理由
すみれは俯いた。
「前から思っていたんだ、どうしてお年寄りのボランティアを始めたんだろうってね。
他にもいろいろボランティアはあるのに、何故お年寄り相手のボランティアを選んだの?」
「・・・・・」
なおも俯いたままのすみれに、コウは困った顔をする。
「そんなに言いたくない事情があるのかい?
でも僕だって一緒にボランティアをしてきたんだし、教えて欲しいな」
すみれはしばらく黙り込んでいたが、コウが根気強く待っていると、そのうち意を決したかのように顔を上げた。
「私には、とってもお世話になったおじいさんがいたの。」
すみれはポツリと語り出す。
「私の祖父の弟だから、大叔父って言うのかな。とても可愛がってくれたの。祖父の家に行くと大体大叔父さんがいて、一緒によく遊んだわ。
私の家にも度々来てくれて、その時は本当に嬉しかった。
大叔父さんは独身だったし、私の事を本当の孫か、子供のように思ってくれてたのかもね。
でも、祖父とは仲が悪かった。
よく口喧嘩をしていた記憶があるの。
小さかった私の目の前でも言い争っていて、私はよくケンカはやめてって2人にお願いしてたわ。
内心は、遊んでくれてる大叔父さんの方に味方してたけど、子供ながらにそれは不味いって思ってたのね、どちらにも良い顔をするようにしてた。二人に喧嘩して欲しく無くて、泣いたりもした」
すみれはいったん口を切ってその頃を思い浮かべるかのように目を細めた。
「大叔父さんは、他の親戚からも良く思われてなかったの。
子供だった私もその事は感じ取って不思議に思ってたわ、なんでみんな大叔父さんに意地悪するんだろうって。
だから私は大叔父さんに味方しなきゃ、って殊更懐くようにしてたの」
「そんなに親戚から嫌われてたの?」
コウが尋ねると、すみれは頷いた。
「ええ、親戚同士が祖父の家に集まって、ご飯を食べるような事が時々あったんけど、大叔父さんのご飯だけみんなと違うものだったり、用意されて無かった時もあったわ。
親戚同士で何か内緒話みたいのをしてたら、そこには必ず大叔父さんの名前があった。
何を話してたかはわからないけど、雰囲気で大叔父さんについて良くない話をしてた、っていうのは子供でもわかるの。
あと、親戚で集まると、みんなで団らんとかするでしょ?でも大叔父さんはいつもその団らんに混ぜてもらえてなかった。だから私とよく遊んでたのかもね」
「おかしいね、なんでそんなみんなから意地悪されてたんだろう」
「私がそれを知ったのは、中学生になってからよ。」
すみれは固い表情を顔に浮かべた。
「何故だったの?」
「大叔父さんは、定職についてなかったの。職を転々としていた。だから結婚も出来ず一人で暮らしていたし、経済的にも独り立ち出来なくて時々祖父の家でごはんを食べさせてもらっていたみたい。祖父の家に行ったらよく会っていたのもそのせい。
もしかしたら祖父からお金も借りてたのかも」
「それは・・・・周りから疎まれるかもね」
コウは戸惑うような表情を浮かべる。
「私も中学生になる頃にはそういう事情がわかってきたから、そんな大叔父に情けない大人を感じてしまって、次第に避けるようになってたの」
「しょうがないよ、それは」
コウがそう言うとすみれは首を振った。
「ある時、祖父と大叔父でものすごいケンカがあってね、取っ組み合いになった。何故かはもう忘れたけど、たまたま私もその場に居合わせたの。
祖父は、こんな感じの事を言ってた。
『お前はいったい、どこまで周囲に迷惑をかけたら満足なんだ?俺らがどれだけ辛抱したかわからないのか?
定職につけずに生活はいつまでも不安定なままで、結局結婚もせずにこんな年だろ?
そもそも大学にも行かずに何やってた?
だからまともな仕事にもつけず結婚だって出来なかったんだ!』
それはもう何回も繰り返されたやりとりだったんだと思う。
でもその時は私がいた。
大叔父さんは、貶されて情けない自分を私に見られたくなかったのかもしれない。
だからもしかしたらその時初めて祖父に明かしたのかもね、本当のことを」
「本当のことって?」
「大叔父さんはこう言ったの。
『俺が定職に就けなかったのは高卒だったからだ!あの頃どうやったら高卒がまともな職につけたんだよ!しょうがないだろ!』って。
そうしたらすかさず祖父は詰ったわ。
『しょうがなくないだろ、お前も俺みたいに大学行ってればもう少しまともな暮らしができたはずだ!
