「「「いただきます」」」~カトリーヌ・カレの幸福②
四枚の銅貨を握りしめ、露店がある道へと行く。
夜の露店は、こうこうとランプに火がともり、いい香りがあちらこちらから漂っていた。
もう匂いだけで、おなかがきゅうと音を立てそうだ。
「ねーちゃん、僕、ジャガイモが食べたい。あとね。スープ」
「ローイは焼いたジャガイモとエンドウ豆のスープね。ノアムは?」
「あっち。いい匂いがする」
ノアムが指さす方向に、魚のフライを売っている露店があった。
「揚げたてのプレイス・ダッブだよ! あつあつでほくほくだよお!」
赤い光りが灯る薄暗い露店で、古びたエプロンをした男の人が大声で叫んでいる。
香ばしい匂いが辺りに漂い、わたしたちは呆然と露店を見つめた。
男の人がわたしたちを見て、にかっと笑う。
「おう、どうした? 食べるのか?」
わたしたちがこくこくうなずくと、男の人はフライを三本、陶器の皿にのせてくれた。
「銅貨三枚だよ」
わたしは銅貨を三枚、男の人に渡す。
男の人から陶器の皿を受け取り、露店から少し離れ、手づかみであつあつのフライを口にした。
「あつっ! うまっ!」
「おいひいっ。ねーちゃん、おいひいね」
本当に美味しかった。魚のうまみが喉をすべり落ち、腹が熱くなる。
「美味しいっ……あなたたちがコインを見つけてくれたおかげよ……」
美味しいものを家族で食べられる。
これ以上、幸せなことはない。
涙ぐみながら言うと、弟たちは得意げな顔をして笑っていた。
最後に残った銅貨一枚。花を買うお金にしようかと思ったけれど、スープ屋さんの前で、ローイが立ち止まってしまった。
わたしは銅貨を握りしめ、ローイに話しかける。
「スープも飲もうか」
「うん!」
エンドウ豆のスープを一杯、露店で買った。
三人で少しずつすする。
「おいひいね」
「あったかいな……」
「……うん。おいしいね」
スープを飲み終わっても、お腹は減っていた。物足りない。
きっとノアムもローイも一緒だろう。
でも、わたしたちは無言で露店を後にした。
夜道を三人で歩いて、土手にある居場所へ帰る。
雨よけの板の下に潜り込み、三人で身を寄せあった。
「フライ、おいしかったねえ。また食べたいね」
ローイがうとうとした声で言う。
「またコインを見つけるって」
ノアムが胸を張る。
「おねーちゃんも、花を売るわ」
両手に弟を抱き寄せて、わたしたちは目をつぶる。
「ねーちゃん、神様のお話をして。お船が空を飛ぶ話」
「ローイは神様のお話が好きね」
「好き! お船は見たことがないけど、鳥みたいに空を飛んじゃうんでしょ? すごいよねえ」
にこにこと話すローイを見ながら、わたしはほほ笑んで話をした。
繰り返し、繰り返し、お母さんが話してくれた物語だ。
住んでいた居場所を追われた主人公に神様が空飛ぶを箱舟を授けてくれる話。
主人公は箱舟に乗り、新天地に行って生きていく。
『怖いことがあっても、神様に祈っていれば助けてもらえるよ』
それがお母さんの口癖だった。
ローイはこの話が大好きで、神様を信じている。
わたしも信じているし、安息日には、かかさず三人でお祈りをしていた。
***
次の日。わたしは余った花を持って、路地に立つ。
今日はお金持ちに見える紳士が多い。もっと前に出てみよう。
「春の花はいりませんか! 銅貨二枚です! いい香りがしますよ!」
愛想良く笑って、わたしは声を出した。
「……これでいっか」
ぽつりとつぶやく声に引き寄せられ、わたしは振り返った。
目にも鮮やかな髪色の女性がわたしの前に立っていた。
着ているものは上等で、花柄のワンピースだ。
真っ白なレースの手袋で日傘を持つ姿に見とれてしまう。
「ねえ、あなた、わたくしに花を頂戴」
「え……あ、はいっ! 銅貨二枚です!」
「おつりはいらないわ」
そう言って、女性はわたしに銀貨をくれた。
きらきら艶めく銀貨に目が釘付になる。
間違いなく本物の銀貨だ。
これがあれば、弟たちにまたフライを食べさせてあげられる。
花の価格と合っていないが、ほどこしなのかもしれない。
この銀貨さえあれば。
