開店
すみれは2週連続で松のエリアに来ていた。
今日は、荒栄さん達のパン屋のオープンの日である。
連日暑い日が続くが、無事に開店出来ると南出から連絡もあり、すみれはとても嬉しい気持ちだった。
コウも一緒だ。
彼も楽しみにしており、駅から松のエリアへ歩いて来る間、この前食べさせてもらったパンの美味しさについて熱弁をふるっていた。
パン屋の前に着くと、花輪が飾っており華やかな雰囲気になっていた。
様々な人が入れ代わり立ち代わり入っている。
この松のエリアには見慣れない、スーツ姿の人々もいる。
このパン屋の区画だけ、リゾートとは違う雰囲気の明るさがあった。
その光景を見てすみれはとても嬉しかった。
ポンッと肩に手が置かれて横を見るとコウも嬉しそうに笑ってすみれを見ている。
すみれは頷いてパン屋に近づいていった。
すぐに荒栄さんが手を振ってくる。
この人はすぐ私達を見つけてくれるな、とすみれは思いながら手を振り返した。
「すみれちゃ~ん、待ってたわよう」
荒栄さんが朗らかに笑う。
「パン屋開店、おめでとうございます!」
すみれがお辞儀をする。
「ありがとうね!」
「おめでとうございます、にぎやかですね!」
コウも会釈をする。
「おかげさまで。コウくんも来てくれてありがとうね、さっ、入ってちょうだい」
荒栄さんに誘われ、二人はパン屋に入った。
店内は人でごった返している。
中は南欧の田舎家屋をモチーフにした装飾が施され、開店準備に来た時よりもさらにおしゃれな雰囲気になっていた。
カゴの中に入っているパンはどれも美味しそうで、先週食べたものと違う種類のものが数えきれないほどあり、さっそく食べてみたいと思うすみれだった。
「どう?」
荒栄さんが尋ねる。
「パンの種類がすごく増えましたね!全部美味しそうだし、店の雰囲気もお洒落でびっくりですよ!」
すみれが興奮した面持ちで言うと、荒栄さんは破顔した。
「やっぱりぃ~、そうでしょ!みんなで頑張ったのよ!」
「すごいです!」
コウも賛辞を惜しまない。
「これは・・本当にいい雰囲気のパン屋ですね、僕の家の近くに欲しいです」
「ふふふ、良かった」
「荒栄さん、今日は何か手伝うことないですか?わたし、コンビニでバイトしているから接客はできますよ」
すみれがそう持ちかけると荒栄さんは体の前で手を振った。
「いいのよ、今日は来てもらっただけで嬉しいんだから」
「何かあったら言ってくださいね」
「お気持ちだけ受け取っておくわ」
荒栄さんはニコリと微笑んだ。
「それより、せっかくだから何かパンを買ってって」
「もちろんです!」
と言って何か選ぼうと思い振り返るとすでにコウはキョロキョロとパンの品定めをしている。
「こら」
「はは」
すみれがポンっとコウを突っつくとコウは頭をかいて笑った。
2人で品定めをしていると、老齢の女性が店に入ってくる。
竹のエリアの取りまとめをしている城戸さんだった。
目が合ったので挨拶する。
「こんにちは」
「どうも」
城戸さんは僅かにうなずく。
この間、竹のエリアにボランティアに行った時の事を思い出す。
配給を届けに行った先の部屋で、熱中症によってお年寄りが亡くなっていたのだった。
そしてそれは珍しい事では無いのだと城戸から告げられ、衝撃を受けたのだ。
あれから竹へはまだ行っていない。
今城戸さんと顔を合わせたが、この間の事について何か言うべきなのだろうか、それとも言わない方が良いのかすみれは迷ってしまう。
そもそも城戸さんとは先日もあまり話が出来ず、避けられてるかのような感じもしていた。
どうしよう、話続けていいのかな、とすみれがためらっていると荒栄さんがやってきた。
「あら、城戸さん、お久しぶりねえ。来てくれたのね、ありがとう」
彼女は気さくに話しかけた。
城戸さんは荒栄さんを見るとにこやかに微笑んだ。
