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談話


「ねえ、今何時かしら」

唐突に阿竹さんが聞く。

「今ねえ。三時回ったところよ」

阿子さんが答える。

「そう。私洗濯しなきゃ。みんなのぶんも一緒に洗っておくわね」

阿竹さんは立ち上がった。

「ありがとうね、あゆみちゃん」

里平さんがお礼を言う。

「ゆっくりしていってくださいね」

阿竹さんはニコニコして居間を出て行った。


「急に洗濯なんて、ごめんねえ」

阿子さんが謝る。

「いいえ、とんでもない。こちらが急にお邪魔しましたし」

すみれは手を振る。

それを見た里平さんは阿子さんへ問いかけるような視線を送った。

阿子さんがその視線を受けて頷く。

すると里平さんが改まった口調で口を開いた。

「月山さん。あの、阿竹さんのことなんですけど、実は軽い認知症の気があるの。でも私達でサポートしようって決めたんです」

「そうなの、一緒に暮らしているんだものね」

阿子さんも頷く。

すみれは阿竹さんが名前を思い出せず、会話が少しギクシャクしていた様子を思い出す。

けれど、言われてみてそうだったのかと思う程度で、日常生活には支障がないのだろう。

「あの、治療とかはされてるんですか」

コウが聞いた。

里平さんが首を振る。

「いいえ。三人ともこうやって暮らすのが精一杯ですし、病院は行ってません。でも、一緒にお散歩したり、会話を工夫したり、いろいろ出来ると思ってるの」

「できるだけ家事をしてもらってるしね」

阿子さんが相槌をうつ。

「あなたが無精で家事を任せてるだけじゃない」

「へへ」

里平さんがたしなめると阿子さんはいたずらっぽく笑い、すみれとコウもつられて笑った。


会話が途切れて、テレビの会話が聞こえてくる。

ワイドショーが首相の談話を流していた。

画面の中では初老の男性が映っている。

すみれも時々見ることがある現政権の首相の姿だ。

どうやら最近発生している老人たちの抗議自殺についてコメントを求められ、それについて答えている様子が物議を醸し出しているようだった。


マイクが差し出されている。

「総理、最近の年配者の自殺の増加についてどう思われますか?中には国に対して抗議の意思を示す人もいるようですが、それについてはどう思われますか?」

聞かれた初老の男性は頷くと、

「高齢の方の自殺が増えている、確かに割合として増えているのかもしれません。それは私も問題として捉えております」

「国に対して抗議しているようですが」

「それは一部のご高齢者だと思いますね」

「一部とはいえ、自殺までして抗議している、このことについては」

「承知はしております。いわゆる氷河期世代といわれる方がご高齢となり、色々な困難がおありだった、という事なのでしょう」

「報われていないという不満があるようですが」

「それぞれの事情がおありなのでしょう。しかし、この世代は辛酸を舐めた方が沢山おられるとお察しますが、多くの皆さんは立派に暮らしてらっしゃる。自分だけが不幸というわけではないはずです。自分の人生のみを悲観し、国への不満をぶつけ、自ら命を絶つのはいかがなものかと思われます」

「政府として何か救済のようなものは」

「すでに様々なセイフティネットを施策として行っております。お困りであれば各行政の窓口に相談していただきたいと思います」

「その窓口に対しても不満もあるようですが」

言い募る記者達に、少しずつ苛立ってきたのか総理は唇の端を引き締める。

「行政では最大限の対応を行っていると考えています。やはり自分の人生ですから、自分の責任で舵取りを進めるのが大前提ではないでしょうか。そこで失敗したからといってその原因の大部分を国や行政に対して責任を押し付けるような形をとるというのは、そこはちょっと違うのではないかと思いますね。それはよくお考えいただきたい」

総理はカメラを見て続ける。

「私も氷河期世代の人間です。皆さんと一緒であの時代を乗り越えるのに相当苦労もしてきた。でも私なりに努力をしたから今があるのだと思います。

天は自ら助くるものを助く、という言葉は真実だと思いますよ。ほんの少しの努力、それで如何様にも変わることができるんです。やはり努力、というところは重要な事だと思いますね」



