「「「いただきます」」」~カトリーヌ・カレの幸福①
おかげさまで、5月23日に2巻目が発売となります。
発売日記念に、被害者のひとりカトリーヌ・カレが主人公の物語を短期集中連載いたします。
舞台はサイユ王国。孤児たちのヒューマンドラマです。
それでは、どうぞ!
「は、花は、い、いりませんかっ? き、きれいな花です!」
裸足で路上に立ち、道行く人々に一輪の花を差し出す。
だけど誰も足を止めない。
わたしを見ようともしない。
声は大通りの雑踏に消されていく。
人混みの中でおろおろしているうちに、わたしは男の子に体を押された。
薄汚れたシャツを着て、木製のコップを両手に持っている子だった。
男の子は高々とコップを持ち、大声を出した。
「冷え冷えのレモネードだよ! たった銅貨一枚で買えるよ!」
男の子の声にかぶさるように、手押し車を引いた男の人が、わたしの前を通っていく。
「ジンジャー・ビール! うちのは銅貨一枚で買えるよ! まいど! そこの紳士な旦那、一杯、どうですか?」
買い物に来た人と売りに来た人でわたしは押し流され、靴を履いた人に足を踏まれた。
痛みで顔を歪む。だけど、それどころじゃない。
一本でも多く、花を売らないと。
「は、花はいかがですか! 春の花! モスローズです! 一束、銅貨一枚です!」
わたしは細い腕を伸ばして、お金持ちそうな男性に花を差し出す。
女性のために花を買っていく男性客が多いからだ。
でも、男性は花を買ってくれなかった。
朝から夕方まで声を出したけれど、今日は一本も売れなかった。
売れ残りの花を手に持ち、とぼとぼと歩いていく。
夕暮れ時の通りは、騒がしくあちらこちらで男の人が酒を飲んでいた。
扉を開けっぱなしにしているパブからは、香ばしい匂いが漂う。
鼻をひくつかせ、骨が浮き出たお腹をさする。
もうおなかが減りすぎて、胃が痛い。
「……弟たちを食べさせないといけないのに」
今日は無理だろう。明日また、花を売るしかない。
とぼとぼ歩きながら、わたしは弟たちの元に戻っていった。
わたし、カトリーヌ・カレにはふたりの弟がいる。
九歳のノアムと、八歳のローイだ。
わたしは十四歳。親と一緒には暮らしていない。
お父さんの顏は知らないし、お母さんは三年前、秋の記念日に死んだ。
わたしたち、三人は、お母さんの子だった。
それまでお母さんが家政婦をして、ベッドのある下宿所に住めたけれど、それもできなくなってしまった。
下宿所の宿代は、一週間に銀貨一枚と銅貨三枚。
宿代をはらうより、わたしたちは食べ物が欲しかった。
お母さんが残したモノを売って過ごしていたけれど、すぐにお金は無くなった。
貧救院にお世話になろうと思って、門を叩いたこともあった。
貧救院なら仕事をすれば、一杯の粥をくれると噂を聞いていたからだ。
だけど、弟たちを引き取るのはダメだと言われてしまった。
男の子は乱暴で、言うことを聞かないからだって。
ノアムとローイは素直でいい子だと言っても、貧救院の人は顔をしかめただけだった。
だからわたしは貧救院に世話にならず、ふたりと一緒に暮らすことを選んだ。
見よう見真似で、他の人がやっている花売りを始めた。
花売りは女の子がよくやっていたし、わたしは花が好きだったから。
お母さんによく花の刺繍を教えてもらっていた。
でも、わたしは商売の才能がないみたい。
他の子より上手に花が売れない。
顔が不細工だからかな……。
鼻の上にそばかすがあってへんだとからかわれたことがあるし……。
もう少し、可愛く生まれたかった。
弟たちと暮らすには、一週間にせめて銀貨二枚は稼がないといけないのに、うまくいかない。
そんなわたしを見かねて弟たちは、王都に流れる運河でどぶさらいを始めている。
運河にある造船所の近くでは、鉄の釘やロープが流れてきて、それらを拾ってクズ屋に売るとわずかなお金になる。
他の男の子たちや、腰の曲がったおばあさんがやっているところを見て、弟たちも真似したそうだ。
弟たちはいつもびしょ濡れになりながら、河から物を拾っていた。
もっとわたしがしっかりしていれば――。
弟たちを見ていると、自分が情けなくてしかたない。
「……おなか、すいたな」
