梅の配給
すみれは他のボランティアの老人に混じって作業をする。
だがすみれのような若者はまったく見かけなかった。
辺りを見てみると、ここのボランティアの老人はみんな体つきががっしりとして、なぜか建築現場で働くような出で立ちをしている。
皆一様に顔は真っ黒だ。
ここの配給現場にはイベントテントがなく、そのかわりブルーシートを張って日除けにしている。
すみれはその設営を手伝った。
今日は少し涼しい。とはいっても30℃は超えている。
風もほどよく吹いていて、すみれは少しホッとする。
持ってきた帽子をかぶって首にタオルを巻いて汗をかきながら作業に参加している。
もちろん日焼け止めも塗りたくっている。
ブルーシートの日除けを貼り終わると、橋方がやってきてペットボトルのスポーツドリンクをくれた。
すみれが礼を言ってゴクゴク飲み干していると、
フードバスの明るい旋律が近づいてきた。
いつの間にか貝崎が公園そばの道で待っていた。
背が高く、老人とは思えないほど筋肉質な体が立っていると仁王立ちという言葉がピッタリだ。
やがてフードバスが現れると、その台数の少なさにすみれはびっくりする。
松や竹は5台以上のバスが来てたはずだ。
しかしこの梅にはバスが2台しか現れなかった。
すみれは思わずそばにいた橋方に尋ねる。
「あの、フードバスってあの2台だけなんですか?」
橋方はうなずいた。
「そうですよ。あれが全部です」
「確か他のエリアはもっと多かったような気がするんですけど」
橋方は合点がいったような顔をした。
「ああ、なるほど。ほかのエリアは確かに台数多いですよ。ここは2台だけです」
「どうしてそんな少ないんですか?」
すみれが聞くと、橋方は緩く微笑んだ。
「わかってると思いますが、このエリアははっきり言ってお金に余裕が無い人しかいません。つまり税金を満足に払えず、社会に迷惑をかけてるわけですから配給だって少なくなるんです。しょうがないですよね」
「・・・・」
すみれは沈黙するしかなかった。
「ここに来た時に見たでしょう。ダンボールやブルーシートで出来たバラックがたくさんあるのを。行き場のない老人がここに集まります。いつの間にか増えてますし、これからも増えるでしょう。
だけど行政は黙認してます。なぜなら受け入れ先が無いんです。老人たちを収容する場所を用意することができないからだと思います。そのうち竹や松の方だってここと同じうような状況になるでしょうね」
橋方は淡々と説明した。
すみれはあの粗末な小屋のようなものが並んでいる光景を見たとき確かに驚いたが、一方で納得もしていた。こういう状況をなんとなく感じ取っていたのだろうと思う。
だから今の橋方の説明に、返す言葉は無く俯いた。
やがてバスが止まると貝崎が中心になって指揮を取り、荷物を下ろす。
バスの台数が少ないので、あっという間に荷下ろしが終わった。
その荷物をブルーシートの方へ運んで配置すると、配給の開始となる。
配給の量が少ないんじゃないかとすみれは気になった。
しかしすでに老人達がテーブル前に列を作っているが、人数は多くないので、すみれは不思議に思う。
そしてその並んでいる老人達を遠巻きにして他の老人がたむろしているのを見てさらに奇妙に感じる。
周りにいる老人が並んでいる老人達を伺う様子だ。
他のエリアでは見たことのない光景だ。
貝崎が皆の前に出て大きな声で叫ぶ。
「これから配給を始めるが、伝えたとおり今日配るのは6号棟から10号棟までだ。その他は後日だ。それじゃあ配給を開始する」
すみれはその説明を聞いて納得する。梅のエリアでは少ない配給を区切って渡しているのだ。
そしてそれができるのはあの貝崎がいるからだろうと思う。
すみれは張られたブルーシート内のテーブルにいって配給を配るのを手伝った。
