10 日曜日にお会いしましょう
仕事を終えた俺は、ダミアンに木製の容器を渡した。
「中身を少し取って、成分を調べてくれないか」
「これは?」
「とある男爵令嬢から賜ったものだ。返すつもりだから、減ったことが分からないように中身は少量で」
ダミアンが容器の蓋をあけ、眉根を寄せる。
「……ずいぶんと匂いがキツイですね」
「あまり嗅がない方がいい。バルスコフ連邦と戦った時に嗅いだことがある気がする」
「……先の戦争で、ですか」
「ああ、バルスコフ連邦の兵士の遺体から」
「……そうですか」
「バルスコフ連邦の兵士は、死を恐れず特攻してきたと将軍から聞いた。……薬物かもしれない」
「かしこまりました。軍事の者にあたって見ましょう」
「頼むよ」
「そして、使っていないように見せかけるのでございますね」
ダミアンが穏やかな笑みを浮かべる。俺も笑みを返した。
「ああ、穏やかに彼女に突き返すよ。犯罪者が作るものなんて、使いたくはない」
***
正式にブリュノとリリアンの婚約と成婚が発表された。
成婚した日、ブリュノとリリアンは王宮の二階のバルコニーから民衆に向かって手を振るというパフォーマンスが開催された。第二王子なのでパレードはない。
ブリュノとリリアンは満足そうに、民衆に向かって手を振っている。
俺は警備のため、王宮前の広場に立っていた。
広場には民衆が押し寄せてきていたが、王太子殿下の時に比べると人数は少ない。
民衆はふたりを見上げながら、雑談をしていた。
「あれがブリュノ殿下か」
「婚約者がひどい悪女で、正義の鉄槌を下したって方でしょ。素敵ねえ」
聞こえてきた雑談に、腹の中がぐらぐら煮えた。
陛下の沙汰は下っていないのに、民衆の間では妹はリリアンを害した犯罪者という噂がはびこっていた。
ブリュノはその悪行を暴いた人であるとも。
胸くそ悪いが、ぐっと耐える。
証拠がまだ、足りない。
うっとりと二人を見上げていた民衆が、突然、ひぃと声を出した。
人を割り、正装した男性がゆったりとした足取りで近づいてくる。足さばきが常人のものと違う。
「……しょ、処刑人だ!」
「ひぃぃっ 触れたら、呪われるぞ!!」
「ママ、処刑人って?」
「静かに! 近づいたらダメよ!」
一本の剣を帯刀した騎士風情の紳士が近づいてくる。
王都の処刑人。ジュスティアン・ミュールだ。
彼は処刑人一族の4代目の当主。
年齢は31歳だったはずだ。
ミュール家は伯爵と同等の財力を持っている減税特権がある役人だ。
だから、身なりも貴族といっても差し支えない。
「今日は、誠にめでたい日ですね」
ミュール氏はうっとりと目を細め、ブリュノとリリアンを見上げる。
まるで隙がない佇まいなのに、しぐさは優雅だ。
「空もよく晴れ、おふたりのお顔がよく見えます。……おや、こっちを向かれましたね。やれやれ、私が処刑人なのをご存知なのでしょうか。おふたりとも嫌そうな顔をしました」
くつくつと喉を鳴らして、ミュール氏は静かに笑う。
亡霊のような青白い顔が、俺を見つめた。
「……最近、とある方が私の家に尋ねてきましてね。珍しい軟膏をお持ちでした」
小さな声で言われ、俺は瞠目する。
「私の知人が軟膏を面白がっておりまして、ぜひとも会わせたいのです。その方には、日曜日に来てもらいたいですね。友人もいますし」
独り言のような呟きに俺は微笑する。
「そうですか。会えるといいですね」
ミュール氏はわずかに目を開き、帽子をとって優雅な礼をした。そして、バルコニーに向かって礼をすると、広場から去って行った。
***
日曜日は、教会で祈る日と定められており、王宮は閉鎖される。仕事は休みだ。
俺は簡素な服に帽子を被り、ミュール氏の邸宅を、ダミアンと共に尋ねた。
ミュール氏の邸宅は王都の外れた場所にある。
周りは高い建物が密集していて、薄暗い。
物乞いが俺らをじっと見ているような場所だ。
衛生は良くなさそうで、汚物の匂いもする。
そんな建物を間を縫うように歩いていくと、開けた土地にでる。
手入れの行き届いた緑の芝で、一人の少年が丸太に向かって、剣をふるっている。