うつうつとした気持ちのまま、河川の土手に降りていく。
すると弟たちの姿が見えた。
かろうじて下着と呼べる粗末な布を体に巻いて、古い帽子を被り、吊りズボンを履いている。
底が擦り切れた靴をふたりとも履いていた。
河に入るとき、靴がないとすぐにケガをするからだ。
「ねーちゃん! おかえり!」
はつらつとした笑顔を見ながら、わたしはガラガラの声で「ただいま」と言った。
「ねーちゃん、ほら、これっ!」
ノアムが目を輝かせ、手のひらを見せてきた。
汚れた銀貨が1枚ある。
わたしはびっくりして、ノアムに尋ねた。
「どう、したの?」
「拾ったんだ!」
ノアムは得意げに鼻の下を指でこする。ローイがわたしの腕をひっぱる。
「ねーちゃん、これでご飯を食べようよ! 僕、ジャガイモのパンケーキが食べたい!」
「俺も!」
お母さんがよく作ってくれたジャガイモのパンケーキ。このコインがあれば食べらるかもしれない。
つばが口の中からしみだしてきて、わたしはこくこくとうなずいた。
わたしたちは通りに戻り、扉が開いたパブを見る。
いい香りがしてくる店に近づいて、中を覗き込んだ。
すると、赤ら顔の男と目が合った。
「なんだあ、おまえらあ」
じろりと上から高圧的に見られ、わたしは恐ろしくて体を震わせた。
「あ、ああ、あのっ。ご飯を」
「ああ⁉ なんだって!」
「ひっ……! ご飯を食べに! 食べに、きました!」
「おまえらがあ? 金あんのかよ?」
酒の匂いを口から吐き出しながら、男の人がわたしの顔を覗きこんでくる。怖くてわたしは、膝ががくがくしてしまい声が出せなくなる。どうしようと思っていると、ノアムがわたしの前に出てきた。
「金ならあるよ! ほらっ!」
ノアムがコインを男の人に見せる。
男の人は目を細めて、ノアムの手のひらからコインを奪った。
「あ! 返せよっ!」
ノアムは飛びかかってコインを取り返そうした。けれど、男の人は大きな手でノアムの頭を押さえこむ。そして、男の人はしげしげとコインを見た。その口元がいやらしく歪む。
「ぎゃはは! こりゃ、昔のコインだ。こんなもん、価値なんてねえよ」
大笑いしながら、男の人はノアムから手を離し、コインを投げ返した。
コインをキャッチしたノアムはすぐに反論する。
「嘘だ!」
「嘘じゃねーよ。馬鹿なガキだなあ。親はどうした? ああん? いないのか?」
「うっせえ!」
ノアムが男の人に飛びかかろうとして、わたしは慌てて止めた。
「ノアム、やめてっ。ねっ。行こうっ」
悔しそうにするノアムをなだめながら、わたしはふたりの手を引いて酒場から歩き出した。
足早に歩いても、気が重たかった。
ただ三人でご飯を食べたかっただけなのに。
どうして馬鹿にされなきゃいけないのだろう。
――親がいないからって。
わたしたちだって孤児になりたくてなったわけじゃない。
「ねーちゃん、おなかすいた……」
ローイがぽつりとつぶやく。ノアムはローイをにらんだ。
「腹が減ったのは、ねーちゃんも一緒だろ! 黙ってろよ!」
「うっ……」
「ノアム……」
悲しそうな声を出して呼ぶと、ノアムはぷいっとそっぽを向いた。
悔しいのか口を引き結んでいる。
わたしは疲れ果てながら、少しほほ笑んだ。
「……コイン、売りに行こうか……きっとお金になるよ」
ノアムは目頭を腕でこすって、こくんとうなずいた。
大通りの一角に、中古品を買い取ってくれる店がある。
店主は鼻の大きな男の人で、弟たちが拾ったものをよく買い取ってくれていた。
おじさんにコインを見せると「ひとむかし前のコイン」だと言われた。
「銅貨四枚で引き取るよ」
銀貨は銅貨十枚で一枚になる。
お母さんが教えてくれたことを思い出し、少ないなとは感じた。
でも、お金がないよりましだ。
それに四枚だけあれば、何か食べられる。
「お願いします」
「あいよ」
わたしはおじさんからもらった銅貨四枚を握りしめ、気分を変えて、ふたりに話しかける。
「何か食べに行こう。これだけあれば、大丈夫よ」
ほほ笑みながら言うと、ふたりはパッと顔を輝かせた。
書き終わっているので、毎日17時に更新します。
全7話です。
発売日までカウントダウン更新します。