開店準備
すみれは松のエリアにいる。
今日は配給のボランティアは無かったが、開店が迫っている荒栄さん達のパン屋の手伝いをするためにリゾートに来たのだ。
今回はコウも一緒である。
この間すみれは梅のエリアがどんな有様だったかを報告すると、コウは心配そうな顔をした。
「ボランティアはもちろんいいけれど、あまり危ないエリアには近づかないで欲しいよ」
「心配かけてごめんね。でも大丈夫だったから」
あっけらかんと笑うすみれだったが、コウはやはり心配みたいで、
「あまり無茶をしないでね」
とたしなめた。
それからすみれが松のエリアで荒栄さん達がパン屋を開く話をして、その手伝いをするつもりだと伝えるとコウは明るい顔になり、
「それなら自分も行くよ」
と言ってくれたのだった。
予め南出に聞いておいた店の位置は、松のエリアのマンションの一階にあった。すぐ前に三角の変形した土地があり、その周りが道路になっている。
その一階はかつて古い店舗が5店舗ほどあったが、その一つをリフォームしているとの事だった。
すみれが訪れたのは開店する1週間前で、すでに棚などの必要な調度類は運び込まれていた。
こじんまりした店内はオレンジ色の照明が暖かく、漆喰風の壁が居心地の良い雰囲気を醸し出している。
すみれとコウが中に入るとさっそく荒栄さんが見つけて近寄ってきた。
「すみれちゃん、来てくれてありがとう、コウくんも久しぶりね」
ニコッと笑って迎えてくれる。
今日の荒栄さんは長袖のシャツにジーンズだ。
テキパキと周りに気を配って動いている。
「お手伝いさせてもらいます。なんでも言ってください」
すみれが声をかけると、
「ありがと。じゃあさっそくなんだけど、トレーとか食器類を洗ってもらっていいかしら?納品されたばかりで何も触ってなくて。来てすぐにごめんね」
と済まなそうに言った。
「遠慮せずに言ってください、なんでもやります」
すみれはガッツポーズを作って張り切った。
「自分は何をしますか?頑張りますよ」
コウも笑顔で握りこぶしを作る。
「コウくんはじゃあ、掃除をお願いしてもいい?棚を拭いたり床を掃除してくれると助かるの。奥に掃除用具あるわ」
「もちろんですよ」
そう言うとコウは奥へ入っていった。
それから数時間ばかり店内で入れ代わり立ち代わり開店作業をしていると、
「こんにちは」
と男性の声がした。
数人の老人女性と一緒にカウンターの整理をしていたすみれが声の方を向くと、南出が立っていた。
南出はすみれを見つけると、
「月山さん、ありがとうございます」
と微笑んだ。
「こんにちは」
すみれも微笑みかえす。
奥からコウも顔を出した。
「お久しぶりです」
南出が会釈する。
「コウくんでしたね、今日は来ていただいてありがとう」
するとコウのそばから荒栄さんがひょこっと顔を出した。
「南出さーん、様子見に来てくれたの、ありがとね」
「気になりますからね」
「どう?もう少しで完成よ」
荒栄さんが胸を張る。
南出が目を細めた。
「ええ、本当にもう少しですね、いやあ本当に開店するんだなあ」
「なによ、南出さんがいろいろ助けてくれたんじゃない。半信半疑なの?」
「いえ、でもこうやって出来上がってくると実感が沸いてきます」
荒栄さんは頷く。
「そうよね、私もああ、開くんだなって思ってる。でも本当に良かった。南出さん、今回は本当にお世話になりました」
荒栄さんは深々とお辞儀をした。
南出は慌てて手を振った。
「なんですか、急に。こうやって開店するのも荒栄さんがたが熱心に動いたからですよ。私は少し手助けしただけです」
「でも、南出さんがいろんな方面に声をかけてくださったおかげですもの。感謝してます」
荒栄さんはもう一度頭を下げた。
「そうだわ。今日の作業はもう落ち着いたし、これからパンを焼いてみるところなの。良かったら南出さんもどうかしら?
もちろんすみれちゃんもコウくんも食べてってね」
荒栄さんはポンッと手を叩いて提案する。
「そりゃあ、うれしいですね。ぜひ」
南出が嬉しそうに笑う。
「いいんですか?」
すみれが聞くと
「当たり前じゃない。ここで焼く初めてのパンよ。ぜひ食べていってね」
荒栄さんはニコニコして答えた。
床の上にビニールシートを引くと作業をしている人々が車座になって座る。
荒栄さんと数人の女性が奥に入った。
15分くらいして荒栄さんたちが戻ってくる。
トレーには丸いパン、バターロール、白いパンが乗っている。
「今のところこれだけ焼いてみたの。丸いパンは基本のパンね。バターロールと、白いパンは牛乳のパンよ。食べてみて」
荒栄さんはニコニコして言った。
パンはどれもふわふわな感じで、香ばしい匂いが立ち上っていた。
「さ、どうぞ」
みんなで紙皿を回しそれぞれ好きなパンを手に取る。
すみれはバターロール、コウは牛乳のパンをもらった。
みなで一斉にかぶりつく。
すぐにまだ熱めのパンの温度とふわふわな食感、バターの香ばしさが口いっぱいに広がる。
とても優しい味で、美味しくすみれは驚く。
その様子を、荒栄さんはニコニコしながら見ている。
「どう?」
「とても美味しいです!びっくりしました」
横でコウが頷きながらパンをぱくついている。
「こりゃあ、旨いな」
南出さんが驚いた様子で言った。
荒栄さんは腰に手を当てて
「本当に偶然なんだけど、私も含めて長年パン屋で働いていた方達が多かったの。だからああでもない、こうでもないって相談しながら作ったわ。美味しく出来て良かった」
「そうだったんですね。でもこれ本当に美味しい」
すみれは感動して言った。
「ありがとうね。これからいろんなパンを作るから味見してもらおうかな」
荒栄さんはいたずらっぽく言った。
「もちろんです、ぜひ!」
すみれが意気込む。
南出さんが咳払いをした。
「良ければ私も味見をさせてもらえないですかね、いろんな意見があったほうがいいでしょう」
荒栄さんが笑った。
「どうぞ、どうぞ。南出さんには恩返ししなくちゃ」
「すみれ、すみれ、僕も」
まだパンを口の中でモグモグさせているコウが自分を指差す。
すみれが困って荒栄さんを見ると、
荒栄さんは笑って頷いた。




