17 王はいなかった
俺は晴れて無罪放免となった。
だが、陛下の病状が悪化し、リリアンの審議は中断されてしまった。
審議中のさなか、俺はシャルル王太子殿下に呼び出された。
無表情で敬礼をすると、殿下は切なそうに目を細くする。
「アラン……父が引退する。僕が国王になるよ」
その一言に、感傷はなかった。
「そうですか」
「……冷たい目になったね。当然か……それだけのことを僕はおまえにした」
「それは違います」
淡々と告げる。
「あなたは何もしてくださらなかった。それだけの話です」
シャルル王太子殿下はひゅっと息を呑む。そして自嘲ぎみに笑った。
「……そうだね。僕は傍観者だった……だから、今のままじゃダメなんだよ。王が傍観者じゃ、ダメだろ?」
その言葉は、俺の心を素通りしていく。殿下に対して、期待が持てないのだ。
「リリアンの処罰は、僕に任された。刑の実行自体は父上の名でするけどね」
その内容に、目を見張る。
「陛下が直々に処遇を決めるのではないのですか?」
「父上はもう、話す力も残っていなかったんだ」
審問の時、妃殿下が陛下の代弁をしているように見えた。
「父上の言葉はすべて母上の言葉だったんだよ」
「……妃殿下の」
「ああ、国の法律上、陛下の沙汰でなければならない。だから、父上が話しているように母上と一芝居、打ったんだ」
そこまで陛下の病状は悪かったということか。
「……ブリュノは王位継承権はく奪後、精神病院へ行くと聞きましたが……」
「母上の願いだ。子どもの面倒は最後まで見たいと言っている。不服かもしれないが、赦してくれ」
正直言えば、彼の妹への仕打ちは赦せるものではない。
「妃殿下の願いをとめる気はありません。ですが、病院に行っても、あの方の態度が改善されるとは思えませんが」
静かに言うと、シャルル殿下は口を引き結ぶ。
「もしも、ブリュノが妃殿下の手を逃れ妹に近づいたら、即刻逮捕できるように殿下が一筆、お書きください。デュラン保安監に渡します」
「……わかった」
殿下はすぐに承知してくれ、印が入った書類を作成してくれた。
「……法務大臣にも印を押させよう。これでセリア嬢への保護命令になる」
「妹の国外追放を調査もせずに許可した、あの法務大臣にですか?」
殿下がビクリと震えた。
「……いや、彼は更迭しようと思っている」
「そうですか。賢明な判断です」
殿下はほっと息を吐き出し、側近に書類を渡した。
「妹には慰謝料をお願いします」
「わかっている。だが、財政も苦しい状況だ。分割して、なんとか」
言葉を濁す殿下に、はらわたが煮えくり返る。
「――妹の慰謝料まで未払いにするおつもりですか」
うなるような声で言うと、殿下は目を泳がせた。
「父上が退陣したのち、会計管理がずさんになったと聞きました。処刑人であるミュール氏への支払い、教会への補助金も滞っているとか」
「……それはっ」
「父上の退陣も止められず、その上、妹への慰謝料をも滞るという醜態は、おやめください」
俺はぐっと手のひらを握りしめる。
「父上を宮廷に戻して、父上の帳簿をあなたが見てください。今度こそ! 目をそらさず! 父上の会計改革を推し進めてください!」
冷静でいようとしたのに、ふたりを思ったら腹の底から声が出ていた。
ぐっと、眉をひそめた俺を見て、シャルル殿下は静かに目を閉じた。
「……ポンサール公爵の力は借りたいと思っていた所だ。財務大臣に復帰できるようにする」
目を開いたシャルル殿下の顔は、前よりは骨のある為政者に見えた。
甘いかもしれないが。
「リリアンの処遇は僕に任された。その件について、会議を開く。……おまえにも立ち会ってほしい」
「……分かりました。その場にデュラン保安監を呼んでも宜しいでしょうか。彼から妹に結果を伝えてもらいます」
シャルル王太子殿下はびくっと肩を跳ねらせた。そして、あいまいに微笑む。
