再訪
日がもう少しで沈む。
オレンジ色の光よりも薄紫の影が街の風景に広がって、少しだけ風が出てきた。
それでもあまり涼しくならない。
今日も熱帯夜なのかもしれない、と思ってすみれはうんざりする。
本日の竹のエリアの配給は18時過ぎから始まった。
夕方の配給は初めてなので少し勝手が違うものの、頑張ろう、とすみれは気を引き締める。
竹に行く途中の、広い公園の出入り口に差し掛かるとスピーカー越しの演説が聞こえてきた。
もしや、と思って公園前の道路脇を見ると数十名の人々が集まっていた。
人々の服や帽子にRP、という文字を見てすみれは胃がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。
「我々は、老人達の横暴を見過ごすわけには行かない!社会を不安定にさせる老人を許すな!」
「許すな!許すな!」
老人を貶めるスローガンを叫び気勢を上げる人々。
最近、老人達の政府に対する暴力的な抗議がますます悪化して、不穏な空気が世間を覆ってきているのをすみれも感じ取っている。
「彼らの世代がこの国を衰退させた元凶だ!何らかの形で責任を取らせろ!」
「元凶だ!元凶だ!」
「老人達の抗議はただの暴力だ!今すぐやめろ!暴力老人は排除しろ!」
「排除だ!排除だ!」
確かに過激な行動をとる老人達にはやめて欲しいと思うものの、何故お年寄りの世代がそんなに責められなければならないのか、すみれには全くわからない。
若い頃は時流の波に揉まれ、不遇なまま過ごしてきた世代。
普通に生きてきたはずなのに、年を取ってから公の場で責められるなんて思ってもみなかったに違いない。
寄るべもなく、困窮しながら日々を精一杯生きている老人もいるのだ。
排除しろ、なんてそれこそ乱暴ではないかと感じる。
リゾートで知り合った人たちの顔が思い出されて、すみれは唇を噛み締めると、足早にその場を立ち去るのだった。
時間は夕方であっても配給で行う作業は変わらなかった。
いつもどおりにテントを設営し、テーブルや、配給の食料を並べる。
配給が始まると、既に待っていた老人達が近寄って列を作る。
このエリアでもすみれは老人たちから声をかけられるようになってきていた。
いろいろな人がやってきて配給を受け取る。
黙って頭を下げて配給を受け取る人。
ありがとう、助かります、などと声をかけて貰っていく人。
そうかと思えばひったくるようにして取っていく人、無表情で何も言わない人もいる。
その人達の不幸そうな面持ちを見ると、今までに何があったんだろう、と思わずにはいられない。
ずっといろんな事に裏切られ続けたんだろうか。
幸せは一瞬で、不幸な時間の方が長かったんだろうか、思うような人生を過ごせなかったんだろうか。
そんな彼らのこれまでを考えると、いたたまれない気持ちが湧き上がる。
けれど、どの人にもすみれは笑顔を見せて手渡すように心がけた。
暑さは日が落ちても和らぐ気配を見せず、かえって夜の暗さが暑さを感じさせる気さえした。
配給を配り終えた頃に、すみれは声をかけられた。
「月山さん、久しぶり」
そこに阿子さんが立っていた。
「阿子さん、こんばんは。お久しぶりです」
「月山さん、最近見かけなかったからもう来ないのかと思っちゃったわ」
阿子さんはいたずらっぽく笑う。
「ご無沙汰しててすみませんでした。でも私、ここに来るの辞めませんよ」
すみれも笑い返した。
「もちろん冗談よ、会えて嬉しいわ。ねえ、今日うちに来ない?私達新しいルームメイトが出来たのよ」
何かうきうきした阿子さんの様子がすみれを乗り気にさせる。
「本当ですか?じゃあ、今日終わったらお邪魔させてもらいます!新しいルームメイトさん、紹介してください」
「嬉しいわ、私、待ってるね」
すみれは勢い良く頷くと配給の後片付けを行うのだった。
