




