11 困る人がたっくさんいる★
隣に座っていたダミアンがほぉと息を吐く。珍しいな。
「ダミアン、緊張したのか?」
笑っていうと、ダミアンは苦笑いをする。
「えぇ、まぁ……ミュール氏を見ていると、自分がとても小さく、か弱き者に感じます」
「俺もだ。情けないことに、手が汗でぬれている」
俺も苦笑いをする。
「強いと思う人に、久しぶりに会った。将軍以来だな……」
ミュール氏は不思議な方だ。
彼の意図が知りたくて、じっと待っていると、唐突にバァァァン!と扉が開いた。
丸眼鏡をかけた長髪の男性が部屋に入ってくる。俺を見て歓喜に打ち震えた顔をした。
「君かい! あの素晴らしい軟膏を持ってきたのは!! おや? その髪色はアンリ四世と一緒だね! 王族の血縁者? いや、違うな! 直系の王族にその髪色はいないから、……ううん? うん、わかった! ポンサール公爵家の方だね! 賢王の血筋はポンサール家が色濃いって聞いたことがあるよ! ああ、ボクの名前はキリルだよ! キールって呼んでね★ それにしても、あの軟膏はどこで手に入れたんだい? ヒヨスやドクニンジンとかが混じっていそうだね! ヒヨスはバルスコフ連邦から来たものだし、この国では初めて見たよ★ どこにあったのか教えて! きゃひんっ!」
「キール、うざいですよ」
「ちょっと、ちょっと、ジュスティアン! いきなりおしりを叩かないでよ! いたい! きゃひん!」
「だから、うざいですって」
ミュール氏は嘆息すると、俺の方を向いて軽く頭をさげた。
「ムッシュ、失礼しました。こちらは植物学者のキリルです」
「魔女研究をしているんだよ★」
ウインクしたキリル氏に、俺たちはポカンとした。
「キールはバルスコフ連邦出身で、この国まで放浪してきたのです」
「あやうく魔女裁判されるところだったんだよ! てへっ★」
「キールは変人ですが、薬草にも通じています。いかがでしょう。例の軟膏の成分、キールなら解読できるかもしれません」
ミュール氏の提案に、俺はひとつ頷いた。
「ささやかなものでもいい。情報がほしいんだ」
「分かりました。その代わりとは言っては何ですが、私の息子をポンサール領地の学校へ通わせてもらえませんか?」
意外な提案に、俺は目を丸くする。
「ご子息をですか?」
「ええ。学校に行く年齢になったのですが、周辺の学校には入学を断られました。隣の町も、その隣町も。――処刑人の息子だからという理由で」
ミュール氏はかげりのある表情で、窓の外を見た。
「処刑人の家に産まれたら、処刑人になるしかありません。私の兄弟も皆、違う土地で処刑人になっています。ですが、幼少期ぐらいは人並に、普通の生活を送らせてあげたいのです」
ミュール氏は俺を見つめる。
深淵を覗くような黒い瞳だった。
「ポンサール公爵は、かつて奴隷売買されて来た者たちに戸籍を与えたと聞きました。差別の少ない土地だと聞いています。処刑人仲間でも、裁判をしてくれると評判がよいのですよ。無差別に人を殺めなくてよいと」
「……そうですか。父がポンサール領地は正しくあれと願っていましたから」
「素晴らしいことです。この国では、けうな方だ」
「ご子息が入学できる学校を探してみます。父に言えば、手配をしてくれるでしょう。寄宿舎付きで勉学に厳しい場所になると思いますが」
心当たりが1校あった。
事情があり教育を受けられない子どもが集まる学校だ。
少人数で、他の学校より生徒と教員の数の比率が多い。
俺が説明すると、ミュール氏は目を大きく広げた。
黒い瞳の中に、光りがともったような、小さな輝きが見える。
「……ああ、あるんですね……そうですか」
声を震わせて、呟くように言われる。
「ジュスティアン! よかったね★ 入学を断られ続けて、学校長を闇討ちしようかな……とか、ぼやいていたもんね!」