「彼がいると緊張するね。……だけど、心強いよ」
そう言って、殿下はデュランが立ち会うことも了承した。
殿下の話が終わり、最後に俺は尋ねた。
「ひとつ、お聞きしてもいいですか」
「なんだい」
「俺を斬首刑にしようとしたのは、殿下の指示ですか?」
「……どういう意味だ……」
「俺が勾留されている時、モールドールが来て『殿下が言えないから代わりに斬首刑を言いに来た』と言っていました」
殿下はかっと目を見開き、椅子から立ち上がって叫ぶ。
「僕は指示していない!」
勢いよく立ち上がったから、椅子が倒れそうになる。
それを片手で押さえ、元の場所に戻した。
「殿下の指示ではないのですか?」
「っ……斬首刑は止めた。いや、違うな……結果として、できなかったんだ。断られたんだよ……」
「断られた、とは?」
「王都の処刑人ジュスティアン・ミュールに」
ミュール氏の名前が出て、目を大きく開く。
殿下は机に片手をついて、自嘲ぎみに笑った。
「おまえの言う通り、処刑人への支払いが滞っていた……それで、ミュール氏に給料が払われるまで仕事はしないと断られてしまってね……」
キリル氏がそんなことを言っていたな。
「確かにモールドールから斬首刑にするように伝えられていた。僕が許可をせずにいたら、法務大臣の部下がジュスティアン・ミュールに指示を出したそうだ」
「……法務大臣が……」
あいつめ……
「それで、ミュール氏が断ったと」
「そうだ」
「でも、俺は毒殺されそうになりました」
「――は?」
目を丸くする殿下に、すっと目を細くする。
口が勝手に笑っていた。
「ご存知なかったのですね」
殿下が目を泳がせる。
「衛兵隊長の話では、モールドールの指示だそうです。殿下、俺はこの通り生きていますが、このままモールドールが処罰されないのは我慢ができません」
シャルル王太子殿下はごくっと生唾を呑みほした。
その表情を見て、皮肉な笑みが出た。
「あなたが王太子でも、その立場を無視して私利私欲で動く者がいたら、法も、制度も、なんの効力もありませんよ」
俺は静かに目を臥せた。
「サイユには指導者がいない。……王が、いないんです」
そんな国に、なにが期待できるのだろう。
失望は大きく、底しれない。
――それでも。……それでもだ
オネットが暮らす国なんだ。
他の人も。
ポンサール領には多くの人がいる。
領民たちへ王家が腑抜けだから我慢しろとは、とても言えない。
「だからこそ、あなたが王になってください。俺は国の立て直しを願います」
静かに頭を下げた。
顔をあげた時、シャルル王太子殿下は大きくうなずいてくれた。
***
会議の場にいたのは、見たことがある議員の顔だった。
法務大臣は更迭されずに席に座っていた。
それを見て、殿下への期待は失望に変わっていく。
俺の願いは聞いてもらえなかったということだろう。
シャルル王太子殿下が着席し、俺とデュランは並んで殿下の後ろに立つ。
速記担当がメモを取る中、会議が始まった。
殿下が口にしたリリアンの処罰は、極刑ではなかった。
「リリアン・クローデルは禁固刑十六年にする。収容先は、セタンジル刑務所だ」
ざわっと会議の場がざわめいた。
「セタンジル……死刑囚と変わりませんな……」
「そうだ」
セタンジル刑務所。それは王族直下の刑務所だった。
脱獄ができない要塞とも言われている。
「……十六年というと、16キロの拘束具を付けるということですか」
「ああ、今のところ、リリアンに反省の色はないと報告を受けている。セタンジルに収容するのがいいだろう」
議員たちが顔を見合わせて、ひそひそと声を出し合う。
その中で、法務大臣が咳払いをした。
「リリアン・クローデルはいっそのこと極刑にされてはいかがです?」
それが名案だと言いたげに、次々と別の議員がうなずいた。