開店2
「さて、そろそろ食べたいパンは決まった?今日はどんどん買ってってね」
「もちろんです!」
すみれは勢いよく頷く。
店内は大勢の来客で混雑している。
お年寄りが多いのはリゾート内の人々だからであろう。
恐らく竹や梅からも来ているのだと思われた。
たまに若い男女や夫婦もいるので、近隣の住人も訪れているようだった。
店内の中心には大きな台が置かれ、その上にカゴに入ったパンが陳列されている。壁際にもテーブルが配置され、パンが並べられていた。
本当にいろんな種類のパンがある。壁際にはチョコやクリームといったデザート系のパンが並べられているようだった。
中央の台には惣菜パンやオーソドックスなバターロールがあった。
惣菜と、デザートもどちらも味わいたい、とすみれは迷った挙句、
シナモンのパンと、クリームパンと塩パンを買うことにした。
そういえばコウがいない、と思ってキョロキョロしているとコウがトレーの中にパンを重ねて歩いている。
すみれは近寄って声をかけた。
「コウは何買うの?」
すみれに聞かれたコウが振り向く。
トレーの中を見て首をひねる。
彼はたくさん盛っていた。
「ええと、何だっけ。バターロールと、チョコパン?卵のサンドイッチ、ハムレタスのサンドイッチ、塩パンと・・・」
「とりすぎじゃない?大丈夫?」
すみれは何を取ったかも定かでないコウに苦笑しながらたしなめる。
「いやたくさん美味しそうなのあってさ、ついつい調子に乗っちゃった」
「まあ、いいけどね、私も選ぶの困ったし。どれも本当に美味しそうだものね」
「うん」
コウが頷く。
その時二人の傍らを貝崎が通り過ぎる。
手に持ったトレーはすでに山盛りで、下の方のパンは重みで潰れていた。
「・・・・」
「・・・・」
しばらく沈黙したあと二人は顔を見合わせてクスクス笑った。
「そろそろお会計しようか」
「そうだね」
二人はレジでお会計を済ませる。
パンが入った袋を手に提げてすみれが店を出ようとすると、
「あ、そうだミルクパン買うの忘れてた」
コウが思い出したように言う。
「まだ買うの?」
すみれが呆れたように笑うと、
「だって何度も来れないし、こないだ食べて美味しかったんだ。だから今買っておかないと。ちょっと買ってくるから、待ってて」
コウはまたパンの方へ向かっていった。
すみれは改めて店内を見渡す。
南欧風というのか、置いてある装飾の置物やディスプレイも趣味の良い感じで、感心してしまう。
すみれは何となく入口近くの棚の方を見てみる。
すると左手にトレーを乗せた一人の老人女性が目に止まった。
白いブラウスに膝丈の黒いレーススカート、化粧は濃い目で少し派手な感じがする。
そのせいで目に入ってきたのかもしれない。
トレーにはパンが一つ乗っていて、その左手にカバンを下げている。
その女性はじっとパンを見つめているが、その様子がすみれは気になった。
パンを見ているようでいて、辺りの状況を窺っているような感じがするのだ。
コンビニで万引きの瞬間を防犯カメラで確認することも多く、女性の雰囲気に嫌な予感がしてすみれは目が離せなくなった。
すると次の瞬間、その女性はトレーでうまく視線を遮り、下げているカバンにパンを滑り込ませた。
すみれは心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じる。
そのまま女性を見つめていると
「すみれ、待たせてごめんね。」
コウが声をかけてきた。
すみれは低い声で
「コウくん、わたし今万引き見たかも」
とコウに伝える。
「えっ」
コウが驚いた表情を浮かべる。
「これ知らせたほうがいいよね」
「どの人?」
すみれは少しだけ指を曲げて当の女性の方を指す。
「あのちょっと派手目な感じの女の人」
コウがチラッとそちらの方をみて頷いた。
「まだ店出ていないから確定じゃないけど、カバンにパンを入れたとこ見たの」
「そうなんだ」
「わたし、荒栄さんに言ってくるね」
「わかった、自分もあの人見ているよ」
すみれは頷くとお客さんと話している荒栄さんの方へ向かった。
「荒栄さん」
すみれが呼びかけると
「すみれちゃん、パンは選んだのかい?」
荒栄さんはニコニコして聞いてくる。
「はい、買わせていただきました。あの、荒栄さん。わたし、女の人が支払い前のパンをカバンに入れたとこ見たと思います」
荒栄さんが目を見開く。
「本当?」
すみれはこくりと頷いた。
「あそこにいる女性が持っているカバンにパンを入れてるようなんです」
荒栄さんはその女性を見て、目を見開くとため息をついた。
