「「「いただきます」」」~カトリーヌ・カレの幸福④
お嬢様の「消えて」は、アパルメントから出て行けという意味だった。
ゾエさんに「荷物をまとめて出ていきな」と言われて、わたしは必死にすがりついた。
「お、お願いですっ! なんでもします。なんでもしますから、置いてくださいっ!」
せっかく食べられる生活なったのに、また外に出ていったら生きていけない。
路上生活に戻りたくはない。
困惑する弟たちの前で、わたしは床に土下座にしてゾエさんに頼み込んだ。
しかし、ゾエさんはわたしの手首を掴むと、地下室から引っ張りだして、外に連れ出した。
ゾエさんにほおり投げられ、わたしは地面にしりもちをつく。
「「ねーちゃんっ!」」
ノアムとローイがわたしの元に駆け寄ってくる。
体を起こすと、ゾエさんは地下室にあった麻袋をわたしの足元に投げつけてきた。
麻袋の口が開いて、ジャガイモがころんと出る。
「あー、それはあんたたちの持ち物だったね! あと、これも、これもっ」
ゾエさんはわたしが使っていた小さなフライパンと木べら。そして、小麦と卵、石炭の入った袋まで。
わたしたちの持ち物ではない。
ポカンとしていると、ゾエさんはふんと鼻を鳴らした。
「それを持って、とっとと出て行きな」
それだけ言うと、ゾエさんは地下室の扉を閉めてしまった。
わたしはそろりと起き上がり、散らかったものたちを見つめる。
「ねーちゃん……もう、ここには居られないの?」
ローイが泣きそうな顔でわたしに言った。
わたしは口を引き結んで、こくんとうなづく。
ローイはそれ以上、何も言わなかった。
ただうつむいて、眉間にしわを寄せている。
――不甲斐ないおねーちゃんで、ごめんね。
喉まで出てかかった言葉をぐっと、呑み込む。
言ってしまったら、泣いてしまいそうだったから。
麻袋から、はみ出てしまったジャガイモを、わたしは拾い上げた。
それを袋に戻しながら思う。
いつも、そうだ――と。
ずっと続くと思っていた日常が、ある日、突然なくなってしまう。
一生けん命やっていても、わたしたちの居場所はどこにもない。
ただわたしは弟たちと一緒に、ご飯を食べていたいだけなのに。
どうしてこんなにも難しいのだろう。
お母さんがいた生活に戻りたい。
勉強は難しかったけれど、学校に行って、帰ってきたら家のことをして。
お母さんに花柄の刺繍を教えてもらって。
弟たちは友だちとサッカーをしに行って、泥だらけで「ただいま」っと帰ってくる。
あの日々に戻りたい。
お母さん、お母さん――。
どうして、死んじゃったの?
「っ……」
目の奥が熱くなり、わたしは奥歯を噛みしめた。
泣いたって、おなかがすくだけだ。
ゾエさんが投げてきたほどこしをかき集め、両手に持つ。
これだけあれば、今日は飢えることはない。
とにかく、稼がなければ。
生きるのをやめるわけにはいかないのだから――。
「ノアム、ローイ……行こう」
ふたりは口を引き結んで、こくんとうなずいた。
「ねーちゃん……俺も荷物持つよ」
「……僕も」
ふたりが手を差し出す。わたしは泣きそうになりながら、ふたりに荷物を渡した。
顔を上げると、通りを歩いていた人たちと目が合う。
不審そうにわたしたちを見て立ち止まった。
その視線から逃げるように、わたしは早足でアパルメントを後にした。
その後、わたしは台所がある安宿を探した。
「ジャガイモのパンケーキを売って稼いでみよう」
ふたりにそう言うと「いいね!」と賛成してくれた。
「台所があるところに行かないとねえ」
「そうよね……」
「暖炉でもいいじゃん! 火が付けられれば!」
「そうね」
わたしたちは安い宿を探し回って、町を歩き回った。
あまりひどい所では一部屋、ひとつのベッドに十人以上の男女が押し込まれる。
それではいけない。なんとか少しでもよい宿はないだろうか。
歩き回って、わたしたちは窓ガラスが割れて、暗く使っていない暖炉がぽつんとある宿を見つけた。
