誘い
すみれは竹のエリアに向かうため、コウと一緒に最寄りの駅からリゾートに向かって歩いていた。
雨が降っている。
傘を差さないとたちまち服が濡れてしまうような強さで降っているが、気温は高いせいで蒸し暑く感じる。
すみれの肩までかかる髪も、湿気のせいでまとまりがなくなってしまうがどうしようもない。
「あいにくの雨だねえ」
コウが手のひらで大粒の雨を受けながらボヤいた。
「雨だから少しでも涼しくなるかな、と思ったら全然涼しくないね」
すみれは恨めしげに空を見上げる。
灰色の空は不安定な雰囲気で、今にも雷が落ちそうだ。
雨は止む様子もなく、行き交う人は早足で道を急いでいる。
その中に、お年寄りも歩いている。
雨なので皆傘をさしているが、すみれの目を引いたのは最近出たアンブレラドローンを使っている人々だった。
アンブレラドローンとは、持ち主の頭上に浮かび傘をさすドローンで、雨天時手ぶらで歩けるため人気になっているが、かなり高価だ。
ドローンにはセンサーやジャイロが搭載され、風向きや雨の当たる範囲を察知して位置や傾きを変える事が出来る。
通り過ぎる人や傘まで感知し、接触しないよう高さを変えたりもするらしい。
たった今すみれと通り過ぎたお年寄りも使っており、すみれは物珍しくてドローンを目で追う。
高級な服を身に纏い、裕福そうな感じの老人だった。
いったい何の仕事に就けば老後をあれほど裕福に過ごせるのだろうとすみれは羨ましく思う。
見渡せば頭上にドローンが浮かんでいる人はみんな垢抜けた格好の、お金のかかった持ち物を身につけているいかにも余裕のありそうな物腰だ。
本当に、どんな立場の人たちなんだろう、そうすみれは疑問に思う。
コウが話しかけてきた。
「アンブレラドローン、便利そうだね。ちゃんと浮かんで、しっかり雨を遮ってるみたいでびっくり」
「あれ一台買うのどれくらいするんだろう」
すみれが首をひねると、
「うーん、確か今だと軽自動車が一台買えるくらいだったかな?とにかく傘にかける値段じゃないよね」
コウが答えた。
「そうなんだ・・・・」
すみれはリゾートの老人達のことを考えずにはいられなかった。
そこには毎日余裕は無く、配給を当てにして生きている老人達がいる。
空調が無い部屋の中で、熱中症になって命を落とした老人もいる。
他人の配給を奪おうとする老人がいるし、餓死してしまう老人もいるのだ。
なのにすみれが今目にしているのはとても良い身なりで頭上にドローンを浮かべて街を歩く老人だ。
格差があるのはしょうがない、とすみれも思っている。
けれどそれ以上に、その日を生きるのもやっとという人々があんなにも多いのは間違っている、と感じずにはいられなかった。
二人で竹の配給場所に着くと、すみれは城戸さんがテーブルの設置を行っているのを見つけ、配給に参加するために挨拶をしに行った。
ただ彼女が生真面目にきびきびと動いている姿が目に入ると、挨拶をしてもそっけない態度をされるかもしれないと考えて弱気になったが、とにかく声をかけてみる。
「あの、城戸さん、こんにちは。今日もよろしくお願い致します」
すると城戸さんはすぐにすみれに気づいて挨拶を返してきた。
「月山さん、こんにちは。よろしくお願いします」
思いのほか城戸さんの口調が柔らかい。
しかも彼女の口の端が微笑みの形になっているのを見てすみれは驚いた。
その様子に勇気が湧いてきて、すみれは前回の配給で遭遇した出来事について触れてみようと思った。
「あの、先日自分が配給に参加させてもらった時は大変なことになってしまって・・・・」
すぐに口に出したのはいいものの、その趣旨がわかりにくい事に気づきすみれは慌てた。
しかし城戸はすぐにすみれが言おうとしているのは熱中症の老人が部屋で発見され、救急搬送された件だと気づいたようだった。
「そうでしたね。あの日はあんなことになってしまいました。月山さんも初めての参加なのに大変でしたね」
すみれは城戸が趣旨を汲み取ってくれたことにホッとして思わず頭を下げた。
「いいえ、私、びっくりするだけで何もお役に立てず、申し訳ありませんでした」
城戸さんは首を振る。
「ああいう状況なのでどうしようもありません、月山さん、気にする必要はないですからね」