「開店するの心待ちにしてましたよ。美味しそうなパンばかり、どれにしようか迷いますね」
「でしょ、どれも自信作よ、10個は買ってってね」
「そんなに食べれないですよ」
城戸さんの顔がほころんだ。
二人は見知った間柄のようだが、それにしても見たことの無い城戸さんの柔らかな表情にすみれははびっくりする。
自分が話しかけても城戸さんはこんな顔にはならないだろうな、と彼女との間に壁を感じてすみれが少し落ち込んでいると、
「まだ選んでるの?まあこの間食べてないパン、たくさんあるからね」
荒栄さんがすみれに話しかける。
城戸さんが訝しげな顔をした。
それを見て荒栄さんが説明する。
「ああ、すみれちゃんはね、ボランティアで来てくれるだけでなく、このパン屋の開店も手伝ってくれたのよ。私達、すっかりお友達。ね?」
「あっ、はい」
すみれは慌てて答える。
「そうでしたか」
と言って城戸さんがこちらを見る。
すみれは初めて彼女から普通に見つめられたような気がした。
そして気恥ずかしくなって訂正する。
「あの、開店準備の時はほんの少ししか手伝ってません」
「でも来てくれてありがたかったわ」
「とんでもないです」
「ここで初めて焼いたパンも食べてもらったのよ」
荒栄さんがふふん、という感じで城戸さんを見た。
「あ、あれは美味しかったです、ごちそうさまでした」
すみれが頷く。
「それは私も食べたかったですね、その時食べたパンはどれですか?」
と突然城戸さんが尋ねてきたのですみれはびっくりした。
「あ、あのバターロールでした」
「そうですか、じゃあ私も買ってみますね」
城戸さんは口元をやわらげる。
すみれは城戸さんと思いがけず普通に会話が出来たので、
「ど、どうぞ」
としか言えなかった。
と、
「お邪魔するよ」
と声がして入口の方を見ると、梅のエリアの貝崎が立っていた。
「貝崎さんじゃない、珍しいわねえ」
荒栄さんが声をかけた。貝崎とも知り合いのようである。
顔が広いんだな、とすみれは思い荒栄さんのような人なら当然かもと心の中で頷く。
「今日開店て聞いて、様子見にきたんだ」
「あらあら、忙しいのにありがとうねえ」
「手伝えなくて悪かった」
「いいんですよ、そんなの気にしなくて。その変わりたくさん買ってって頂戴」
「美味しいのかい?」
貝崎がニヤニヤした顔で問いかける。
「もちろんよ!」
楽しそうに話す二人に、すみれはまた驚く。
梅で見た貝崎は近寄り難くぶっきらぼうだったのに、今日見る貝崎は別人のように柔らかい。
これも荒栄さんの人徳なのかなあ、と思ってると
「月山さんじゃないか、久しぶりだね」
貝崎さんが話かけてきてすみれは背筋がピンとなる。
「はい!お久しぶりです」
「元気だったかい?」
「はい!」
なんで軍隊みたいな感じの応答になるんだろ、と思いながらすみれは答える。
「ちょっと貝崎さん、すみれちゃん威圧されてない?あまり怖がらせちゃダメよ」
荒栄さんが割り込んでくる。
「そんなことないよな、月山さん」
「はい!」
「めちゃくちゃ怪しいじゃない」
荒栄さんはふう、と息を吐き出し
「貝崎さんは押し出し強いんだから柔らかくいかないと。気をつけなさいよ」
「そうかな、努力するよ」
肩をすくめた貝崎さんは笑って、
「じゃ、パン見させてもらうよ」
と言って店の中に入っていった。
「荒栄さん、貝崎さんともお知り合いなんですね」
「ええ、私、梅は怖いから行かないんだけど、貝崎さんはエリアのリーダーだからみんな知ってるし、
時折他のエリアにも来ることがあるの。ああ見えてあの人けっこう気さくなのよ」
「信じられません」
荒栄さんは声をあげて笑った。
「そりゃあ、あの見た目だもの、そうかもね。でも話してみると違うわよ」
「そうなんですか」
「すみれちゃんも、話しかけてみるといいわ」
「き、機会があれば」
すみれはパンを選んでいる貝崎の大きな背中を見ながら答えた。