片付けを終えるとお部屋を訪問することを城戸さんに伝える。
この頃城戸さんとはいい関係が続いており、今日も彼女は穏やかな視線を向けてくれて、阿子さんのお部屋に訪問する旨を伝えると、
「もちろんいいですよ。お話し相手になってあげてください。いつもありがとう」
と感謝の言葉を投げかけてくれた。
そういう言葉を聞くたびに、すみれはリゾートに来ることは無駄じゃないと思える。
ここでは「ありがとう」という言葉に実感を持てるし、自分を必要と思ってもらえる人達がいるのだ。
「ありがとうございます。じゃあ行ってきます」
とすみれは応じて足取りも軽く阿子さんの元へ急ぐのだった。
日は完全に落ちて、街灯が照らす自分の影が濃くなっている。
阿子さんはやって来るすみれを見ると手を振った。
「遅くなりました」
とすみれが言うと、彼女はブンブン首を振った。
「大丈夫よ。また来てくれるなんて嬉しい」
「お邪魔させていただきます」
「ええ、歓迎いたします。新しいルームメイトもきっと喜ぶわ」
「どんな方なんですか?」
すみれが問うと阿子さんはニコニコする。
「とっ~てもフレンドリーだから月山さんもきっと仲良くなると思うわよ」
「そうですか、楽しみです」
「ふふふ」
二人で会話をしているうちに部屋のあるマンションにたどり着く。
3階に上がって見覚えのあるドアの前まで来ると、阿子さんは鍵も差し込まずにドアノブを回す。
きっともう誰かが帰っているのだろう、ドアが開いた。
「ただいま~」
と阿子さんは声をかけていそいそと靴を脱ぎ部屋に上がると、後ろにいるすみれに手招きをする。
「さあ、どうぞ」
「お邪魔します」
すみれも頷いて阿子さんの後に続いた。
パタパタと音を立てて廊下を真っ直ぐに進む。
正面のドアからオレンジ色の明かりが漏れていた。
「ただいま~」
阿子さんがもう一度声をかけて室内に入ると、部屋の明かりが廊下に差し込んでくる。
中には阿竹さんと里平さんが座って寛いでいて、こちらを見上げていた。
「ふふ、お客さん連れてきたよ」
「あらまあ、月山さん。こんばんは」
里平さんが驚いた様子ですみれに挨拶したが、すぐに嬉しそうに笑った。
「こんばんは。またお邪魔致します」
「また来てくれて嬉しいわ。さあ座って」
里平さんが場所を示してくれたので、
「はい、ありがとうございます」
と答えてすみれは座る。
「あゆみちゃん、月山さんよ。こないだ来てくれたでしょ。覚えてない?」
阿子さんが阿竹さんに聞くと、
「ええと・・・」
阿竹さんは少し困ったような素振りを見せる。それに阿子さんがフォローした。
「あゆみちゃんあの時洗濯とか家事をしてくれてたから覚えてないかな」
「あ、いいんですよ、こんばんは。お邪魔します」
すみれは阿竹さんに微笑みかけた。
「こんばんは、ごめんなさいね。なんか思い出せなくて」
すみれは両手を前に出して振った。
「こないだが少しだけお邪魔してましたから。気にしないでください」
「いやねえ、思い出せないなんてね。どうぞ寛いでくださいね」
阿竹さんは眉を寄せながら笑った。
「今日は私たちの新しいルームメイトを月山さんに紹介しようと思ってお誘いしたのよ」
「ああ、そうだったの」
里平さんが納得したように頷いて、意味ありげに目をくるくるさせる。
そのリアクションに何だろう、とすみれは思ったが尋ねてみる。
「ええ、阿子さんからとてもフレンドリーな方だって聞いてます。今はいらっしゃらないんですか?」
それを聞いて3人が一斉に吹き出した。
阿竹さんがクスクス笑いながら答えた。
「いらっしゃるわよ。すぐここに来ると思うわ」
「そうなんですか」
すみれが3人の様子に不思議に思っていると、入ってきた廊下のドアが音もなく開いた。
あ、誰かが入ってきたんだと思って人が立っているだろう空間を見上げたが姿はない。
その代わり、
「みゃあ」
と鳴き声がした。