その時になってすみれはあの事件で受けた衝撃を、誰かに受け止めて欲しかったのだと気づく。
そしてそれを城戸さんにぶつけるような形になってしまい、恥ずかしく思ってまたもや意味不明な謝罪をした。
「あ、すみません・・・・」
城戸さんはそれを知ってか知らずか頷き、話題を変えた。
「それにしても、今日は雨ひどいですね」
「あ、はい、雨なのに、涼しくなりませんね」
すみれも救われたように返事をする。
「こんな日に来てもらってありがとうございます。今日もよろしくお願いしますね」
城戸さんはそう言って頭を下げた。
「あっ、はい!頑張ります!」
すみれは慌ててお辞儀をした。
フードカーがやってきて、配給を下ろし終わり、雨の中配給が始まった。
テントの中にも雨が入ってくるので、すみれは持参したポンチョを着込んで配給を渡す。
一緒に来たコウも、カッパを着て配給を渡している。
竹の老人達の表情は冴えない。
それでも配給を手渡した時は「ありがとう」などの感謝の言葉を聞くこともあって、すみれはその度に少しだけホッとする。
すみれは出来るだけ声をかけて手渡すようにした。
配給が終わると、すみれはコウとテントで休んだ。
「すこし雰囲気違うよね、松のエリアとここ」
コウがひそひそ声でささやく。
「確かにそれは感じるんだけど、でも、私慣れてきたみたい」
すみれが頷いてそう答えると、コウは感心したような顔をする。
「そうなんだ、僕はまだ少し緊張するかも・・・。そういえば前にここへ来たとき、部屋で熱中症に罹って亡くなってしまった人がいたよね」
コウはその時のことを思い出したのか、顔を曇らせた。
「うん、部屋の中が暑すぎて死んでしまうなんて本当に悲しいよね。さっきね、城戸さんにその時の事少し話してみたら、気にする事ないって言ってくれた」
コウが驚いた表情を浮かべる。
「そうなの、あの人ちょっと近寄りがたい感じだったけど」
「自分もそう感じてたけど、いい人みたい」
「そっか。良かったね」
「うん」
そんなことを話していると、すみれは見覚えのある老人女性が歩いているのを見つける。
ちょうど二人が話していた熱中症にかかって亡くなった老人の、友達の女性だ。
確か、里平という名前だったはずだ。
前回、その里平さんに依頼されて、その友達が住んでいる部屋まで配給を届ける手伝いをしたのだ。
しかし里平さんの友達は、部屋の中で熱中症になって亡くなったのだった。
あれから時間も経ってしまったがお悔やみの気持ちを伝えられればと思い、すみれはポンチョを羽織ると立ち上がった。
それを見てコウが呼び止める。
「どこか行くのかい?」
「うん、さっきの話の、熱中症で亡くなった人の友達を見つけたんだ。今更だけどお悔やみを言いたくて」
「そうなんだ。行っといで」
外に出ると、たちまち雨がポンチョを叩く。
すみれは傘を差して歩いている小柄な里平さんに近づいた。
「こんにちは」
声をかけると、里平さんはびっくりした様子で振り返った。
すみれの顔を見てしばらく戸惑っていたが、やっと思い出したらしく、
「ああ、先日の方。この間はどうもありがとうございました」
と丁寧にお辞儀をした。
すみれもお辞儀を返す。
この前のことをどう言ったものかわからなかったが、とにかく言葉を繋げる。
「あの、この間はお友達の方が大変なことになってしまって。私、お悔やみを言いたかったんです」
それを聞いて里平さんは目を見開くと、またお辞儀をした。
「そうだったんですか。ありがとうございます」
「改めてお悔やみを申し上げます。私もあの、残念です」
そう伝えた後、どう話を続けていいものかすみれが迷っていると、里平さんが
「あの、もし良かったらこれから私の部屋に来ませんか」
と声をかけてきた。
思いがけない誘いにすみれは戸惑う。
「あ、急に誘っちゃってごめんなさいね。でも、お話できたらなんて思ったものですから」
すみれは里平さんの穏やかな様子に行ってみたいと思い、
「友達が一緒にいるんですけど」
と答えると里平さんはにっこり微笑んだ。
「もちろん、そのお友達も良かったら一緒にどうぞ」
と言ってきたので、すみれは頷いた。
「ご迷惑でなかったらお邪魔します」