そこで画面が切り替わった。

ワイドショーの司会者がこの発言が炎上していると伝えて、コメンティター達がそれぞれの所見を述べている。

中には自暴自棄になった年配者がさらに増加し、世間に混乱をもたらすのではないか、と心配する意見もあって、CMに移った。



「言いたいことはわかるけれどねえ」

テレビを見ていた里平さんが溜息とともに言った。

「そうねえ、あんまりじゃないって言いたくなるわよ」

阿子さんが相槌を打つ。

「努力や自己責任で何とかなるような状況じゃなかったもの、あの時は。

みんなが大変だったんだから自分だけ大変だったみたいな顔をするのはやめろ、なんていう言い方をするのはどうかしら。その人の大変さはその人にしかわからないと思うのだけれど」

里平さんは少し顔を顰める。

「そうよ、そうよ。大変だったんだから、私達。

そこはよく頑張りましたって言って欲しいわよね」

阿子さんは憤懣やる方ない、という顔をする。

「そんなに大変だったんですか」

すみれは恐る恐る聞いてみる。

「そうねえ。とにかく就職ができなくて。それこそもうなんでもいいから仕事について生きていかなきゃっていう流れだったわ。大卒でも就職厳しくて、使い物にならなかったらすぐクビだし、高卒はもっと厳しくてろくな給料もらえなかった」

里平さんが答えた。

「けど今は人手不足だし会社の方が新卒さん、どうか来てくださいって感じでしょ?」

阿子さんが羨ましそうに聞く。

「たぶんそうですね」

コウが笑った。

阿子さんが続ける。

「あの時は運良く正社員で就職できたら石にかじりついてでも頑張って、会社にしがみつかなきゃっていう感じよ。パワハラ、セクハラなんてよくある話だったけど、みんな耐えてたと思うわ。

だって、もし辞めたらもう就職できないって思ったし、新卒じゃなきゃ会社もぜんぜん雇ってくれなかったし、正社員じゃなきゃ人にあらずって雰囲気だったしねえ」

「え、そうなんですか?」

コウが聞き返す。 

すみれも驚く。新卒でないと就職出来ないとか、正社員じゃなきゃ人にあらず、なんて考え方がよく理解出来なかった。

阿子さんが頷いた。

「そうよ。新卒じゃなかったらもう正社員にはほぼなれなかったんじゃない?

それに正社員ていう身分じゃないと社会に認めてもらえなかった。

正社員の仕事イコール社会での経験で、それ以外は経験ってみなされない感じっていうのかな。

不思議よね。今はそんなこと考える若い人、全然いないのに。

私達以上の世代が今でもこだわってるみたい。

ねえ、今なんて就職しても気に入らなきゃすぐ辞めれるんでしょ?辞めても次、正社員の仕事を見つけやすいもの」

「ええまあ」

「すごいよねえ、あの頃そんなこと出来なかったもの。時代って変われば変わるもんだと思うわ」

阿子さんが口を尖らせた。

「結局、私達の世代から景気が悪くなって、ずっと低迷して、今も鳴かず飛ばずじゃない?延命治療受けてるお年寄りのような状態でずっとやってきてる。

なんとなく、それが私達のせいで、お前達はお荷物な世代だって言われてるような気もするわ」


「そんな事ないと思いますけど」

すみれがそう気遣うと、阿子さんが自嘲気味に微笑んだ。

「ありがとうね、そう言ってくれて。けど、結果として私達の世代から景気が悪くなったのは事実だから」


ドアががちゃ、と開いて阿竹さんが入ってきた。

「洗濯と、トイレ掃除しといたわ」

「あ、ありがとうね、あゆみちゃん」

里平さんが礼を言う。

「いいのよ」

阿竹さんがにっこりとする。

「何を話していたの?」

「今まで私達は頑張ったわって話」

阿子さんが胸を張って答える。

阿竹さんはいぶかしげに首をひねると、

「ねえ、今何時かしら?」

と聞いた。




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