――たくさん、食べられる。
「ねえ、あなた。わたくしの家で働かない?」
「……え?」
「ちょうどね。侍女を探していたの。あなたならぴったりよ。働いてくれたら、毎日、銀貨をあげるわ。どうかしら?」
毎日、銀貨――。
これ以上ないほど、魅力的な誘いだ。
わたしは必死で首を縦に振った。
「は、働きますっ! 一生けん命、働きますっ!」
すると、女性は猫のように目を細めて口の端を上げた。
「ふふっ。いっぱい働いて頂戴ね」
***
女性はリリアン・クローデルと名乗っていた。
男爵家のご令嬢で、お貴族様だ。
ふたりの弟がいると言うと、リリアンお嬢様は美しい笑みを浮かべて、一緒に連れてきていいと言ってくれた。
なんて心の広い方なのだろう。
お嬢様は神の使いかもしれない。
お嬢様の後をついていくと、王都の道沿いにある白を基調とした石造りのアパルメントにたどり着いた。
三階建で、わたしたちが一生、入ることはない建物だろう。
「あなたたちは地下へ行きなさい。用があったら呼ぶから」
そう言ってリリアンお嬢様はアパルメントの中に入った。
わたしと弟たちは半地下になっている階段を下りる。
ドアを叩くと、かっぷくの良いおばあさんがぬっと顔を出した。
前が大きく開いた黄色いワンピースに、使い古したエプロンをしている。
おばあさんは、わたしたちを見ると顔をしかめた。
「何か用かい?」
「あ、あああ、あのっ。わたしたちお嬢様に連れてこられて」
「お嬢様が?」
おばあさんは片方の眉を器用に上げた。
「お嬢様がなんであんたなんか……」
「侍女にしてくださるとか……」
「はっ」
おばあさんは鼻で笑った。
「まあ、誰でもいいさ。猫の手も借りたいほど忙しいんだ。早く入っておくれ」
おばあさんはそっけなく言い、わたしたちを中に入れた。
地下は薄暗く、窓がない。オイルランプが頼りなく灯っていた。
「あんたたち、洗濯はできるかい? ジャガイモの皮むきは?」
おばあさんは矢継ぎ早に質問をしてきた。
「やったことは……あります。母に教えてもらって……」
「そうかい。なら、いいさ。アタシは、ゾエ。仕事は一度で聞いて、覚えるんだよ」
「……はい」
「それにしても、あんたたち、匂うね。孤児かい」
「母は亡くなりました」
「ま。よくある話だね。ああ、食べ物を使う時は、手を洗うんだよ。そこに薬草石鹸があるから」
「……石鹸、ですか?」
「なんだ、なんだ。そんなことも知らないのかい? いいかい。こうやって泡立てて使うんだよ」
油を固めたような緑色のものを水に浸して手でこすると、泡が立った。
「……わあ、ふわふわしている」
「食べもの?」
「違うよ。食べるんじゃないよ。手を洗って殺菌するんだ。旦那様は神経質な方だからね。絶対、手を洗うんだよ」
そう言ってわたしは、ゾエさんから洗濯の仕方を教わった。
弟たちは手先が器用と言われ、材料の皮むきをした。
お手伝いをすると、スープと固いパンをひと切れ、食べさせてもらえた。
「わっ。このスープおいしい」
「パンだ! パンだ!」
「……ごちそうだわ」
わたしたちを見てゾエさんが顔をしかめる。
「こんなもんで喜ぶなんて、何を食って生きていたんだい? まあ、いいけどさ」
その日、食べたスープはトマトの味がした。
何年ぶりかの味だった。
銀貨を毎日、一枚、もらえることを尋ねると、ゾエさんは「一週間、働いたら渡すよ」と言われた。
その言葉を信じて、わたしは「頑張ります!」と言った。
夜、寝るときは、ゾエさんが使用人の部屋を使うように言われた。
「寝床に藁をしいておくから、その上で寝るんだよ。朝は叩き起こすからね」
ゾエさんはそっけなく言い、自分は藁の敷いたベッドに横になった。
わたしたちは顔を見合わせて、藁の上に寝そべる。
「わっ。ねーちゃん、足を入れる藁の中に入れるとあったかいよ」
「ほんとね」
「天井がある……不思議だな」
「……ほんとうね」
わたしたちは身を寄せ合って、藁の中にくるまる。
藁からほのかに甘い香りがした。気持ちいい。
うとうとしながら、わたしはその日、凍えずに眠れた。