配給は滞りなく進んでいる。
元気そうな老人は少なく、皆痩せており猫背だったり杖をついたりしている。
しかし時々、妙に小綺麗な服を着ている老人女性がいてすみれは驚いた。
派手な感じがする老人女性が混じっているのだ。
周りから完全に浮いているような感じの女性達は普通に配給を受け取るとすぐに立ち去っていく。
なんだろう、あの老人女性達はと考えていると、配給が終わってしまった。
すみれはブルーシート内に座って持ってきた水筒で水分を取る。
ここの老人とコンタクトを取りたかったが、話しかけづらい雰囲気だ。
今日はこのまま終わりかな、と思っていると怒鳴り声が聞こえた。
「てめえ、俺によこすって言っただろ、早く渡せよ!」
「そんなこと言ってねえ!」
「言っただろ、嘘つき野郎が」
なんだろうと思って外の様子を覗くと、二人の老人男性が言い争って掴み合いをしている。
すみれが怖々として様子を伺っていると、
「なんだ、どうしたんだ」
貝崎がやって来て割って入った。
「どうしたもねえ。こいつが今日の配給を分けてくれるって俺に言ったのにそうしねえんだ」
ひとりの老人が貝崎に訴える。
顔が垢だらけでヒゲが伸び放題の老人だ。
ずんぐりとした体つきで背は大きめだ。
着ている服は汗や垢でベトベトしており、身体にへばりついて汚らしい。
するともうひとりの老人が言う。
「だからそんなこと言ってないっていったろ。頭おかしいんじゃないのお前」
こちらはシャツにジーンズだ。ヒゲの老人よりはまともな格好をしている。
いったいどうなるんだろうと思っていると貝崎が、
「よくわからねえが、配給は渡された人のもんだ。それをどうするかはその人が決める。
その人ががダメだって言うんなら諦めるんだな」
とヒゲの老人に言い渡し、帰るよう促した。
「はあ?お前になんの関係があるんだよ、横から口出すな」
ヒゲの老人はなおも言い募る。
「俺が配給を取り仕切ってるんだ、口挟んで当たり前だろが。もういい、とっとと帰りな」
貝崎は退屈そうな顔でヒゲの老人をたしなめた。
するとヒゲの老人はいきなり激高し、右の拳を振り上げた。
「いちいちうるせんだよ!」
そしてその拳を貝崎にぶつけようとした。
貝崎は右手でヒゲの老人の拳を取って握り締める。
たちまちヒゲの老人から悲鳴が上がった。
「いてえ・・・」
「おい、ここで問題起こすな。お前知らねえ顔だが最近ここに来たのか?あまり自分勝手なことをするとここを追い出すぞ?」
ヒゲの老人は悔しいのか、今度は左の手で貝崎にパンチをしようとする。
「おっと」
貝崎が老人の拳を握り締めている右手を捻り上げると、その老人は苦悶の声を再び上げる。
「聞き分けのねえ」
貝崎はそのまま老人の腕をひねりあげて足元に組み伏せてしまった。
そして老人の顔を覗きこむ。
「追い出されてえのか?」
老人は首を振った。
「なら静かにしてるんだな。行け」
貝崎が手を離すと老人は拳をさすりながら走り去った。
貝崎は今度はジーンズの老人に注意する。
「なんだか知らねえが妙な奴に関わるな。あんたのためだ」
「はい」
老人は素直に答えた。
「じゃあこれで終いだな。あんたも行きな」
「ありがとうございます」
貝崎は軽く頷いた。
すみれは茫然と老人達が配給を巡って争うのを見ていた。
こんな諍いが起きたりするんだと驚くばかりである。
そんなすみれの様子を見て橋方が傍にやって来る。
「ここでは日常に起きてる事ですよ、驚くことじゃありません」
「でも」
とすみれが言いかけると、橋方はやんわりと遮った。
「このエリアは余裕の無い老人ばかりなんです。だからもしこれからも梅に来るつもりなら、慣れてください」
「はい」
すみれは頷くしかなかった。