「キール、うるさいですよ」
「えへっ★」
ミュール氏は深々と頭を下げた。
「宜しくお願いします。キールはいかようにもお使いください」
「ぶっ! くくくっ! ボクのことになると、ほんとに雑になるよね! ま、いっけど★」
キリル氏はお腹を抱えて笑った。ゲラゲラ笑い終わると、両手を広げて、ウインクをする。
「ボクの研究所に案内するよ! さあ、どうぞ、どうぞ、こっちだよ★」
俺たちはキリル氏に促されるまま、席を立った。
キリル氏の研究所というのは、庭の一角にある小屋だった。
腐臭がただよい、囚人が安置されていた痕跡が見える。
ダミアンは匂いで吐き気をもよおしたようで、小屋に入れなかった。確かに、気分の良い匂いではない。
「ああ! 君はこの匂いに耐えられるんだね!」
「いや、結構、キツイ」
「ふふふのふ〜♪ ジュスティアンの所には引き取り拒否の囚人も多いからね。ボクは研究がしやすくって、助かっているよ★」
「……そうか」
「賢王の子孫は賢いな〜♪ その聡明さが今の王族にも引き継がれていればよかったのに!」
「……どういう意味だ?」
「そのまんまの意味ダヨ★ ポンサール大臣が財務から降りた途端、ジュスティアンへの給料が払われなくなったんだ!」
初めて聞く話だった。
処刑人には役人待遇で、王家から給料が支給されているはずだ。
「ポンサール大臣になってから、滞りがちだった処刑人の給料がきっちり払われるようになって、ジュスティアンはとても感謝していたよ★ なんだかんだ言って、処刑人は下に見られがちだからねえ。 それなのに、また未払いになって、ほんと、ダメって感じ! ふふふっ♪」
「……そうだったのか」
「君の妹さんも、いないよね?」
にっこりとほほ笑まれ、俺は片方の眉をつりあげた。
「妹さんは、悪女とか言われてた子だね★ いやいやいやいや、そんなに睨まないでよ! ボクは世間一般のことを言っただけ! 本気でそんな風に思ってないよん♪」
「……そうか」
「ふふふ♪ ねぇねぇ、妹さんが居なくなってから、ジュスティアンの所へ無料医療を受ける人が増えたんダヨ★ なぜだと思う?」
「……分からない。なぜだ?」
「ふふふのふ〜♪ それはね。妹さんが訪問していた教会で、無料診療を辞める所があったからだよ!」
俺が動揺して、目を開く。
キリル氏はにこにこと笑ったままだ。
「無料診療なんて手間がかかるのは、みんなやりたがらない。ジュスティアンだって、この土地に居たいからやっているだけなんだ!」
「だが、無料診療は、病気の蔓延防止のためになると、法が定められたはずだ。それを辞めるとは……」
それに、無料診断をした教会へは補助金が出ているはずだ。
それすらも、今はされていないのか?
なぜ?
――父の帳簿は活用されていないのか。くそっ。
「ふふっ。……君が偉くなれば、この国はもっと良くなるだろうなあ」
キリル氏はにんまりと猫のように笑う。
そして、俺がリリアンから受け取った軟膏の一部が入った小瓶をだした。
「賢王の子孫がいなくなっちゃうと、困る人がたっくさんいるんだよ! ボクもそのひとり! だからね。コレ、なんなのか解析してみるね★」
にこにこと笑顔でいるキリル氏に、肩をすくめる。
「あなたは不思議な人だな。……事情通すぎる」
「ふふふのふ〜♪ 君こそ、不思議な人ダヨ★ ボクを胡散臭そうに見ないし、ジュスティアンに対しても誠実だ。ポンサール家の人々は誠実っていう噂は本当だねえ〜」
そう言って、キリル氏は楽しそうに笑っていた。
彼の経歴が怪しいとは思うが、今はどんな情報でも欲しい。
「キリル氏、軟膏の分析を頼む」
「だーかーらっ! キールでいいって!」
ケタケタと笑う声を聞きながら、俺は胸に手を置いてキリル氏に礼をした。