「「「いただきます」」」~カトリーヌ・カレの幸福⑤
それから一年。
同じ安宿に居ながら、わたしたちはパンケーキを作って売った。
うまくいかない時も多かった。
一枚も売れないときもあった。
季節によって、違うものを売った方がいいと知って、違うものを売ったこともあった。
時には、三人でドブさらいをした。
ローイが高熱が出たときは、生きた心地がしなかった。
熱専門病院に駆け込んで、ローイを診てもらい、良くなるように神様に祈っていた。
また元気になってくれて、元の暮らしに戻っていった。
わたしたちはいつも三人、一緒だった。
あくる日、またわたしたちはじゃがいものパンケーキを売っていた。
今日は日曜日で通りには買い物客が多くなる。こういう日に売った方が儲かる。
ノアムは投げ銭ゲームをしながら、じゃがいものパンケーキを売っていた。
すると、ひとりの赤ら顏の男の人がゲームをせずに、わたしからパンケーキを買ってくれた。
その人はサンドイッチを売っている人で、木製の箱を首から下げていた。
男の人は、じゃがいものパンケーキを食べた途端、ぺっと吐き出した。
「なんだ、なんだ。このくそまずいパンケーキは! 俺んところのサンドイッチの方がうまいじゃないか!」
男の人は大声で言い、足を止めた人々に向かって言う。
「こんなパンケーキよりも、俺んところの買わないかい? インチキゲームをするやつなんかより、よっぽどうまいぞ! ほら、ひとくち食べてごらん?」
ゲームに集まっていた少年たちに、男の人はひとくちサイズのサンドイッチを振る舞いだす。
少年たちがサンドイッチがつられて、ゲームをやめていく。
それを見たノアムが真っ赤な顔をして、肩をいからせて男の人に向かっていった。
「インチキゲームとはなんだよ! ふざけんな!」
「ああ?」
「ノアムっ」
大柄の男の人に睨みつけられ、ノアムが殴られるんじゃないかと思った。
ノアムの腕を引っ張ってなだめていると、ローイが男の人に体当たりした。
その拍子に、男の人が前につんのめり、首から下げていたサンドイッチが地面にばらまかれた。
「うおっ⁉」
「にーちゃんを馬鹿にするな! ねーちゃんを馬鹿にするな!」
男の人にむかって、ローイが涙目で叫ぶ。
「僕のねーちゃんのパンケーキはおいしいんだッ!」
「くそっ、このガキっ! サンドイッチが地面が落ちたじゃないか! 弁償しろ!」
男の人が落ちたサンドイッチを踏みながら、ローイに向かってくる。
――ローイが殴られる。
ぞわっと悪寒が背筋に走り、わたしは無我夢中で駆けだした。
「やめっ、やめてくださいっ」
ローイを抱きしめ、男の人に背を向ける。
目をつぶって、わたしは来る痛みに震えた。
だけど、痛みはいつまでも来なかった。
「邪魔なんで、どいてもらえます?」
「なんだ、てめえ! ――⁉ッ」
「どけって言ってるんです。聞こえませんでしたか?」
声が聞こえて、おそるおそる後ろを見る。
紅い制服を着た人が、男の人のひたいに銃を突き付けていた。
「ひぃっ!」
男の人は腰を抜かして、後ずさる。
サンドイッチを踏みつけながら男の人は銃から逃げるように、走っていった。
騒ぎを聞きつけたのか、警察官が駆け寄ってきて、紅い制服を着た人に尋ねる。
「何があったんですかっ!」
「あー……」
紅い制服の人は、胸元に縫い付けられた白い鷲を警察官に見せた。
「オレ、ルベル帝国帝都保安隊、ペーター三等保安正です」
「え?」
「そこにいる女性を探していました。連れていきますね」
「えっ! ちょっと、まっ」
「あー。オレの上官が王宮で暴れくさっていると思うんで、文句は上官に言ってくれます?」
「は? おうきゅう?」
「上官、皇族なんで」
「皇族ーッ‼」
「じゃ、そういうことで」
ペーターと名乗った人は、わたしの前に片ひざをついた。
「カトリーヌ・カレさんですか?」
「……え? は、はい……」
「あなたを保護するように命令されました。一緒に付いてきてください」
ペーターさんは真顔でわたしたちのパンケーキを指さした。
「あと、腹減っているんで。そこのパンケーキ、全部、ください。買います」
***
ペーターさんは本当に全部、じゃがいものパンケーキを買ってくれて、むしゃむしゃ食べながら、辻馬車を拾った。
御者に王宮まで行くように伝え、わたしと弟たちを馬車に乗せる。
わたしたちはぽかんとしながらも、馬車に乗り込んだ。
馬車の中でペーターさんが事情を説明してくれた。
驚いたことに、リリアンお嬢様が大きな事件を起こしたということだ。
