追突
「この暮らしを良くするにはどうしたらいいか」
男が車の運転席から語りかけてきた。
ダッシュボードにカメラかスマホを固定しているのだろう、
男の身体と、ヘッドレストやリアウインドウ、ハンドルの一部、助手席といった車内の様子が見える。
簡素な車内だった。
老人だ。
痩せ細って肌にツヤもなく、青白い顔には無精ひげが生えていた。
首のシワ、やせ細った喉仏。
しかし弱々しい外見とは裏腹に、細い目から炯炯とした光が放たれている。
男は洗いざらしの半袖のシャツを着ていた。
「この半世紀というもの、この国の暮らしは良くならなかった。庶民の生活は苦しくなるばかりだ。物価は上がり続け、給料は上がっても税金がそれ以上に上がり、暮らし向きはいっこうに変わらない。富裕層と一般層の格差は開き、もはや正社員になったとしても人並みの暮らしも保証されていない」
男は無表情で、細い目は何を考えているのかわからない。
唇だけが無駄なく動き言葉を紡いでいく。
「もはや言い尽くされているが、この状況を作ったのは、政府だろう。
ずっと対策もせず、的外れな政策ばかり。
過去から学びもせず税を毟り取った挙げ句がこの状況だ。
議員達は何を考えているのか?
議員達は選挙前は都合のいいことを言うが、選挙後は言ったことの全てを忘れ、利権に浸かるだけだ。
国民のことは何も考えない。
ただ考えるのは自分を支持している集団の利益を確保することのみ。
何故なら、
選挙に出る、ということはつまりその候補を支援する集団が必ずいるからだ。
農水、交通、建設、教育系、何でもいい。
とにかく何らかの集団が、その候補を支持している。
そしてその集団を核として、支持を広げているのだ。
集団は集団で、その権益を確保するために議員という代表者を送り込むに過ぎない。
そのため議員になる、ということは支援してくれた集団の利益を確保する、という事に他ならない」
そこで男は口をつぐみ押し黙る。
自分の言葉の意味を吟味しているようだった。
しばらくして男は語り始める。
「そのため支援を受けた議員は、その支持母体の権益に反することはしない。例えそれが国民に益することであっても。
その議員が誠実であればあるほど支持された集団に報いようとするだろう。
そういう代表者が国を良くする訳がない。代表者は自分を応援する集団に対して応えることが重要で、そうすることで次の選挙も安泰と言って良いのだから」
「そうやって出た議員によってこの国はいつまで経っても変わらずやってきた。
いくら景気が悪い状態が続いても、いくら政策が間違っていても、失策は問われずいつも同じ議員ばかり選ばれる。
なぜなら力のある、支援団体の強い、つまり地盤がしっかりしている議員は落選しないからだ。
国をダメにしていても支援団体の利益を確保しているからだ。
そして、長年議員をやっていればいるほど経験や信頼が雪のように積もり庶民はその議員を支持する。
しかし、所詮は雪のように状況が変わればその信頼も経験も溶けてなくなるものなのだ。
庶民はそれでも支持を続けるだろう。
愚直に、半ば慣習的に。
もうすでに、利権のしがらみのない代表者はいない。それは変わらないのだ。」
男はまた唇を結ぶ。
そして幾分強い口調で言葉を続けた。
「ならばどうやって変える?ずっと選挙を続けるのか?」
男はいったん間を置いて、それから重々しく口を開く。
「選挙は続ければいい。制度が変わらない限り、私は無駄だと考えるが。では何をすれば良いか?」
「選ばれた代表者達に直接、不満をぶつける事だ」
「そうする事で、彼らは支援集団と自分だけの繋がりから初めて他の人々の不満を意識するようになる。しかしただ不満を訴えるだけでは無意味だ。
彼らはもはや身の危険を感じさせるような不満の表現でもないと、庶民がどれほど不満に思っているかが認識出来ないレベルまで鈍感になっているからだ」
「私は今日、直接的な脅威をもって彼らの認識を変えよう」
そう言うと男はしばらく黙った。
長い沈黙が続く。
男は身じろぎもせずフロントガラスの外をじっと見つめている。
やがて男は口を開いた。
「時間がきた。私は私の良いと思うやり方で、この国の流れを変えて見せよう」
男はシフトレバーを操作すると車を始動させる。
アクセルを強く踏み込んだのか、急なエンジン音が上がる。
タイヤが路面に強く擦り付けられる音。
男は前方を見据えてハンドルを握る。
あまり手を動かさずまっすぐ車を走らせているようだ。
エンジン音がますます上がり、かなりの速度が上がっている。
次の瞬間、衝撃音がして男の身体が前方へありえないほど曲がり、すぐに反動によってシートに叩きつけられる。
しかし男はアクセルを踏み続けているようだ。
男越しに窓の外の風景が流れている。
その姿には執念のようなものが感じられた。
また激しい衝撃音が続き、男の身体が浮き上がり、画像が途絶えた。
首相の乗った車が官邸から出てきたところで追突され、追突した車が勢い余って歩道に乗り上げ、複数人の死傷者が出たとニュース速報が流れたのはすぐの事だった。
犯人は70代の男性。
重傷だが生きているとのこと。
回復を待って取り調べが行われるとの事だった。
尚、追突された首相は軽傷とのこと。
しかしその場にいた一般女性1人が死亡、男性2人が重傷との事だった。
翌日首にギブスを巻いた首相が取材に応じ犯人を非難した。
暴力行為はどんな理由があっても許されないこと、ましてや一般市民を巻き込んだ今回の事件はどんな理由も通用しないこと。
暴力による行為を激しく非難し、否定する。
という内容を厳しい表情で語った。
一般人の犠牲者が出たことは、これまで発生していた老齢者の自殺による抗議や訴えについて不安や恐怖、気味悪さを感じていたものの、いくらか同情的な部分もあった世論を一気に変えた。
マスコミは真っ先に老齢者による政府や行政への抗議の自殺に対してその過激さや影響、社会不安を煽る行為を糾弾し始める。
政府関係者、専門家と言われる人々の談話、街頭インタビューを駆使して高齢者達を世情を不安定にする者として見做していく。
結果、世論は氷河期世代の高齢者を厄介者扱いする流れを形成するのだった。




