梅
すみれは今回、一人でリゾートへ行く。
また南出に話を通してもらった。
ボランティアで来ているのに、面倒をかけてしまって申し訳ないと思う。
けれども数回来ただけではあるが、すみれはリゾートともっとしっかり関わりたいと思う気持ちが大きくなっていた。
だから全てのエリアを回りたいと思ったのだ。
今日ボランティアをするのはリゾートの中では通称「梅」と呼ばれているエリアだ。
南出や荒栄さんから聞く感じだと良い雰囲気では無さそうなのですみれは緊張している。
どんな場所で、どんな人達がいるのだろう。
今日はコウもいなくて、1人で行く梅のエリアの事をいろいろ想像してしまうとすみれは不安になるが、ともかく頑張ってみようと思った。
「竹」に行く時の駅で降りて、竹のエリアを通り過ぎていく。
進むほどに建物が古びていくのがわかった。
改修や補強がされていないのだろう。外壁はところどころ剥げ落ちているし、ヒビが長く走っている。
道の脇には無造作にゴミの入ったビニール袋が捨てられており、荒れた様子が窺える。
すでに周りの雰囲気が松や竹のエリアと全く違っていた。
マンションの外壁に、ペンキで落書きがされている。
「老人は○ね」や「お前ら○す」という物騒な内容のもので、すみれは驚いてしまう。
どうしてここにはこんなひどい落書きがあるのだろう、松や竹には無かったのに、と疑問は尽きないものの、すみれはとにかく歩き続けた。
やがて指定された場所に辿り着くと、そこはドラム缶や廃材が放置されている広場だった。
松や竹とはあまりに違う環境にすみれは呆然として、心細くなってくる。
それでも我慢してしばらく立っているが、誰も来ない。
老人が何人かうろうろしているのを見かけるが皆表情は暗く、頑なな雰囲気を纏わせており、話しかけるような気にはなれなかった。
すみれは次第に怖くなってくる。
するとそこへ、かなり背の高い老人男性が前方からすみれを目掛けて歩いてきた。
老人とは思えない力強い足取りで、近くに来ると見上げるような形になる。
筋骨隆々といった体格をしており、日に焼け、短く刈り込んだ髪、鋭い目つきが軍人のようだとすみれは思った。
その老人が口を開く。
張りのある声だった。
「あんたが月山さんかい」
老人男性の雰囲気に威圧されていたすみれは慌てて答える。
声が掠れてしまっていた。
「は、はい、月山です。」
「話は聞いてるよ。それにしても、梅に来るなんて物好きだなあんた」
「すみません」
「謝ることはないが、ここはちょっと特殊な場所でな、いろいろ大変だと思うが来た以上はま、頑張ってみな。じゃ、付いてきてくれ」
老人男性はさっそく歩き出す。
すみれは慌てて、
「今日はよろしくお願いします」
と声をかける。
歩き始めていた老人男性は振り返って
「ああ、こちらこそ。そう言えば名乗るのを忘れてたな、俺は貝崎だ」
と言い放つとまた歩き出した。
貝崎に着いて行くと、道の両脇にバラックが並び始めた。おそらくかつてはマンションの駐輪場や植え込みだったところに、所狭しとテントのようなものやダンボールを立てかけた粗末なバラックが建っているのだ。
さらに少し進むと大きな公園の外縁に面した道に出たが、バラックはその公園の内部にも入り込んでいるらしい。
どう考えても許可を取って設置したものとは思えない。
すみれの脳裏に、配給カードを持っていない老人の事が思い出されて、自分が松で遭遇した老人男性は、ここから来たのだと思った。
それにしてもリゾートにこんな場所が出来ているとはと考えてもみなかった。
急に小便臭い据えた異臭を感じて、すみれは顔をしかめる。
すでに辺りはマンションの住居地区というより、スラム街のようになっていた。
あまりに変化した景色に思考が停止してしまっているすみれに気づいた貝崎が、平然とした様子で言う。
「驚いただろうがこれが梅だ」
ほどなくさっきより大きい広場に辿り着く。
そこではボランティアであろう老人たちが集まって辺りを片付けていた。
配給の準備をしているようだった。
「ちょっと待っててくれ」
貝崎はすみれをその場に残して老人たちが作業を行っている中に入っていく。
そしてボランティアの中から一人の老人男性を連れてきた。
その老人男性も背が高くがっちりとしている。
貝崎は
「橋方、このお嬢さんの面倒見てくれ」
と言うと、足早に去っていった。
橋方と呼ぼれた男性はすみれに丁寧に頭を下げた。
「今日はよろしく、橋方です」
すみれも慌てて頭を下げる。
「月山と申します。どうぞよろしくお願いします」
すみれは改めて橋方という男性を見る。
真っ白な長い髪を後方で束ねており、彫りの深い顔立ちがインディアンと呼ばれる人々を連想させる。
貝崎もそうだが、この橋方という男性も気軽に話しかけられない雰囲気を放っており、すみれは居心地の悪さを感じる。
すると橋方が静かな声で話しかけてきた。
「月山さんはどうしてこの、梅のようなところに来ようと思ったんですか?」
「それはあの・・・」
すみれは明確な答えを返せなくて口ごもった。
橋方はそんなすみれの様子を見て、
「言い方を変えましょう。見ての通りここは良い環境ではありません。若い女性が来るようなところではないんです。面白半分で来たら危険な目に遭うかも知れない。今ならまだ間に合う。お帰りになってはいかがですか?」
と言葉を投げかけた。
その目に気遣わしげな色が浮かんでいる。
すみれはその目を見つめ返す。
「そんな、面白半分ではないんです。わたし、このリゾートでしっかりボランティアやりたいと思ってます。だからその、松とか竹とか梅のエリアに関係なく役に立てればと思ってます」
橋方の表情が幾分柔らかくなった。
「そうですか。それでは何も言いません。でもここは他のエリアとは違って物騒なので気をつけてください」
「ありがとうございます。頑張ります」
すみれは頷いた。