昼間からジンを飲んでいる赤ら顔の男の人が、1階を貸してくれたのだ。
「暖炉はなあ~、ずうっと使っていないからよお~、使えるかわっかんねけどな~」
千鳥足でそう言う男の人に、わたしは宿代を払った。
一週間で銀貨一枚。お嬢様にもらったものだ。
わたしたちは暖炉の掃除をはじめた。
煙を出すパイプが詰まったままだったが、ゾエさんが掃除の仕方を教えてくれたから、自分たちでもできた。
それからゾエさんがくれたジャガイモでパンケーキを作った。
弟たちと手分けして、パンケーキを売りに出た。
夕方の市場。買い物客が多くなる時間帯を狙って、わたしたちは路上に立つ。
「ジャガイモのパンケーキ! パンケーキだよ! 出来たてがたった銅貨一枚!」
ノアムがひときわ大きな声で、客に呼びかける。
「きれいなおねえさん、ジャガイモのパンケーキを食べませんか?」
ローイもにっこり笑顔で客に言う。
ふたりともわたしよりも客に振り向いてもらえている。
そんな才能があったなんて知らなかった。
それでも売れ行きはいまいちで、ノアムが通りの広場で、投げ銭ゲームを始めた。
「さあさあ、この帽子にコインが入ったら、ジャガイモのパンケーキがただで食べられるよ! 銅貨1枚だよ! チャレンジするやつはいないかい⁉」
すると少年たちが面白がって、ノアムの周りに集まってきた。
一定の距離からノアムの帽子めがけて、コインを次々に投げている。
「ああ! 入らないっ!」
入らなかったゲームオーバー。
ノアムは得意げに鼻を指でこすりながら少年たちに声をかける。
「さあ、ゲームに参加するやつはいないかっ! 入ったら、ただ飯だ!」
次々と遊び感覚でコインが投げられる。
そのうち、ひとりの少年が入って、ガッツポーズを出した。
「よっしゃあ! 入った!」
「おめでとう! ジャガイモのパンケーキだ」
ノアムからジャガイモのパンケーキを受け取った少年が、かぶりつく。
「うまっ!」
びっくりする声に他の少年たちは興味津々だ。
それを見たローイが少年たちのそばに行って、にこにこと笑顔で言う。
「ねーちゃんのジャガイモのパンケーキはおいしいんだよお」
無邪気な笑顔で言われ、少年たちは顔を見合している。
ノアムがすかさず声を上げる。
「うまいジャガイモパンケーキだよ! コインが入ったら、ただで食べられるよ!」
興味をそそられたのか、さきほどよりもゲームに参加する少年が増えていく。
「どれ、ひとつくれや」
ゲームに参加せずに、ローイに声をかける男の人もいた。
「どうぞ。銅貨1枚です」
「ありがとうよ、坊主」
わたしがポカンとしている間に、ふたりは次々と銅貨を集めていく。
「ねーちゃんっ」
ローイの呼びかけで、はっと我に返った。
「ジャガイモのパンケーキないよお」
わたしは慌てて自分が持っていた分を待ってくれているお客さんに渡す。
「銅貨一枚です」
わたしの手のひらに落とされる銅貨。
「あら、おいしい」と言いながら、わたしの作ったジャガイモのパンケーキを食べる人々。
信じられない気持ちで動いている間に、作ったパンケーキは売れてしまった。
家に帰ったわたしたちは、集まった銅貨を数えて歓喜の声をあげた。
「銀貨2枚分にもなっている!」
「すごーい」
「ふたりのおかげよっ」
これでまた食べれる。
わたしたちは、生きていける。
わたしは涙ぐみながら、弟たちにお礼を言った。
「ありがとう。ノアムがゲームをしてくれたし、ローイも売ってくれたからね」
ノアムは照れくさそうに鼻の下を指でこすった。
「よく投げ銭している子たちがいたから、ひょっとしたらと思ったんだ」
「ノアムは商売の天才ね」
「へへっ」
「にーちゃん、すごーい」
「へへへん」
「おねーちゃん、もっとおいしいパンケーキ作るわ」
夜は割れた窓ガラスから隙間風が吹き込む。
藁はないし、わたしたちは床で寝るしかない。
それでも、三人で身を寄せ合うと、とくとくと眠りに落ちていけた。