それにわたしが関わっていて、話を聞きたいそうだ。
「リリアン・クローデルの名前に覚えはありますよね?」
「……あ……はい……」
「彼女、結婚詐欺野郎だったので、取り調べしています」
「……え?」
「あなたは証人になってもらいたいです」
「は、はい………?」
「あと、このパンケーキうまいですね」
最後の一枚を食べきって、ペーターさんは真顔で言った。
わたしはポカンとしたまま、ペーターさんをまじまじと見つめた。
表情が読めない人だ。
わたしたちはこれからどうなるのだろう。
ノアムとローイを見ると、はじめて乗った馬車に興奮していた。
「すっげー! 早い!」
ノアムもローイも馬車の窓に顔をべったり付けて、外を見ていた。
ふたりの笑顔を見ていると、不安が少し和らいだ。
そうこうしているうちに、わたしたちは本当に王宮に連れて行かれてしまった。
「ねーちゃん、ぴかぴかしているねえ!」
ローイは興奮をして目を輝かせていただけど、わたしは生きた心地がしなかった。
輝くばかりの黄金の装飾。裸足で歩く床は、ふかふかしすぎた紅い絨毯だ。
何が起こっているのか分からなくて、わたしはパニック寸前。
それでもペーターさんに言われるまま、一階の廊下を歩いていくと、同じように紅い制服を着た人々がいる部屋に着いた。
「戻りました。カトリーヌ・カレを保護しました」
「あら、ペーターちゃん。お疲れ……って、なにその痛ましい子たち⁉」
褐色の肌に真っ赤なルージュを付けた大柄の男の人がわたしたちを見て、くわっと目を広げる。どすどすと足音を立てながら、わたしたちに近づいてきた。
「ご飯、食べれているの⁉ とりあえずお風呂かしら⁉ アタシについておいで! 病気になってないか診るからっ! あ、アタシは医療班のバニラよ!」
バニラと名乗った男の人は、早口でまくし立て、わたしが何か言う前にお風呂を用意してくれた。
お風呂とはなんだろう?と思ったけど、たっぷりのお湯で体を洗うことだった。
お母さんと一緒に行った大衆浴場みたいに広い部屋で、ひとりっきりで風呂につかる。
バニラさんが体を隅々まで洗ってくれた。
洗いながら、真剣な目でわたしの体を隅々まで診ている。
「……こんなに細い腕をして……頑張ってきたのね」
バニラさんが鼻をすすりながら言い、わたしは大きく目を開いた。
頑張ってきた――そんなことを言ってくれるのは、誰もいなかった。
わたしは、ただ弟たちと食べたかっただけだ。
そのために頑張るのは、当然のことだった。
生きるためだ――。
それなのに、バニラさんの顔を見ていると、なぜかひどく泣きたくなった。
のどが震えそうになるのを堪えている間に、わたしはお風呂を終えた。
きれいになったら、紅い制服を着た人が真新しい下着にワンピース、靴下と靴を用意してくれた。
「あ、あああ、あのっ……この靴……」
バニラさんに震えながら尋ねると、にっこりとほほ笑まれた。
「きつくはない?」
「え……」
「靴を履いていないと痛いものね。あなたのかかと、石みたいに固くなっていたわよ」
ぽかんとしていると、バニラさんが大きな手のひらでわたしの頭をなでる。
「今日はよく食べて、ゆっくり休みなさい。弟さんたちはこっちの部屋にいるわよ」
扉を開いた先に、身ぎれいになった弟たちがいた。
なぜかテーブルの上にある食事をじっと見つめたまま、座って固まっている。
弟たちの横には、ペーターさんが真顔で立っていた。
わたしを見ると、弟たちは、ぱっと顔を輝かせた。
「「ねーちゃん!」」
ローイが笑顔で駆け寄ってきて、わたしの腕を引く。
「ねーちゃん、ねーちゃん。ご飯を食べさせてくれるって! 一緒に食べよう」
ローイに引っ張られながら、わたしは席に座る。
「「いただきまーす!」」
わたしが席についた途端、弟たちは手づかみで食べだした。
パンにスープ。骨付きのお肉まである。
ぽかんとしていると、ペーターさんがわたしに言う。
「彼ら、あなたが来るまで食べるのを我慢していましたよ」
「え……」
「ねーちゃん、食べて。おいひいよ」
「ほら、ねーちゃんも一緒に食べよ!」
弟たちに言われて、わたしはパンを手に取った。
ふっくらしたパンだ。ひとくち食べると、甘みが舌にひろがった。
「おいしい……」
「おいひいよねえ」
「肉、うっめえ!」
顔をあげると、ペーターさんが少しほほ笑んでいた。
こんなに美味しい料理を三人で食べられるなんて、夢を見ているみたいだ。
信じられなくて、でも美味しくて。
鼻の奥がツンとした。