こんな境遇になったのは自分の努力が足りないからだろ!』」
「確かにそうなのかも」
コウは相づちを打つ。
「そしたら大叔父さんは私の方をちょっと見てから言ったの。
『あんたは知らないだろうが、俺は高校を卒業するって時、親父から土下座されたんだぞ!
経済的に余裕が無くて、あんたを大学に行かせるのが精一杯で、俺まで大学には行かせられない、本当に済まないってな!』」
「祖父はとても驚いてたわ。そして狼狽えてた。どうやら初めて聞いたんだと思う。
そして大叔父さんは続けて話したわ。
『俺だって大学に行きたかった!もし大卒だったらあの就職難の時、正社員の職につけたかもしれない。けど俺は大学に行けなかった!だって親父に頼まれたらどうしようもないだろ!
結局高卒だから今までろくな仕事にもつけず、とうとうこんな有様で年をとったんだ!』
「祖父の顔、血の気が引いてたわ。あんな祖父を見るのは初めてだった。何も言えずに黙り込んでた。その時よ。大叔父が私の方を見たの。
自分の気持ちをわかって欲しい、知って欲しいって言う救いを求めるような目だった。
でも私は」
そこまで言ってすみれはそこから先を言い出せず唇を噛んだ。
「その時どうしたの?」
コウが尋ねたが、すみれは中々続きを口に出せず顔を歪める。
その表情が崩れそうになっていくのをコウは眺めることしかできない。
そのうち、すみれの目から涙が溢れ出した。
唇を震わせてすみれはようやく言葉を絞り出した。
「私は、思わずこう言ってしまったの『もうやめて。こうなったのは結局大叔父さんのせいでしょ?自分の責任でしょ?どうして自分の人生に言い訳するの?』って」
すみれの頬を涙が伝う。
「私、知らなかったの。祖父たちの若い頃がどんな時代だったか。
就職難で、大卒でも中々職が見つからなかった事とか、正社員になれなかったたくさんの人が非正規の雇用で働いてた事、そして結局、運が悪い人は非正規のままで働くしかなかった事とか」
すみれは鼻を啜った。
「その頃私は中3になっていて、高校受験の事とかで頭がいっぱいだったせいもあったかもしれない。
今の世の中は大学無償化の条件だって広くなったから、大学に行けないなんて信じられなかったし、人手不足だから高卒だってすぐに正社員に採用されて働ける。
だから大叔父の言った事が全然信じられなくて、これは情けない大人の、ただの言い訳なんだって思ってしまった」
「けれど、言ってしまってから取り返しのつかないことをしてしまった、って思ったの。
だってその瞬間、大叔父さんがものすごい悲しそうな目をして私を見たから。
今でも忘れられない。
大叔父さん、本当に傷ついた顔をしてた。
それを見て私は謝ろうと思った。
でも咄嗟に言葉が出てこなかった・・・・・」
「それからどうなったの?」
コウが心配そうに尋ねる。
「大叔父は黙ってその場を立ち去ったわ。それから音信不通になったの。誰も連絡先も分からず、生きてるか死んでるかもわからない」
「祖父は手を尽くして大叔父を探したわ。でも見つからなかった。私はその時のことがずっと忘れられなくて、後悔ばかりしてた」
「私が高校に入ってしばらくして、祖父が亡くなったの。祖父もずっと後悔してたみたい。最後に私と話した時、言ってた。
自分が若かった頃は、学歴や年齢の固定観念が強くてみんな苦労したし翻弄されていたんだって。
だから弟にも辛く当たってしまった。
恐らくもうそんな事は無いだろうけど、万が一弟と会う事があったら謝っておいてくれって。
そして、あの時代のせいで不幸になっている老人達と関わる事があったら、その人達の境遇を理解して、優しくしてやってくれたら有難いって」
「だから私は、このボランティアやってるの。大叔父と同年代の、報われなかった人に優しくしてあげたいから。これは私にとっても罪滅ぼしなの」