「そうかい。とりあえずまだお店の外には出ていないし。もしそのまま出て行くなら声をかけてみないとね。すみれちゃん、教えてくれてありがとね」
「いいえ、お支払いしてもらえればいいんですけど」
「そうね。でもよく気づいたわね」
「コンビニでバイトしているので、万引きした人の確認を防犯カメラで見たりするんです。そうしていると、何となく怪しい感じの人がわかってくるみたいです」
すみれは苦笑いをする。
「そうだったの。とにかく様子を見てみるしかないわね」
「ええ」
女性はレジに行くと、トレーにのせた一個のパンだけを会計している。
すみれと荒栄さんは目を合わせる。
「今日は開店の日だっていうのに、先が思いやられるわ」
荒栄さんはため息をついた。
女性はそのまま店を出たので、荒栄さんはその後を付いていく。
すみれも気になって後に続く。
コウも合流してきた。
「あのすみません」
荒栄さんが声をかけると、女性は振り返った。
「何ですか?」
「このパン屋の者ですが、お会計の済んでない商品がカバンの中に入ってませんか?」
「え?」
荒栄さんは繰り返す。
「お金をお支払い頂いてない商品をお持ちじゃないんですか?」
「そんなことないですよ」
「じゃあカバンの中見せてもらっていいですか?」
「なんでそんなこと」
「商品を入れてないなら見せられるでしょ」
と荒栄さんが言うと、女性は観念したようにカバンを開いた。
荒栄さんが覗き込む。
すみれも後ろから確認すると、中にはひとつだけでなく数点以上のパンが入っていて、
一つだけだとばかり思っていたすみれは驚いた。
「入っているじゃないですか」
荒栄さんが咎めると、
「あら、入れてたの忘れてたわ。会計しようと思ってたの。これから会計すればいいわよね」
と女性は何でもないことのように言う。
「何言ってるんですか、私が聞かなければあなたそのまま行ってたでしょう」
「だから忘れてただけですって。会計するんだから問題ないでしょ」
女性はスタスタとパン屋のほうへ戻ろうとする。
「ちょっと、会計すればいいってことじゃないですよ、立派な万引きでしょ?警察に通報します」
荒栄さんの口調が鋭くなると、
「人聞きの悪いわね!忘れてただけでしょ!だから払うっつってんの!なんなのよ失礼ね」
女性は苛立った様子で荒栄さんを睨みつけた。
「おかしいのはそっちでしょ、何をしたかわかってないの?」
荒栄さんも声を荒げる。
「あんたも話のわからない人ね。払えば問題ないでしょって言ってるの、訳の分からないこと言わないでくれる?」
「訳の分かってないのはあなたよ、万引きしといてその言い草は何?」
互いに口調が鋭くなりすみれがドキドキしていると、
「おう、取り込み中かい」
と口を挟んでくる男の声がして振り向くと貝崎が立っていた。
「貝崎さん」
荒栄さんが貝崎さんを見る。
すると女性がいきなり猫なで声で、
「貝崎さ~ん、ちょっと困ってるのよ、この人何か言いがかりつけてきて。助けてくれない?」
女性が貝崎の方へ擦り寄る。
すみれはこの女性と貝崎が知り合いなのかと思った。
貝崎が驚いた風で
「あんた、4号棟の・・・・」
と言うと、
「そう、いつもお世話になってます」
と女性は媚を売るように笑いかける。
荒栄さんが事情を説明する。
「この人、うちのパンを万引きしたのよ。だから警察に通報しようとしているの」
「だから払うの忘れただけだって言ってるでしょ!払えば問題ないんだから。ほんとにおかしな人だと思わない?この人」
女性は同意を求めるように貝崎を見た。
しかし貝崎は腕組みをしながらキッパリと言った。
「万引きは万引きだろ。大人しく警察に通報されるんだな」
途端、女性はキッと貝崎を睨みつける。
「なによ、同じエリアの人間でしょ!それに見て見ぬふりなんていつもしてるじゃない。卑怯者!」
貝崎は全く動じない。
「何を言ってるのかわからねえが、万引きは万引きだ。言いてえことは警察に言うんだな」
女性は不貞腐れたようにそっぽを向いた。
すみれは途中から彼らが何を言っているのか分からず困惑していたが、荒栄さんが
「すみれちゃん、巻き込んでゴメンね。私通報してこの人連れてくわ。今日はありがとうね」
と言ったので、
「気にしないでください、なんか大変なことになっちゃいましたね」
と慌てて言った。
荒栄さんは肩をすくめてため息をついた。
「貝崎さん悪いんだけど、この人店に連れてくんだけど一緒に来てもらっていいかしら」
「いいともよ」
「じゃあ、すみれちゃん、またね」
そう言って荒栄さんは貝崎さんと女性を挟むような形で店の方へ去っていった。