年は8歳ぐらいだろうか。
ここだけ、異空間のようだ。空気が違う。
「あなたも、先生の診察に来たの……?」
ふと声をかけられると、胸元をだらしなく開いた女性が立っていた。
「そうだよ」
「身なりが良さそうなのに、わざわざ無料診察に来たの?」
女性は訝しげに俺を見る。話を合わせた方が良さそうだ。俺は肩をすくめて、おどけてみせた。
「今日は一張羅を着てきたんだ」
「あら、そうなの?」
そう言うと、女性は俺に興味を失ったようで邸宅へ入っていった。
俺たちも彼女に続いて、入る。
中ではテキパキと働く女性がいた。ナースキャップを被っているところを見ると、看護師のようだ。
「こちらの待合室へどうぞ」
案内された場所を見ると、人であふれていた。
往診室の扉が開く。
「……先生、ありがとうございました」
「お大事に」
中を見るとミュール氏がいる。
しばらく待っていると、順番がきた。
ミュール氏は俺を見ると、目を細めた。
「あぁ……お待ちしています。往診が終わったら、お茶でもいかがですか?」
「ぜひ、」
時が過ぎると、看護師が邸宅の二階に案内してくれた。
彼女はミュール氏の妻だそうだ。
部屋をぐるりと見渡してみると、剣置台があった。
一振りの剣が置いてある。
その見事な形に見惚れてしまった。
「仕事道具に興味がお有りですか?」
いつの間にかミュール氏が部屋に入ってきていた。
声をかけられ、頷く。
「すごい剣ですね。剣の真ん中に彫ってある文字は、正義ですか……」
「えぇ。握ってみますか?」
「えっ……」
ミュール氏が剣を手に持ち、俺に渡す。
俺はじっとその剣を見つめ、柄を握った。
重い剣だ。
刃を指でなぞり、両手で柄を握る。
誰もいないところで、剣を構え、振った。
奇妙なぐらい、手になじむ剣だ。
「見事な太刀さばきですね」
ミュール氏に言われ、うっと声をつまらせる。
なぜか照れくさい。
「……この剣で斬首するのですか……」
「えぇ。一太刀で、首を落とします。私はまだ現役ですので、あなたが運命のめぐり合わせで、そのようなことになっても決して苦しませないと、今からでもお約束しますよ」
縁起でもないことを言われているが、嫌な気持ちにならない。不思議な人だ。
「……運命の日が来ないことを願いますね」
「それが宜しいかと。それにしても、あなたはヴァランタン将軍にそっくりですね」
「……将軍をご存知でしたか」
「ええ。昔、私が結婚したとき家で披露宴をしていたのですが、将軍は酔っ払って迷い込み、家に来たのです」
「……酔ってですか」
「泥酔されていましたね。でも、私の職業を聞いても驚かなかった稀有な方です」
くつくつ喉を震わせて、ミュール氏は懐かしそうに目を細くした。
「ヴァランタン将軍とは、古い友人です。その友人が、血相を変えて軟膏を持ってきましたね。理由を聞きました。それで、あなたに会いたいと思ったのですよ。お会いできてよかった」
「……そうでしたか」
「軟膏は将軍直々にお渡ししました。……まさかここにくるとは思いませんでしたが」
黙っていたダミアンが驚いたように声をだす。
ミュール氏はくすりと笑った。
「ああ、お茶の用意ができましたね。お座りください」
ミュール氏がテーブルの方を向く。ミュール氏の奥方がティーセットが用意していた。
俺とダミアンは促されるまま、席に着く。
菓子が用意されいて、まるで令息の家に遊びにきたみたいだ。
「今日はようこそ。私が医師で驚いたんじゃないですか?」
ふふっと笑われて、俺は微笑する。
「驚きました。無料で診察されているのですね」
「ええ。無料で診察をするから、私たちはこの地にいられるのです。そうではないと、処刑人に居場所はありませんから」
そう言った彼の表情は、どこか憂いを帯びていた。
「立派なことです。無料診察は病気の蔓延を防止すると聞きました」
そう言うと、ミュールは照れくさそうに頬をかいた。
「そうだ。友人をご紹介しなくては。外の研究所にいるので、呼んできます」
ミュール氏は立ち上がると、静かな足取りで部屋を後にした。